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日本人唯一の三蔵法師と空の安全を守る観音さま

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まつおじ

松尾寺

滋賀県米原市

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清流で有名な滋賀県米原市醒ヶ井。この地に空の安全を守る観音様がおまつりされています。役行者が空中より飛来した観音様をおまつりしてから約1300年以上、空中飛行観音様をおまつりする松尾寺は時代の移ろいの中で様々な人々から信仰を集めてきました。また、松尾寺は日本人唯一の三蔵法師である霊仙三蔵とゆかりの深いお寺としても知られています。清流流れる境内に1300年の歴史が息づいています。
  • 霊仙三蔵記念堂

巡りポイント

松尾寺の御本尊様は日本で唯一とされている『空中飛行観世音菩薩(くうぢゅうひぎょうかんぜおんぼさつ)』さまを本尊としている寺院です。飛行に関する珍しい仏さまとして、航空関係者にも篤く信仰されております。

 

また、日本人で唯一「三蔵」という最高位の僧侶の位を授けられた霊仙(りょうぜん)の出身地とも伝えられ、霊仙三蔵を称える記念堂が建てられています。

霊仙三蔵記念堂

  • 霊仙三蔵記念堂
  • 霊仙三蔵記念堂
  • 霊仙三蔵記念堂
  • 霊仙三蔵記念堂
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日本人で唯一の「三蔵法師」・霊仙を称えるお堂

霊仙三蔵は奈良時代から平安時代にかけて生きた僧侶で、日本人で唯一「三蔵」の称号を賜ったとして知られている。三蔵とは、経・律・論の経義に通達した高僧に与える僧侶の最高位の称号であり、西遊記に登場する三蔵法師のモデルとして知られている玄奘三蔵もその一人である。

 

霊仙は、興福寺で経・律を学んだ後、伝教大師最澄や弘法大師空海らと共に唐へ渡った。その後、卓越した梵語(サンスクリット語)の才を認められ、長安の醴泉寺にて『大乗本生心地観経』の翻訳に携わったという。経典翻訳は唐の国家事業であり、霊仙はその大任を成し遂げたことから唐の皇帝である憲宗より認められ三蔵の号を賜ったと伝えられている。また、皇帝の側に控え、いわば皇帝の相談役のよな役割を担った内供奉僧を務めたという。その後、仏教を庇護した憲宗が暗殺されると、仏教弾圧の迫害を逃れ、文殊菩薩の聖地である五台山へ移り、天長4年(827)に五台山の南に位置する霊境寺にて亡くなったと伝えられている。

 

霊仙三蔵の詳細な出生地は近江国とも阿波国とも伝えられ定かではないが、息長氏丹生真人の一族としてこの地で生まれたという説があることから、霊仙三蔵の偉業を後世に伝えるべくこの地に霊仙三蔵記念館が建立された。

感想■西遊記で有名な玄奘三蔵。それらと肩を並べる「三蔵」という優れた位についた僧侶が日本人でいたこと、またこの場所で生まれた可能性があることは大変驚きました。霊仙三蔵がもし日本に帰って来られたとしたら日本の歴史も変わっていたように感じるととともに、偉大な功績を残された霊仙三蔵の偉業がもっと広がってほしいと思いました。

秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩

  • 秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩
    上:秘仏御本尊、下:お前立像
  • 秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩
    お前立・空中飛行観世音菩薩像(左:十一面観音様、右:聖観音様)
  • 秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩
    お前立・空中飛行観世音菩薩像(左:十一面観音様、右:聖観音様)
  • 秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩
    お前立・空中飛行観音菩薩様のうち十一面観音様
  • 秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩
    お前立・空中飛行観音菩薩様のうち聖観音様
  • 秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩
    昭和10年に行われた御開扉の際の看板。この年に本堂に掲げられているプロペラが奉納された。
  • 秘仏御本尊・空中飛行観世音菩薩
    松尾寺に伝えられている木の看板群
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空中から舞い降りた2体の観音さま

松尾寺の御本尊様は聖観音菩薩立像と十一面観音立像であり、2体合わせて「空中飛行観世音菩薩」と称されている。

 

今から約1300年前、修験道の開祖とされる役行者がこの松尾山で修行を行っていた際、空中から聖観音様と十一面観音様が舞い降りたという。役行者は2体の観音像を洞窟の内にまつり、松尾寺の歴史が創始したと伝えられている。

 

御本尊は秘仏としておまつりされており、60年に一度御開扉される。御本尊様は二寸六分(約15㎝)の小さなお像で、二匹の龍が絡む様子を一材から彫られた台座の上に並び立っているという。御本尊様がおまつりされている厨子の前には、お前立の空中飛行観世音菩薩様がおまつりされている。お前立像は、向かって左側に十一面観音様、向かって右側に聖観音様

