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ご由緒
戦乱や天災により史料が失われてしまっているため詳細は不明であるが、聖徳太子により創建されたと伝えられている。平安時代以降に造立された本尊級の仏様が複数体おまつりされており、中世までに大いに隆盛していたという金剛定寺の歴史を伝えている。現在の本堂は江戸時代に建立された建物。本堂の中心には、室町時代に造立されたと考えられている御本尊・十一面観音菩薩坐像がおまつりされている。
大寺院であった往時の姿を伝える
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こんごうじょうじ
滋賀県蒲生郡日野町
凛々しいお姿の御本尊・十一面観音様や穏やかな微笑みをうかべる聖観音様、勇ましく迫力のある不動明王様など魅力的な仏様がおまつりされている金剛定寺。平安時代から江戸時代まで様々な時代に造立された金剛定寺の仏様は、金剛定寺が様々な時代を通じて地域を見守る信仰の中心として大切に守り伝えられてきたことを伝えています。様々な仏様と向き合う信仰の空間が境内に広がっています。
金剛定寺の本堂は、江戸時代に建立された建物であると伝えられている。本堂中央におまつりされている金剛定寺の御本尊様は十一面観音様であることから、「大悲閣(だいひかく)」とも呼ばれている。
建物の前面部分の屋根がふんわりと膨らみなだらかな曲線をえがき住宅建築に多い「むくり屋根」である一方で、後方部分の屋根は「反り」をつけた迫力ある屋根であるという点が特徴。また、天台宗の寺院の建物としては珍しく、禅宗寺院の建築で多く用いられている建築技法で建てられており、禅宗と深い関りのある士族により寄進・建立された建物であると伝えられている。
堂内天井には、護摩の煤により見にくいが、迫力ある龍の姿が描かれている。
本堂の中央の厨子の内部には、金剛定寺の御本尊である十一面観音菩薩様がおまつりされている。
木の部材を組み合わせた寄木造の仏様で、お身体のほとんどを木の木目を生かした素地で仕上げるとともに、唇に朱を差す。頭上には、周囲を見渡すように八面(一面のみ失われている)のお顔と頂上に如来一面を表している。右腕を下ろし手のひらを上へ向け、水瓶を左手で持つ。御本尊様が坐る台座を獅子が支えている。
金剛定寺に伝えられている古文書によると、文亀3年(1503)の戦火により以前の御本尊が焼失してしまったため、永正6年(1509)から造立が始まり翌年に開眼供養がなされたという。また、角材を規格的に組み合わせている構造様式からも、室町時代の後期頃に造立された仏様であると考えられている。
坐像の十一面観音様は全国的にも珍しく、中世における当地の信仰の特徴を伝えている仏様である。
本堂の脇壇におまつりされている聖観音菩薩様は、平安時代に造立された仏様。
檜の一木造で内刳りはなく、足元の衣には膨らみのあるひだと鋭いひだを交互に配する文様である翻波式(ほんぱしき)衣文が施されている。このような衣の表現様式や密教的なお顔の表現様式から9世紀頃に造立された仏様であると考えられている。
近隣の地域に伝えられている観音様のお姿と作風が異なるとされており、奈良などで造立された仏様が移されてきた、もしくは奈良などの仏師が当地で造立した仏様のではないかと推測されている。
本堂の脇壇におまつりされている不動明王様は、一木造、平安時代の11世紀頃に造立されたと考えられている仏様。左右には脇侍である矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)が配されている。また、不動明王様の背後の光背も平安時代に造立された当時のものであると考えられている。
向かって右におられる矜羯羅童子は慈悲の姿を表すとされ、手を合わせた姿が多いのに対して金剛定寺の像は何かを持っていたような姿をしている点が特徴。向かって左におられる制多迦童子は憤怒の姿を表すとされ、左手を頭の上に掲げ遠くから悪いものが来ないか睨みを利かせた姿をしている。
不動明王様を中心に矜羯羅童子と制多迦童子、光背まで造立当初のものが伝えられている類例は全国的にも珍しく、展覧会などにも出張されている。
金剛定寺には様々な仏様がおまつりされている。
室町時代の大永5年(1525)、仏工・藤越長清法眼により手掛けられたと伝えられている大日如来坐像や眉が特徴的な慈恵大師坐像、慈恵大師が姿を変えられたお姿である鬼大師像、穏やかな眼差しを向ける阿弥陀如来坐像、威厳を感じさせる役行者像と僧形像などがおまつりされている。
太子堂は本堂へ続く参道脇に建つお堂。堂内中央には、聖徳太子と純白の孔雀明王様をおまつりする。孔雀は蛇を食べることから、悪しき存在を食べる存在として孔雀明王として信仰されている。また周囲には、金剛定寺の信者の方々より寄進された仏様や神様が大切にまつられている。
太子堂の近くに建つ三重の屋根を持つ石塔。鎌倉時代に建立された石塔であると考えられている。石塔の基礎や軸部にはそれぞれの面に仏の姿や仏を表す梵字が刻まれている。
金剛定寺の境内や周囲には中世から近世にかけて造立されたと考えられる石塔や石仏が多く発見されているという。
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奈良大学修士課程
ご由緒
戦乱や天災により史料が失われてしまっているため詳細は不明であるが、聖徳太子により創建されたと伝えられている。平安時代以降に造立された本尊級の仏様が複数体おまつりされており、中世までに大いに隆盛していたという金剛定寺の歴史を伝えている。現在の本堂は江戸時代に建立された建物。本堂の中心には、室町時代に造立されたと考えられている御本尊・十一面観音菩薩坐像がおまつりされている。
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