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京極家一同が静かに眠る

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とくげんいん

徳源院

滋賀県米原市

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滋賀県米原市の落ち着いた山麓に位置する徳源院は、宇多源氏の家系で武将としても有名な京極家のために作られた寺院です。鎌倉時代から江戸時代に至るまでという長い期間の京極家のお墓が、境内に並べられています。京極家とともに歩んできた徳源院、今でもそのつながりを感じることができます。

巡りポイント

徳源院は京極家の菩提寺として建てられた寺院で、京極家とのつながりが強く山号も寺院名も京極家のお殿さまの法名からきています。境内には京極家のお墓である石塔や京極家によって造られた三重塔、お殿さまのための庭園等京極家との関係の深さを感じられます。お殿さまのために造られた空間は、現在では多くの人々に開かれ、さまざまな人々の憩いの場となる空間が広がっています。

京極家墓所(国指定史跡)

  • 京極家墓所(国指定史跡)
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京極家の鎌倉時代から江戸時代までが眠る墓所

京極家の墓所で、鎌倉時代から江戸時代にかけての宝篋印塔が並ぶ。京極家の始祖である氏信が創建した徳源院は、氏信死後からこのお寺を菩提寺として定め、歴代当主の墓所とした。その後衰退しさまざまな場所に散っていた墓所を、京極家22代目である高豊が整備を行い、今の形となる。600年にわたる宝篋印塔群は、時代の変遷を知る上で貴重なものであると国指定史跡となっている。

感想■これだけ多くの宝篋印塔が並びおまつりされている様子は、類をみないものであり、歴代の京極家の先祖代々を敬う気持ちが表れているようでした。現在の京極家の墓所は他の場所に移っているそうなのですが、毎年京極家の方々がお参りに来られるそうです。徳源院という空間が、先祖代々と今を繋ぐ貴重な祈りの空間となっているのだと感じることができました。

三重塔(滋賀県指定有形文化財)

  • 三重塔(滋賀県指定有形文化財)
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京極家22代目の京極高豊によって建てられた江戸時代の名建築

三重塔は記録がないものの、17世紀の京極家22代目京極高豊によって行われた徳源院再興時に建立されたと考えられている。内部には須弥壇を設け、その上に厨子が置かれる。厨子内には江戸時代作の如意輪観音・地蔵菩薩・毘沙門天像が安置されている。

感想■今回は特別に三重塔の中を拝観させていただきました。中の厨子に安置されているお像は、小さいながらも丁寧に表現され、彩色も綺麗な状態が残っていました。このような立派な三重塔や仏さまを造り、境内を整備した京極高豊の先祖を想う篤い気持ちに感銘を受けました。

位牌堂

  • 位牌堂
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京極家の位牌(お像)が並ぶお堂

位牌堂では、京極家代々のお殿さまの像を中心としておまつりしている。このお寺では、京極家のお殿さまの像を位牌としておまつりしており、代々の京極家のお殿さまの像が並ぶ。位牌の前に全身が白い武士の像がある。これは京極忠高が亡くなった時に、殉死した2人の姿を表している。現在でも忠高のそばにおり、墓所でともにおまつりされている。

感想■位牌堂の中には、ご位牌としてそれぞれの方のお像がおまつりされていて、そのようなことは珍しくどのような人であったのかを視覚的に考え想うことができるようでした。位牌の前に白いお像がありこの二人のお像は主君が亡くなったときに殉死された方であるとの説明を受け、それだけ慕われる方であったのであるとともに、現在もこのような形で共におられている姿に忠義の思いが溢れているようでした。

本堂

  • 本堂
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    阿弥陀如来立像
  • 本堂
    伝教大師坐像
  • 本堂
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多くの縁がつながり完成した本堂

20年ほど前に再建された本堂である。お寺の周辺の山から切り出した木材を使用している。檜だけでも200本ほどを切って使用しており、製材所をやっている友人や工務店をやっている友人が手伝ってくれた縁によってできている。お寺の本尊は秘仏の聖観音菩薩で、ご開帳の日は決まっていない。本堂の向かって右脇に、小部屋のような場所がある。こちらは前の本堂にもあり、お殿様がこちらに入り庭を眺めるために造られた空間である。

感想■立派なお堂の木がこのお寺の周りから切り取られた木で、このお堂は友人が手伝ってくれたことでできたという話を聞いて驚きました。これはご住職の人柄と仏さまが結んでくれた縁の力なのだと感じました。

