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平安の古仏と国宝本堂がつくる祈りの空間

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ぜんすいじ

善水寺

滋賀県湖南市

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湖南三山の一つ、善水寺は奈良時代に創建され、平安初期に伝教大師最澄によって復興されたとされています。1000年前、元三大師良源後の時代に、延暦寺根本中堂を模して作ったのではないかとされる多くの仏像が作られるなど、特に比叡山延暦寺とゆかりの深い寺院となりました。南北朝時代には現在の本堂が再建されました

巡りポイント

比叡山延暦寺と関係の深い善水寺の見どころの一つは、660年前に建てられた国宝本堂とそこに安置される平安時代の仏様です。平安時代より1000年以上守り伝えられてきた祈りの空間が堂内に広がっています。2026年、約50年ぶりとなる国宝本堂の檜皮屋根の葺き替えが完了しました。

本堂(国宝)

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    刀傷が残る柱
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再建より約660年。人々により守り伝えられてきた日本を代表する名建築

善水寺は和銅年間に創建されたと伝わる古刹。延文5年(1360)の火災により前本堂が焼失してしまった後、貞治5年(1366)5月に現在の本堂が再建された。桁行七間、梁間五間の大堂で、内部は礼拝修行のための道場である外陣、御本尊様をまつり密教修法の道場である内陣、諸堂より集められた仏様をおまつりする後堂に分かれている。

 

本堂内陣には本堂と同時期に造られた杮葺きの厨子があり、その内部に秘仏である御本尊・薬師如来坐像(国指定重要文化財)を安置している。天台密教仏堂を代表する建築として、国宝に指定されている。

 

戦国時代、織田信長による比叡山焼討ちの3日後に善水寺も焼討ちされた。その際、本堂や仁王門、三重塔、鎮守社(本堂以外現存せず)の4棟だけが被害を免れたという。本堂の柱には、焼討ちの際についたと推測される刀傷が刻まれている。焼討ちにより善水寺の僧侶たちは全員排除されてしまい、その後、約100年間は僧侶不在の無住のお寺であったという。その間も、麓に暮らす地域の方々により守り伝えられ、今日まで歴史が紡がれてきた。

 

明治33年から明治35年春には全解体修理、太平洋戦争中及び戦後である昭和19年から昭和21年にかけて屋根の葺き替え修理、昭和48年から昭和50年にかけて屋根の葺き替え修理が行われてきた。

 

2026年、約50年ぶりに行われた檜皮葺屋根の葺き替え修理が完了した。その際、本堂を構成する柱の1つの腐朽が進んでいることが判明し、根継ぎの技術を用いて修理が行われた。

感想■本堂は境内に堂々とした存在感を持って立っていました。660年もの間、堂内の祈りの空間を守り続けてくれたお堂に感謝の気持ちも湧き上がってきました。 檜皮葺の屋根は隣にある庭園と調和していて美しかったです。 葺き替えて間もない檜皮葺の屋根が、綺麗に整っていて、とても美しかったです。維持管理がとても大変な檜皮葺ですが、大きな屋根が檜皮葺で作られていることはとても感動しました。

秘仏御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)

  • 秘仏御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
    秘仏御本尊のお姿
  • 秘仏御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
    秘仏御本尊の像内より発見された文書(複製)
  • 秘仏御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
    体内文書とともに発見された平安時代の籾
  • 秘仏御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
    発見された籾より収穫された稲穂
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平安時代に生きた先人たちの願いが伝わる

善水寺本堂厨子内に安置される薬師如来坐像で、秘仏である。ヒノキの一木造りの像で大きさは100cmである。像表面には漆箔を施し金色を呈す。

 

薬師如来坐像は、明治時代に行われた修理の際に、像内に結縁交名記と籾が入った麻布が発見された。結縁交名記は虫損があり完全に解読することはできないものの正暦4年(993)に大伴時忠らが願主となり造られた像であることがわかった。平安時代中期に遡る在名像は貴重であり、重要な基準作例として知られている。

