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飯道山の修験を残し伝える寺院

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はんどうじ

飯道寺

滋賀県甲賀市

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滋賀県甲賀市に位置する「飯道寺」は、修験道の開祖とされる役行者の開山と伝えられ、伝教大師最澄や東大寺開山の良弁とも関係の深い寺院です。飯道山で行われていた修験道の文化を残しながら、地域のみなさまに愛される寺院です。

巡りポイント

飯道寺は、飯道山の修験道を色濃く受け継ぐ寺院です。飯道山にまつられてきた仏像群等からは、飯道寺が栄えてきたことが伺えます。修験道という信仰のあり方がどういうものであったのかを感じることができます。

ご本尊・不動明王立像

  • ご本尊・不動明王立像
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最澄によって彫られたと伝わる不動明王像

飯道寺には最澄が彫ったと伝わる不動明王像があったといわれ、一体は元あった飯道山の山の上、もう一体はこちらの不動堂の本尊として祀られている不動明王と伝わったという伝承が残っている。現在の本尊は、室町時代に造られた不動明王立像である。

感想■飯道寺に訪問させていただいた日が縁日で不動祈願が行われたのですが、地域の方々が来られお参りされていました。地域の寺院として愛されていることを感じることができました。それだけ愛されていたからこそ、この寺院が明治時代に飯道山の法灯を引き継ぎ再興されたのだと思いました。

飯道修験

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役行者によって開かれた修験道の霊山

修験道の開祖である役行者が、奈良時代の和同年間に役行者はお堂を建てるためにこの付近にあった鍛冶屋に斧を注文したが、その鍛冶屋は畑の種まきがあり忙しかった。役行者は、野菜がとれるように祈願するからと頼みこみ、斧を作らせた。鍛冶屋は、種まきが遅くなったが役行者のおかげでよく成長しているのをみて驚いた。こうして斧を手に入れた役行者は、杣人を連れ飯道寺というお堂を建てた。

飯道寺開山の後、役行者は大峯山や熊野の修験道場を開いた。飯道山の行者は、笈という箱に役行者の霊と鍵をもって大峯山や熊野に修行へいき、夏が終わると鍵を閉めて戻っていた。明治以降、これが儀式化したのが毎年11月3日に行っている「笈渡し祭」で、檀信徒の所願成就を献じて山伏が採灯護摩を焚く。

感想■修験道の開祖である役行者によって開かれ、今に続く霊地であると伺い驚きました。役行者と鍛冶屋の逸話を伺い、役行者とこの地域の人々の繋がりがあったからこそ地域の人々にとってもこの地がより神聖なものとなり、現在にもその伝統が引き継がれているように感じました。

木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)

  • 木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)
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かつて阿弥陀八幡大菩薩としてまつられた阿弥陀さま

阿弥陀如来坐像は、桧材の寄木造、像高86 cmのお像で平安時代末期頃に造立されたお像である。目は彫眼彩色で、定印を結び蓮華上に結跏趺坐している。かつっれ、同じ村内の常福寺に『阿弥陀八幡大菩薩』としておまつりされていたが、飯道寺に移されまつられている。国指定重要文化財。

感想■穏やかな表情とさらさらと流れるような衣の表現が心に残っています。かつては八幡大菩薩としてもおまつりされていたとお聞きし、神仏習合の一大聖地として多くの僧侶や修験者が集った飯道山周辺の信仰の奥深さを感じました。

木造十一面観音菩薩立像(国指定重要文化財)

  • 木造十一面観音菩薩立像(国指定重要文化財)
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甲賀を代表する十一面観音さま

十一面観音立像は、像高110 cm、主要部を桧材の一木から造立されているお像になります。像内に内刳(うちぐり)を施すために一木を割矧いでいる。腰をわずかに左にひねり、右足を前に出して動きを出している点が特徴である。右手は地面の方向に垂下し、左手には蓮の花を挿した水瓶を持っている。造立時代は、当初鎌倉時代であると考えられていたが、近年彫刻表現などから平安時代末期の12世紀頃に造立されたと考えられている。もとは飯道寺に隣接している山王権現三大神社(現・日吉神社)の御祭神の本地仏として地蔵菩薩立像とともにまつられていたが、明治40年に飯道寺に移された。

感想■指先まで破綻なく美しい姿を彫刻している点が圧巻でした。わずかに腰をくねらせ片足を前に出す様子は、私達の元へかろやかに歩んできているように思え、実際に動いているかのような感覚を覚えました。今から1000年近く昔に生きた職人さんたちの感性に直接触れた心地がしました。

木造地蔵菩薩立像(国指定重要文化財)

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やさしい眼差しで参拝者を見つめるお地蔵さん

地蔵菩薩立像は、像高97 cm、桧材の寄木造で造立されているお像である。彫眼でもともと全身を彩色されていたが、現在はほとんど剥落しており素地が多く露出している。右手には錫杖、左手には宝珠を持っているが、これらの持物や蓮台、光背は後の時代に補われたものという。お像の彫刻表現などから鎌倉時代に造立されたお像であると考えられている。十一面観音菩薩立像とともに、明治40年まで隣接する日吉神社に本持仏としてまつられていた。

感想■体の全面の衣のひだ状の表現が美しかったです。最初、規則正しくU字状に重なっているのかなと見ていましたが、U字の下の頂点部分はそれぞれ微妙にずらしており、それによって衣にリズム感が感じられ、実際に衣を身にまとっているかのようなリアルさを感じました。また、体の局面の造形もすばらしく、角のある木材をどのようにしてこれほど滑らかにしたのだろうかと想像しました。

history

ご由緒

飯道山は、修験道の開祖である役行者が、奈良時代の和同年間に飯道山の山上に杣人12人を連れてお堂を建て修験道上を開いたのが始まりである。そのとき、杣人が後から来る人が迷わないように、自らが持っていたお弁当のご飯粒を木に擦り付けて目印として残していったことにより、山を飯道山と呼び、山頂のお寺を飯道寺と呼ばれるようになった。このお寺は、鎌倉時代には普賢坊宝持坊と称し、江戸時代には比叡山延暦寺の末寺となり、寺号も惣持坊本覚院と改めた。明治25年に廃仏毀釈のより廃寺となっていた山上の飯道寺を継承するため飯道寺へ名を改め、飯道山の修験道の法灯を今に受け継ぐ。

info

参拝情報

名称
金奇山飯道寺
(こんきさんはんどうじ)
所在地
滋賀県甲賀市水口町三大寺1019
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参拝時間
堂内参拝・仏像参拝は事前予約
拝観料
300円
宗派
天台宗
御本尊
不動明王
宝物殿
アクセス
JR草津線 「貴生川」 下車 徒歩 20分
JR草津線 「貴生川」 下車 バス 15分 はーとバス 貴生川巡回 日吉神社下車すぐ
駐車場
有り(5台)

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