 

なお、松尾寺には御開扉において実際に掲げられた歴代の木の看板が複数枚伝えられている。最も古い江戸時代前期の看板には「雲中」、江戸時代後期の看板には「雲中飛来尊」と記されており、木札群から時代や産業の変遷に伴い御本尊様の名称も移ろいながら時代を越えて篤い信仰を伝えていることが分かる。

感想■お前立の空中飛行観世音菩薩像を拝見させていただきました。聖観音さまと十一面観音さまをセットとして「空中飛行観世音菩薩」とおまつりしていることは初めてお聞きし、このようなおまつり方もあるのだと驚きました。役行者という伝説的な人物の伝承が今に伝わり、信仰されていることに感銘を受けました。

プロペラ

  • プロペラ
  • プロペラ
  • プロペラ
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空への安全の祈りがこもる

本堂の上部には木製のプロペラが掲げられている。このプロペラは、昭和10年(1935)に執り行われた秘仏御本尊様の御開扉に際し、現在の岐阜県各務原市にあった陸軍飛行学校の方々が飛行安全の願いにより奉納したものである。実際の航空機に用いられたものと同様のものであるという。

感想■大きなプロペラで、旧本堂時代に岐阜から山の上のお堂まで運び奉納したことを思うと、松尾寺の本尊である「空中飛行観世音菩薩」への人々の祈りの強い思いを実感できるようでした。

本堂

  • 本堂
  • 本堂
  • 本堂
    聖観音立像
  • 本堂
    役行者像
  • 本堂
    毘沙門天立像
  • 本堂
    毘沙門天立像
  • 本堂
    不動明王立像
  • 本堂
    薬師如来立像
  • 本堂
    地蔵菩薩立像
  • 本堂
    三修上人坐像(伊吹山における山岳信仰の基礎を整備、上人の弟子の松尾童子が松尾寺を復興)
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1300年の悠久の歴史を伝える

松尾寺の旧本堂は寛文年間に井伊家により再建された堂宇であり、現在の場所よりも松尾山を登った場所に立てられていた。しかしながら、昭和56年、滋賀県北部に甚大な被害をもたらした豪雪により本堂が倒壊してしまった。本堂の再建は松尾寺の方々や信徒の方々の悲願であり、お参りに訪れやすい現在の場所に移して再建された。

 

本堂内には旧本堂や慶長7年(1602)には 19坊、安政4年(1857)には 25 坊存在したとされる子院におまつりされていた仏様を移しおまつりし、堂内で新年に護摩祈禱が修されるほか、様々な法要が行われている。

感想■本堂内部には、山から下ろされた仏さま・異なる子院におられた仏さまなど様々な種類の仏像がおまつりされており、松尾寺とその塔頭の栄華を感じることのできるようでした。本堂の再建は松尾寺や信徒の方々の悲願であり、たくさんの方々のご尽力の賜物と語られるご住職のお言葉に感動しました。

木造阿弥陀如来坐像

  • 木造阿弥陀如来坐像
  • 木造阿弥陀如来坐像
  • 木造阿弥陀如来坐像
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廃仏毀釈が行われた時代に造られた塔頭の御本尊様

本堂の中央に安置されている阿弥陀如来坐像である。現在松尾寺は本堂を中心とした、数宇の建物で構成されているが、慶長7年(1602)には 19坊、安政4年(1857)には 25 坊存在したとされる複数の子院から構成される一山寺院であった。本像はそのうちの影向院の御本尊様で、現在の松尾寺本堂がある場所がもともと影向院が存在していた場所であることから中央に安置されている。

 

造立された時代は、明治時代の初めころとされている。この時期には廃仏毀釈運動により、日本各地で多くの仏像や経典が破却された時代でもあり、仏教の受難の時代に造立された大きな阿弥陀如来様という観点から、全国的にも珍しい仏様であると指摘されている。

感想■このお像には、現在は別置保管している六角柱の台座もあり、そこには人一人が身を隠すことのできるスペースがあることをお聞きしました。廃仏毀釈運動の過激化により、仏像や経典が破却されるなか、他の仏様には見出せないそのような特殊な構造があることは大変想像の捗る興味深い仏様であると思いました。

木造聖観音菩薩立像(米原市指定文化財)

  • 木造聖観音菩薩立像(米原市指定文化財)
  • 木造聖観音菩薩立像(米原市指定文化財)
  • 木造聖観音菩薩立像(米原市指定文化財)
  • 木造聖観音菩薩立像(米原市指定文化財)
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平安時代中期に造立された穏やかな観音さま