 

像内から籾が発見されることは珍しい。後の調査により平安時代の籾であることが確実となり、実際に土壌に植えると発芽し収穫することができた。このときに収穫されたものが外陣にて展示されている。

 

この地で1000年以上祈り伝えられてきた貴重な仏様であり、1000年以上前に生きた人々の思いを今に伝えている。

感想■胎内から籾が見つかっていることに驚きました。米粒に神様が宿るというお話は聞いたことがありましたが、実際に仏様の中にお米が入っていたことから、昔の生活の中心であったお米が仏様の中に入れられて祀られていたことに、当時の人々がどれだけお米を大切にしていたかが感じられました。

木造梵天・帝釈天立像(国指定重要文化財)

  • 木造梵天・帝釈天立像(国指定重要文化財)
    木造梵天立像
  • 木造梵天・帝釈天立像(国指定重要文化財)
    木造梵天立像
  • 木造梵天・帝釈天立像(国指定重要文化財)
    木造梵天立像
  • 木造梵天・帝釈天立像(国指定重要文化財)
    木造帝釈天立像
  • 木造梵天・帝釈天立像(国指定重要文化財)
    木造帝釈天立像
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平安時代の根本中堂の堂内空間を伝える仏様

梵天・帝釈天はいずれも古代インドに由来する神が仏教に帰依し、仏や仏法の守護神となる存在であり、善水寺では本堂の須弥壇上左右に安置され、秘仏御本尊・木造薬師如来坐像を守護している。

 

善水寺では、向かって右側に安置されている衣の下に鎧を着るお像が帝釈天立像、むかって左側に安置されているお像を梵天立像として古来よりおまつりされている。

 

梵天・帝釈天立像は作風や構造から秘仏御本尊と同時期の正暦4年(993)頃に造られたものであると考えられており、四天王立像や聖僧文殊菩薩坐像、毘沙門天立像、不動明王坐像も同時期に造立されたと考えられている。

 

比叡山延暦寺の根本中堂は、承平5年(935)に火災で焼失後、元三大師として有名な慈恵大師良源によって天元3年(980)に再興された。善水寺の諸尊は、天元3年(980)頃の比叡山延暦寺根本中堂に安置されていたとされる仏様と共通する構成であり、善水寺の諸尊は延暦寺根本中堂を再現するものであるとの見方がある。

 

感想■比叡山延暦寺根本中堂の配置を再現したものとの見方がとても素敵だと感じました。往時の比叡山延暦寺の根本中堂の祈りの空間は火災や戦乱によって記録上でしか確認することができませんが、善水寺で伝えられた仏様の配置を通して、比叡山の祈りの精神が「比叡山」という場所を越えて伝えられていることを強く感じるとともに、当時の人々の信仰への想いの強さが感じられました。

木造四天王立像(国指定重要文化財)

  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《左:木造増長天立像、右:木造持国天立像》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造持国天立像》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造持国天立像/龍頭》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造増長天立像》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造多聞天立像》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造多聞天立像》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造広目天立像》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造広目天立像》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造持国天立像/足元の邪鬼》
  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    木造四天王立像《木造広目天立像/足元の邪鬼》
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獅子と龍の意匠が施された鎧をまとう四天王様

北方を守護する多聞天、東方を守護する持国天、南方を守護するを増長天、西方を守護する広目天から構成されている。本堂須弥壇に安置される四天王立像は、頭体幹部を一材より彫出する一木造りで、邪鬼もおおむね本体と同木から造立されている。秘仏御本尊や梵天・帝釈天立像等と同時期に造られた像であると考えられており、平安時代の10世紀末頃の作とされる。

 