護摩の間

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幽霊が飛び出してきた瞬間をあらわす

本堂の左脇には、護摩をたく部屋が設けられている。不動明王立像を中心に護摩祈祷が行われる。不動明王立像の右隣りには、幽霊の姿が描かれた掛軸が掛けられている。この掛軸は、長浜市大路町出身の画家である清水節堂(しみずせつどう、1876-1951)によって描かれたものであると近年判明した。掛軸の表層も描く「描表装(かきびょうそう)」という表現技法を用いて描かれており、あたかも幽霊が掛軸から飛び出してきたような感覚を参拝者に抱かせる。もともとは、個人の方の所蔵であったが徳源院に寄進され、原本は秋の寺宝展などの機会に展示しているという。

感想■薄暗い護摩の間を覗き込み、ぼんやりと白っぽい幽霊の姿を目にした瞬間、おもわず声をあげて驚いてしまいました。注意深く見てみると、幽霊の表情や体の透けている表現は非常にリアルで、また描表装で描かれている掛軸の表層部分は絵であるとは思えないほど精緻に描かれていました。何度見ても目の前に幽霊が立っているかのように見え、怖い気持ちを抱きながらもこの絵を描いた清水節堂の技術力に見惚れました。

庭園(滋賀県指定名勝)

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お殿様しか見ることのできなかったスケールの大きな庭園

伊勢湾台風の影響を受け水がないが池泉回遊式の庭園で、ここから見える山の上の方まで道が続き、その高いところから庭や村を眺めるというスケールの大きな庭庭園である。現在は新しく造られた建物の縁側からも眺めることができるが、以前まで京極家のお殿様本堂にある窓からしか眺めることのできない贅沢な庭であった。春や秋の季節には桜や紅葉を拝観に来られます方が増える。

立派な庭園で、山の上まで道が続いてまわることができると聞いた時には驚きました。江戸時代には京極家のお殿様が本堂の窓からしかこの庭園を眺めることのできなかったという話を聞いて贅沢な庭であると感じるとともに、現在では私たちも見ることができてありがたいと思いました。

展示室

  • 展示室
    菩薩立像
  • 展示室
    如意輪観音坐像
  • 展示室
    弁財天坐像
  • 展示室
    不動明王立像
  • 展示室
    地蔵菩薩像
  • 展示室
    十一面観音菩薩立像
  • 展示室
    禁制札
  • 展示室
    崇源院(江)自筆消息 常高院(初)宛
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周辺の塔頭におまつりされていたお像たち

本堂と位牌堂を結ぶ通路に、展示場所を設けかつて徳源院の周りにあった十二坊の小寺に安置されていた仏像等を展示している。以前は本堂奥の見えないところにあり、こちらに移したことで多くの人に見てもらえるようになりました。さまざまな種類のお像が展示されており、それぞれの尊格の特徴・違いを理解することができるようになっている。

感想■多くのお像、様々な種類のお像がまつられていて、それぞれのお像の特徴の説明がありました。違いを見比べながら拝観することができ、勉強になりました。以前は本堂の奥にまつられていたそうで、多くの方に拝観してもらえる位置に来られて誇らしそうにしているようにも感じました。

report

学生レポート

奈良大学大学院1回生

お寺を案内していただいている中で、このお寺にいると心が落ち着いてホッとした気分になり、いつまでもこの場所にいたいという思いになりました。このお寺が、京極氏の菩提寺として続いてきたお寺であり、現在は違う場所に菩提寺を移している中でも毎年親族の方がお参りに来られている話を伺い、ものすごく長い間京極氏をはじめとした多くの人たちに愛されているお寺なのだと知ることができました。長くこの関係が続き、現在に間で守り伝えられてきているのには、徳源院というお寺がただ京極家のお墓があるだけでなく、そのお墓が大事に守られ京極家のみならず多くの人々にとっても憩いの空間ができているのだと感じることができました。

history

ご由緒

寺院名である霊通山清瀧寺徳源院は京極家の法名からとられている京極家と関係の深い寺院で、鎌倉時代に京極家初代の京極氏信によって開かれた。後に京極家は衰退するが、京極家19代目の京極高次が関ヶ原の戦いで東軍となり大津城に籠城し、西軍を引き止めたことが徳川幕府に評価され、8万石の若狭小浜城として破格の待遇で迎えられ大名家まで立て直した。これにより京極高次を中興の祖としてまつる。管理されていなかった京極家の墓石を22代目高豊が整備し、現在の鎌倉時代から江戸時代までの墓石をまつられる京極家墓所や三重塔が造られた。

info

参拝情報

名称
霊通山徳源院清瀧寺
(れいつうざんとくげんいんせいりゅうじ)
所在地
滋賀県米原市滋賀県米原市清滝288
googleMAP
参拝時間
事前連絡必要
9:00~16:00
拝観料
300円
宗派
天台宗
御本尊
聖観音菩薩
宝物殿
なし
アクセス
■公共交通機関
JR東海道本線 「柏原」 下車 徒歩20分。
■車
名神高速関ヶ原ICもしくは北陸自動車道米原ICから車で15分
駐車場
普通車:10台、大型車:3台

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