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ご由緒
寺院名である霊通山清瀧寺徳源院は京極家の法名からとられている京極家と関係の深い寺院で、鎌倉時代に京極家初代の京極氏信によって開かれた。後に京極家は衰退するが、京極家19代目の京極高次が関ヶ原の戦いで東軍となり大津城に籠城し、西軍を引き止めたことが徳川幕府に評価され、8万石の若狭小浜城として破格の待遇で迎えられ大名家まで立て直した。これにより京極高次を中興の祖としてまつる。管理されていなかった京極家の墓石を22代目高豊が整備し、現在の鎌倉時代から江戸時代までの墓石をまつられる京極家墓所や三重塔が造られた。