向かって右側から、持国天、増長天、多聞天、広目天の順に須弥壇上におまつりされている。増長天、多聞天、広目天の腹部には、獅子の頭部を表した獅噛(しがみ)という意匠が施されているが、持国天立像のみその腹部に龍の頭部を表した龍頭(りゅうず)を表す意匠が施されている。龍頭の意匠が施されている四天王像は全国的に珍しいという。

感想■今にも動き出しそうな躍動感のあるお姿に息をのみました。実際に衣や鎧の実物を着ているかのような精緻な表現に圧倒されました。

木造十二神将立像(湖南市指定文化財)

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早急な修復が待たれる勇ましいお像たち

十二神将は薬師如来の眷属であり、十二支と結びつき、それぞれの頭上に十二支を示す動物を表すことも多い。

 

善水寺の本堂におまつりされている十二神将立像は、鎌倉時代に造立されたと考えられており、寅神将の胎内からは文永9年(1272)に造立されたことが分かる墨書が発見されている。御本尊様がおまつりされている御厨子を中心に左右にそれぞれ6体ずつおまつりされている。彩色の多くは江戸時代以降に施されたものであると考えられている。

 

造像から700年以上たち、手足の先の欠失や玉眼の落ち込みが確認されているとともに、現在の台座は梁などを転用したもので不安定であるため、早急な修理が求められている。

感想■700年以上もの間、ご本尊を護り続けてきた歴史が伺えました。ご住職に伺うと、昨今の物価上昇により修理計画を進めていくことが難しいそうです。修理を実現していくことの難しさを痛感し、伝承のために自分に何かできることはないかと考えるきっかけとなったお像でした。

秘仏・銅造誕生釈迦仏(国指定重要文化財)

  • 秘仏・銅造誕生釈迦仏(国指定重要文化財)
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南都との繋がりを伝える

誕生釈迦仏は釈迦の誕生を祝福する花祭り灌仏会に用いられ、浄水や甘茶を像に灌ぐことから銅造で造られることが多い。

本像は奈良時代に造られたとみられる像で、東大寺に伝来する像と類似しており、東大寺像を模したものであると考えられる。23㎝という誕生釈迦仏としては大型の像で、首の三道相や胸や腹のくびれを表現し、肉付きもよい。全身の鍍金もよく残っている。

 

善水寺は、和銅年間に元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創されたことに始まる寺院である。善水寺の位置する地は、聖武天皇が大仏建立を命じ造像が始められた紫香楽宮の鬼門に位置することから、紫香楽宮との関連が想起されるお像である。通常秘仏であるが、毎年毎年5月5日の花祭り潅仏会にあわせ1週間ほど御開扉される。

感想■東大寺のお像と比べるとそっくりで驚きました。聖武天皇や紫香楽宮との繋がりもあるのかなと想像が膨らみました。

銅造阿弥陀如来立像(滋賀県指定有形文化財)

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善光寺如来への信仰を伝える古像

中世初頭において絶対秘仏である善光寺阿弥陀如来の霊験を求め、多くの模造が造られた。こうした像を善光寺式阿弥陀如来という。

 

本像の背面には「奉移 善光寺本仏/奉鋳阿弥陀 元久三年歳次丙寅十月三日/鋳師万アミタフ/本願聖人 善全」という隠刻があり、善光寺阿弥陀如来を模した像で元久3年(1206)の作であることが分かる。

 

現在確認されている善光寺式阿弥陀如来像の銘文が残るお像うち2番目に古いお像である。

感想■直接お姿を拝することはできませんでしたが、お姿の写真を見ると、微笑むような柔和なお顔をされている仏様でした。いつか直接そのお姿をお参りしたいです。

木造仁王立像(国指定重要文化財)

  • 木造仁王立像(国指定重要文化財)
  • 木造仁王立像(国指定重要文化財)
  • 木造仁王立像(国指定重要文化財)
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滋賀県最古の仁王様

