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ご由緒
奈良時代の天平年間に行基によって開基された古刹であると伝えられており、以前は元福寺という寺院である。史料としては残されていないが、奈良時代の製作とみられる布目瓦が出士し、僧房がたくさん並ぶ巨大な寺院であったとみられる。出土する史料と行基による開基という寺伝は大きく開きはない。このお寺がある加茂という地域には「寺内」と称する一区があり、これは加茂という地域が願福寺の境内であったということを示している。
地域の人々によって守られる奈良時代からの古刹
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がんぷくじ
滋賀県近江八幡市
お堂の内部に入ると、ご本尊・薬師如来坐像の大きさと迫力に驚かされます。奈良時代から続く古刹のご本尊としての風格だけでなく、悪いものが地域に入らないように見守る地域を守る仏さまとしての風格も感じられます。
願福寺薬師如来坐像は平安後期の像で、像高が140㎝程の大きな像である。平安時代後期の像ならではの穏やかなお姿である。令和2年に修復が行われた。修復以前は江戸時代の新しい金箔が貼られた金びかな状態であった。痛みが進んでいたことから、美術院にて専門家の意見を伺いながら修復を行われた。外された漆箔の下地の紙張りの裏側からは、享保7年(1722)の銘が記されており、修復が繰り返されながらこの像が守られてきたことも分かった。
数十年前まではお寺として瓦葺きの立派なお堂が建ち、塀に囲まれた立派なお寺であった。大きな台風が来たときに屋根の瓦が落ちてしまっていたこともあり、整備が行われ、今の大きさの建物となっている。
1月、2月、8月、12月の8日の日に八日薬師講のお勤めを行う。お寺を守っていくために、この地域では60歳ぐらいになるとお寺を守る集まりが作られている。 天台宗のお寺だが、長く兼務の寺院で薬師講も総代が順番に導師を務めている。現在は3人の総代がおり、そのほかに60歳を超えると入ることになっている集まりに2人がいる。その計5人でお寺を回しており、この形で長い間このお寺が守られている。
学生レポート

奈良大学大学院1回生
ご由緒
奈良時代の天平年間に行基によって開基された古刹であると伝えられており、以前は元福寺という寺院である。史料としては残されていないが、奈良時代の製作とみられる布目瓦が出士し、僧房がたくさん並ぶ巨大な寺院であったとみられる。出土する史料と行基による開基という寺伝は大きく開きはない。このお寺がある加茂という地域には「寺内」と称する一区があり、これは加茂という地域が願福寺の境内であったということを示している。
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