左手に蓮華を持ち、右手は第一・二指を捻じる聖観音菩薩立像である。体部の衣文から平安時代11世紀に造られたと考えられる。火災に遭ったとみられ、江戸時代初期に修復が行われている。そのため、像表面には厚く盛られており、造像当初の表情とは異なっているとみられる。

感想■顔がぷっくりと膨らんだ聖観音像で、体の表現に対して大きいと感じたのですが、修理によって今の姿になったとお聞きし、納得できました。火災という被害に遭いながらもきれいな姿に修復され、現在にも拝み続けられていることにこの像の霊験性を感じました。

鱒霊供養・鳥獣霊供養

  • 鱒霊供養・鳥獣霊供養
  • 鱒霊供養・鳥獣霊供養
    境内を流れる渓流に鱒が泳ぐ
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自然豊かな醒井ならではの供養

松尾寺周辺には140年ほど前にできた日本最古であり最大級の養鱒場である滋賀県醒井養鱒場がある。この養鱒場は多くの鱒が育てられており、鱒によって生計を立てている方が多くいた。

 

またこの地域には狩猟で生計を立てている人も多く、鹿などの動物を狩りすぎてしまいほぼいなくなってしまったことがあり、年に一度動物を狩らない日を定めて供養を行うこととしていた。

 

鱒の養殖や狩猟に携わる方々が鱒や動物の供養を行う位牌があり、毎年供養を行っている。鱒に関するこのような供養は養鱒場が近い松尾寺ならではである。松尾寺には醒井楼という料理店があり、そこで養鱒場で育てられた魚を食べることができる。

感想■動物の供養を行うことは他の宗派も含めると様々な寺院で行っているように感じるのですが、鱒に特化している供養があることには驚きました。この醒井という場所で松尾寺が愛され続けている証拠であるようにも感じました。

旧本堂跡(滋賀県指定史跡)・丁石(米原市指定文化財)・坊跡・石造九重塔(国指定重要文化財)・松尾寺七不思議

  • 旧本堂跡(滋賀県指定史跡)・丁石(米原市指定文化財)・坊跡・石造九重塔(国指定重要文化財)・松尾寺七不思議
    旧本堂に掲げられていた山号額
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松尾山一帯に祈りが広がる

現在の本堂から約1時間ほど登山道を登ると、松尾寺の旧本堂跡にたどり着く。

 

旧本堂は、寛文年間(1661~1672)に彦根藩の援助により建立された建物で、桁行三間、梁間三間の入母屋造、正面に一間の向拝が付属、背面以外の三方に縁をまわす建物であったが、昭和56年の豪雪により倒壊してしまった。

 

平成3年度~10年度にかけて、本堂跡の発掘調査が実施され、基壇中央から銅椀や鉄皿、瀬戸・美濃の陶器皿など多数の埋納品が発見された。これらは、寛文年間の本堂建立の際に納められた地鎮具と考えられている。また、本堂の周辺からは、平安時代前期から近代までの遺物が発見され、1000年以上の松尾寺の祈りの歴史の一端が明らかになった。平成23年には、旧本堂跡地が滋賀県の史跡に指定されたことに加え、本堂まで続く参詣登山道の路傍に建つ31基の丁石が平成24年に米原市の文化財に指定された。

 

本堂跡の周囲には、松尾寺を後世していた子院の跡である坊跡が残されている。子院は、慶長7年(1602)には 19坊、安政4年(1857)には 25 坊存在したとされ、西側斜面と南側へ伸びる尾根上に現在も残る平坦地には、「明静院」・「勧善院」・「養運院」・「律院」・「正寿院」・「詮寿院」・「妙覚院」などの名前が伝えられ、土間や座敷の痕跡が発掘調査により発見されている。

 

本堂跡の近くに建つ石造九重塔は、高さが約5mの石塔で、基礎から先端部分の相輪部まで文永7年(1270)の建立当初の部材が残る貴重な石塔。方形の基礎部分の三面には、宝瓶に蓮の花が活けられている様子を彫り、残りの一面には、石塔が建立された日時「文永七庚午八月日」と建立者の名前が刻まれている。基礎の上の軸石と相輪上部の方形部分に四方仏が彫られている。

 

松尾寺には、古くから七不思議として様々な逸話が伝えられている。それぞれの逸話は以下の通り。

 

1つ目の逸話:空中より飛来した御本尊様。

 

2つ目の逸話:飛来した御本尊様が降り立った影向石。石の表面に御本尊様の足跡が残ると伝わる。

 

3つ目の逸話:役行者の斧割水(よきわりみず)。役行者が水を求めて弟子に岩を割らせたところ清水が湧き出したと伝わる。

 