本堂外陣に安置されている仁王様は、かつて麓にあった仁王門に安置されていた。しかしながら、仁王門は昭和28年の大雨により流失してしまった。幸いなことに、大雨による被害が発生する前に本堂へ移されていたため難を逃れることができたと伝えられている。

 

大きく眼を見開き、動きのある表現をする像である。頭体を通してほぼ一材より彫出する。体部の肉どりや荒縄状の帯をめぐらす形式など古様な点がみられ、秘仏御本尊と近い時代に造立された仁王様であると考えられている。

感想■とても大きく、動きもダイナミックなため、その迫力に圧倒されます。これほど大きな仁王像が安置されていた当時の仁王門も相当大きかったのかなと想像が膨らみました。

木造聖観音菩薩坐像

  • 木造聖観音菩薩坐像
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凛々しい眼差しを向ける色鮮やかな観音様

本堂後堂に安置される聖観音菩薩坐像は、左手で未敷蓮華を持ち、右手はその蓮華の上で第一・二指を捻じる半丈六の坐像である。後堂におまつりされている釈迦如来坐像とは足の組み方が逆となる点が特徴で、中世に造立されたお像であると伝えられている。かつて、善水寺を構成する諸堂の一つにおまつりされていた仏様であると考えられている。

感想■青い頭髪をされていたり、宝冠部分に赤色、白色の装飾がついているなど、色鮮やかな反面、お顔はとても落ち着いた表情をされていて素敵でした。

木造二天立像(国指定重要文化財)

  • 木造二天立像(国指定重要文化財)
    木造二天立像《木造持国天立像》
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    木造二天立像《木造持国天立像》
  • 木造二天立像(国指定重要文化財)
    木造二天立像《木造増長天立像》
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    木造二天立像《木造増長天立像》
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躍動感あふれる迫力あるお姿

本堂後堂に安置される持国天立像・増長天立像は、像高が150㎝台の等身大である。動きが大きく袖も風にたなびくようにあらわされており、表情も憤怒が厳しく彫りも鋭い。また体に対し顔の大きさが小さく、スタイルよくあらわされる点が特徴。これらの像は善水寺内陣に安置されている四天王立像とは作風が異なっており、鎌倉時代に造られた像であると考えられている。

 

現在は本堂後堂に安置されているが、もともと別の堂宇に安置されていたお像であると推測されている。

感想■風にたなびく衣服の様子や盛り上がる筋肉の量感に魅了されました。内陣須弥壇上の四天王様と表現の違いを比較すると、それぞれの時代の特徴が浮き上がってくるようで、興味深くお参りすることが出来ました。

木造聖僧文殊菩薩坐像(国指定重要文化財)

  • 木造聖僧文殊菩薩坐像(国指定重要文化財)
  • 木造聖僧文殊菩薩坐像(国指定重要文化財)
  • 木造聖僧文殊菩薩坐像(国指定重要文化財)
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僧侶たちの規範となる高僧の姿を表す

袈裟を着た姿の老僧の姿をした像で、左手には如意を持つ。顔にはいくつもの深い皺をあらわし肋骨が浮き出た威厳のある姿であらわされる。文殊菩薩の化身として僧形であらわされた僧形文殊菩薩坐像である。

 

この僧形文殊菩薩坐像も秘仏御本尊・木造薬師如来坐像が造立された正暦4年(993)頃に造られたと考えられている。僧侶の規範となる聖僧を供養する儀礼はインドに始まり、中国へ渡り日本にも伝わる。そうした中で、天台宗の開祖である伝教大師最澄は寺院には僧形文殊菩薩をまつるべきであると考え、比叡山延暦寺にも僧形文殊菩薩像が安置されていたという。

感想■実際の高僧の姿を表したかと思えるほどリアルさのある造形表現に息をのみました。僧侶の目標・目指すべき姿を表しているとご住職より伺い、善水寺で修行に励んだ僧侶たちの息づかいの一端を感じることができました。

