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ご由緒
東照寺のご本尊・薬師如来立像は伝教大師により開眼され牧村の岡山城主・九里家に代々伝わる守り仏であったという。天正9年(1581)に九里兵部小輔が討ち死にした際に川に流れ、その後川の中から里の百姓が発見しおまつりしていた。その後東照寺に移され、ご本尊としておまつりされるようになった。
伝教大師が開眼したという伝承が残る薬師如来をおまつりする
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とうしょうじ
滋賀県近江八幡市
東照寺におまつりされる仏さまは、地域の人々が祈りを捧げてきた仏さまになります。先人たちの祈りの姿を写しているかのように、それぞれが個性的で親しみやすいお顔をされています。
東照寺のご本尊は、伝教大師が開眼したと伝えられている薬師如来立像である。伝承によれば、この薬師如来立像は、もともと牧村(現在は牧町)に存在した岡山城主・九里家に代々伝わっていた守り仏であるという。天正9年(1581)12月20日の夜、九里兵部小輔が観音寺城に登城する際、織田信長の家臣である柴田勝家の兵と戦闘となり、討死にしたという。その際、背中に背負っていた守り仏は川に流れてしまったという。その後しばらくして、里の百姓が川の中に金色の光が輝いている光景を発見し、その光のもとにはこの守り仏があったという。霊験を感じた百姓は自宅に持ち帰りおまつりしていたが、後に東照寺へと移されご本尊としておまつりされるようになった。渦巻き状の頭髪が特徴的なお像であるこの薬師如来像は、近年の調査により江戸時代の造立であることが明らかとなった。
須弥壇上には江戸時代頃に造立されたと考えられている様々な仏さまがおまつりされている。ご本尊の厨子のまわりには十二神将立像が、厨子の内部には千手観音立像がおまつりされる。さらには不動明王立像や金色に輝く阿弥陀如来坐像もおまつりされている。
学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年
ご由緒
東照寺のご本尊・薬師如来立像は伝教大師により開眼され牧村の岡山城主・九里家に代々伝わる守り仏であったという。天正9年(1581)に九里兵部小輔が討ち死にした際に川に流れ、その後川の中から里の百姓が発見しおまつりしていた。その後東照寺に移され、ご本尊としておまつりされるようになった。
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