4つ目の逸話:鐘を鋳造した場所とされる大きな凹地「鐘イリ場」。中央の亀石の周辺で不浄なことを行うと腹痛になると伝えられている。

 

5つ目の逸話:水のない堀切に架けられている石の一本橋。境内へ入るためには、必ずこの一本橋を渡らなければならなかったという。

 

6つ目の逸話:悪い事を行うと大岩の間に挟まれるという「ハサミ岩」。

 

7つ目の逸話:弘法大師が使用した箸が成長したとされる夫婦杉。

感想■今回の訪問では訪れることはできませんでしたが、山上にはかつての松尾寺の祈りの空間が広がっているとお聞きしました。近年、地域の方々や信徒の方々によって参道が整備されたと伺い、境内の様子が移り変わっても、皆さんが抱く熱い想いに心が動かされました。いつか、お参りしたいです。

report

学生レポート

立命館大学 博士課程

今回の訪問では、松尾寺に伝わる文化財の数々と様々な人々が集う松尾寺の姿が印象深く心に残っています。

本堂におまつりされている仏さまのお顔はどのお方も優しい表情をされており、願いを受け止めてくれる安心感を抱きました。また、様々な仏さまがおまつりされており、大いに繁栄したという松尾寺の多様な信仰を垣間見えました。特にご本尊「空中飛行観音」のお前立の小さな2体の観音像は、可愛らしい見た目ながら金色に光り輝き迫力ある存在感がありました。お話の中で、ご本尊を支える2体の龍の台座が素晴らしいとお聞きしたので、いつかご本尊が御開帳されるときにお参りしたいと思いました。

また、ご住職とのお話の中で、松尾寺に様々な人々が訪れていることを教えていただきました。仏像が好きな人や梵鐘が好きな人、武将が好きな人など多様な人々を集める松尾寺の姿を教えていただき、いつの時代も多くの人々に愛される松尾寺の姿であったからこそ1000年以上の歴史を紡いでいるのだと感じました。時を忘れていつまでも過ごしていたいと思えるほど多様な魅力にあふれるお寺だと強く感じました。

history

ご由緒

寺伝によると、680年、修験道の開祖として知られる役行者(役小角)が山中で修行中、空中より2体の観音像が飛来し、その2体の観音像を洞窟にまつったことに歴史が始まるという。奈良時代には付近の山岳霊場の総称である「霊仙七カ寺」の一つに数えられた。平安時代には伊吹山の三修上人の弟子である松尾童子により復興・整備が行われ、大いに発展したという。

 

しかしながらたびたび戦乱や天災に巻き込まれ、戦国時代には織田信長により焼き討ちされたという。その際、ご本尊である2体の観音像は自ら飛び上がり影向石に降り立ったとされ、「空中飛行観音」として信仰をあつめた。

 

江戸時代には、彦根藩の庇護により山上に本堂が再興され約50の坊が築かれ「松尾寺村」が形成されたという。また、日本人唯一の三蔵法師である霊仙三蔵が修行した地と伝わり、近年「霊仙三蔵堂」が麓に建立された。

info

参拝情報

名称
普門山 松尾寺
(ふもんざん まつおじ)
所在地
滋賀県米原市上丹生2054
googleMAP
参拝時間
松尾寺へご用事の方は、事前に醒井楼までご連絡をお願い致します。

醒井楼 電話番号
昼間:0749-54-0120
夜間:090-7357-0371
拝観料
志納
宗派
天台宗
御本尊
聖観音・十一面観音(空中飛行観音)
宝物殿
あり
アクセス
■公共交通機関
●JR米原駅下車後、米原市乗合タクシー「まいちゃん号」に、「米原共通1 米原駅(東口)」又は「米原共通2 米原駅(西口)」停留所から乗車。「上丹生9 醒井養鱒場」で下車。

●JR醒ヶ井駅下車後、米原市乗合タクシー「まいちゃん号」に、「米原共通35 醒ヶ井駅」から乗車。「上丹生9 醒井養鱒場」で下車。

※米原市乗合タクシー「まいちゃん号」は、乗車を希望される便の出発時刻の30分前までに、近江タクシー(TEL0749-52-8200)へご予約が必要です(令和7年7月1日より)。

※米原市乗合タクシー「まいちゃん号」のご利用のうち、早朝(6時~9時まで)の便をご利用される場合は、前日午後9時までの予約が必要です。

■車
米原IC口より、国道21号及び県道17号を経由し約10分(6 km)。
駐車場
あり(無料)
Webサイト
https://joyous-breath-bdf.notion.site/23b34c4457188049bff8ed4df7930e9f
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