木造勢至菩薩坐像

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清らかに麗しく合掌する

本堂後堂におまつりされている厨子に安置される勢至菩薩坐像は、もともと観音堂に安置されていたお像である。

江戸時代に造られた像であるとみられ、宝冠や厨子から垂れる豪華かつ精緻な装飾が失われることなく伝えられている。

 

勢至菩薩坐像と厨子は一具として共に造られたが、一時期勢至菩薩坐像のみが本堂へ移されおまつりされていたという。近年厨子も本堂へ移され、精緻な截金や彩色で荘厳される元来の姿で拝することができるようになった。

感想■合掌するお姿の麗しさが記憶に残っています。お像だけでなく、身に着ける宝冠なども非常に繊細に造られていて、時代を越えて大切にされてきた仏様であるということが伝わってきました。

木造不動明王坐像(国指定重要文化財)

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秘仏御本尊様とともに造立された滋賀県内最古のお不動様

後堂に安置される不動明王坐像は、像高73㎝の等身大の像で、両目を大きく見開き太い眉を寄せて、まっすぐ正面を見つめるお姿をされている。作風や構造の一致から秘仏御本尊と近い時期である正暦4年(993)頃に造像されたと考えられている。

 

右手には宝剣、左手には羂索を持ち、動きのある火焔を背負う。

感想■目の吊り上がり方や眉間のしわ、上の歯で唇をかみしめている様子などが力強く造られていることから、威圧感をとても強く感じました。髪を結んで片側に掛けている髪型も独特で力強さを引き立てているように感じました。

木造兜跋毘沙門天立像(国指定重要文化財)

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比叡山におまつりされていた毘沙門天のお姿を伝える

兜跋毘沙門天立像は、秘仏御本尊である薬師如来坐像と共に正暦4年(993)頃に造られた像であると考えられている。

 

左右に鬼を配した地天女の上に直立し、右手に宝棒・左手に宝塔を持つ。通常の毘沙門天立像とは異なり、鎖つなげたような金鎖甲や海老籠手等を着けている。これらの意匠は、中国四川省周辺に伝わる作例との類似性が近年指摘されており、その周辺の図像が日本へ伝来し、善水寺の兜跋毘沙門天立像のようなお姿をとる毘沙門天像が造立されたのではないかと推測されている。

 

善水寺の兜跋毘沙門天立像のような毘沙門天像は比叡山とも関係が深く、比叡山の根本中堂に細身像と太身像の2躯の毘沙門天がおまつりされていたことが記録に残っている。善水寺の兜跋毘沙門天立像は、このうちの細身像との関連が推測されている。

 

感想■毘沙門天を足元から支える地天女のお姿がまさに縁の下の力持ちといった様子でした。毘沙門天様に多様なお姿があることを学びました。

木造釈迦如来坐像

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凛々しさ溢れるお釈迦様

後堂の中央におまつりされている釈迦如来坐像は、中世に造立されたと考えられているお像。もともとは、善水寺を構成していた諸堂のいずれかにおまつりされていたお像であったと推測されている。特に、三重塔の初層におまつりされていたと考えられているという。

 

明治24年、宮内省に設置された臨時全国宝物取調局の調査により鑑査状が交付された。

感想■凛々しく大きなお釈迦様の御姿からは、どのような願いも受け止めていただけるような安心感を感じました。このような大きな仏様がおまつりされていたお堂はどのような建物だったのか、興味が湧きました。

木造聖観音菩薩坐像(湖南市指定文化財)

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    木造聖観音菩薩坐像
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    木造聖観音菩薩坐像
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    木造地蔵菩薩像
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    木造地蔵菩薩像
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    観音堂
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人びとの勧進により再興された平安時代の大きな観音様

麓から善水寺へ続く参道沿いにある岩蔵坊旧跡推定地に位置する観音堂には、平安時代に造立されたと推測される丈六の聖観音菩薩坐像がおまつりされている。聖観音菩薩坐像は元来東尾の清涼山におまつりされていたと伝えられている。

 

江戸時代には傷みが激しくバラバラの状態であったとされ、元禄9年(1696)、善水寺を訪れた乗蓮比丘の勧進により修理が行われた。お像を町へ運び各所へ勧進したとも伝えられている。台座には、勧進の際に寄進をした当時の人々の名前がびっしりと記されている。

 

また、観音堂には江戸時代に造立されたと考えられている地蔵菩薩坐像もおまつりされている。

感想■台座にびっしりと記された沢山の方々のお名前から、勧進に協力された方々の聖観音様の無事な修理完成を願う温かい気持ちを感じました。これほど大きなお像の修理を完遂させた当時の人々の祈りの力に感銘を受けました。

元三大師堂

  • 元三大師堂
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    木造慈恵大師坐像
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等身大の慈恵大師坐像をまつる

元三大師堂は正徳三年(1713)に再建された建物で、堂内に等身大の慈恵大師坐像を安置する。

 

慈恵大師良源は正月三日に亡くなったことから元三大師とも呼ばれる平安時代中期の延暦寺の僧侶で、焼失してしまった根本中堂の再建や法華大会の創始など延暦寺の再興に尽力した。善水寺本堂に安置される諸尊は慈恵大師の再興した根本中堂の仏様の安置形式と共通性があると考えられており、当時の比叡山と善水寺との繋がりを伺える。

 

堂内に安置される慈恵大師坐像は作風から南北朝時代頃の作例であるとみられ、本堂の再建との関連が推測される。

感想■良源様が活躍された時代は、善水寺の秘仏御本尊様が造立された時代の少し前。比叡山と善水寺の間にどのような関係があったのか、元三大師堂の良源様にお参りしながら、想いを馳せました。

六所権現社

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善水寺をお守りする六柱の神々をまつる

境内には善水寺開創とともに勧請されたとみられる六所権現社がある。ここには伊勢、春日、八幡、賀茂、熱田、鹿島の神々がおまつりされている。諸説あるが、これらの神々は、善水寺開創の際に開村された岩根村に集った人々が信仰していた神々であると推測されている。

感想■ご住職より伺った、善水寺の開創と鎮守社の様々な神々との関係性のお話に深く引き込まれました。善水寺の開創とともに育まれた信仰の壮大さに圧倒されました。

百伝池(ももつてのいけ)と善水

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    百伝池
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    善水
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清らかな水が湧き続ける

比叡山の用材を求めて当地に滞在した伝教大師。しかしながら、なかなか雨が降らず田植えにも事欠くありさまだったという。

 

そこで、伝教大師は雨乞いの修法をする場所を探していたところ、一筋の光に導かれ、辿り着いたのが現在の本堂の東側に位置する百伝池であった。伝教大師が百伝池を見ると、水面に梶の葉が一枚浮かんでいて、不思議なことに法華経の経文が書かれており、池の中より一寸八分の小さな薬師如来像を見つけられたという。

 

伝教大師はこの薬師如来をおまつりし、7日間の雨乞いの修法をしたところ、7日目の満願の日に大雨が降り、無事に材木を比叡山まで運ぶことができたと伝えられている。

 

また、桓武天皇が病気になられた際、伝教大師がこの百伝池の水を汲まれて病気平癒の御祈願を行い、その水を桓武天皇に献上したところ、桓武天皇はたちまち平癒なされたという。このことから「善水寺」の寺号を賜ったと伝えられている。

 

現在、百伝の池の東側に湧き出している水を元水とする「善水」を求めて多くの人々が参拝する。

感想■百伝池から望む境内の景観がとても美しかったです。山の中でありながら、水脈のあるところに寺院を構える昔の人々の知恵を感じました。

report

学生レポート

立命館大学 大学院 博士2年

今回の訪問の中で、梅中様の「どのような仏様にも願主がいる」というお言葉が印象深く心に残っています。

秘仏御本尊様の胎内に納められていた願文には、1000年以上前の平安時代に生きた「愛子(あいし)」である大伴時忠のお名前が残り、この方を含む様々な方々の願いや祈りが結集して御本尊様が造立されたと伺いました。1000年以上の時を越え、たくさんの方々の願いや祈り、想いとともに私たちを見守ってくださっている秘仏御本尊様のお姿は、写真であっても穏やかな優しさに包まれるような包容力を感じました。

そして、御本尊様の左右をお守りする凛々しく勇壮な仏様たちや後陣でお参りの方々を迎える仏様、路傍におまつりされている石仏など、姿形が違えども名もなき先人たちの想いや願いが秘められており、その想いや願いを表すお姿から人々の共感が育まれ、これらが数百年から1000年以上守り伝えられている原動力の一つであるのだと感じました。(2026年6月14日)

report

学生レポート

立命館大学 1年

私は高校生の頃、山岳部の活動で訪れる場所に寺社仏閣が多かったため、気づいたら寺社の雰囲気や御朱印が好きになっていました。そのため、この訪問に参加しましたが、あまり仏像や寺社の歴史、文化財保護に関して詳しくありませんでした。しかし、お寺の歴史や仏像、建物の構造や文化財保護の困難さなどを解説いただき、お寺に対する見方が変わりました。

今回の訪問のように、間近で厨子や十二神将を見たことがなかったので、その造形の美しさや迫力に圧倒されました。建物の構造、特に屋根の反りや左右対称であることなどにも非常に感銘を受けました。千年以上、代々守られ受け継がれてきたことを思うと、文化財保護の重要性を肌身で感じることができました。
(2026年6月14日)

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学生レポート

京都大学文学部4年

奈良時代以来の歴史を持ち、比叡山との関わりも深いという善水寺。本堂に安置される仏像は平安時代当時の根本中堂の、現代風に言うならば「バックアップ」的なお像であったということで、祈りを未来に繋いでいこうという当時の人々の姿勢に感動しました。600年の間、変わらぬ姿を伝える美しい本堂も魅力の一つ、人々が懸命に繋いできた祈りの歴史の重みを感じながら、参拝させていただきました。(2021年7月4日)
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ご由緒

寺伝によれば、元明天皇が奈良時代初期の和銅年間に、国家鎮護の道場として創建した和銅寺が前身であるとされる。

 

平安時代初期の延暦年間、桓武天皇の病平癒のために、最澄が当寺で祈願し香水を献上したところ病が治ったため、善水寺と号し、延暦寺別院となった。

元亀二年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちの際には善水寺も攻撃を受けるも、本堂や仁王門は焼失をまぬがれた。しかしながら僧侶は排除されてしまい、その後約100年間、無住となるも、1670年に再び住職が就任し、再興される。

 

近隣の長寿寺・常楽寺とともに「湖南三山」として知られており、秋の紅葉時期を始め、多くの参拝者が訪れる。

info

参拝情報

名称
岩根山 善水寺
(いわねさん ぜんすいじ)
所在地
滋賀県湖南市岩根3518
googleMAP
参拝時間
9時~16時
・4月から10月までは17時まで
・受け付けは、閉門の30分前まで
・法要が行われている時間内は内陣拝観ができません。
参拝料金
■個人
大 人:600円
中高生:300円
小学生:無料[保護者同伴時のみ]

■団体(20名様以上、要予約)
大 人:550円
中高生:250円
小学生:100円
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿等
無し
アクセス
■公共交通機関
・JR草津線「甲西駅」下車、湖南市巡回バス下田行き、「岩根」下車徒歩10分、又はタクシー15分
・JR「三雲駅」下車タクシーにて15分
駐車場
有(乗用車:80台、大型バス4台)
Webサイト
https://www.zensuiji.jp/

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