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円山神社とともに天下泰平を祈願する寺院

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ほうしゅじ

寶珠寺

滋賀県近江八幡市

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滋賀県近江八幡市の円山山麓に位置し、円山神社の別当寺院として天下泰平を祈願する寺院です。戦乱に多く巻き込まれたため多くの文書等が失われてしまい、残念ながら創建などには不明な点も多いとのことですが、そんな戦乱に巻き込まれながらも多くの歴史や文化を守り伝え、地域に根差し篤く信仰されています。

巡りポイント

平安時代から円山神社と周りの地域を見渡す毘沙門天立像がおられる寶珠寺は、「近江八幡の水郷」として重要文化的景観の第一号に制定されたお寺でもあります。毘沙門天さまが見守ってきた「水郷」とともに、階段を登り毘沙門天さまやお地蔵さまにお参りください。

木造毘沙門天立像(国指定重要文化財)

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平安時代からこの地を見守る毘沙門天像

毘沙門天立像はクスノキと思われる広葉樹材による一木造で平安末期の像で、像高は100㎝程である。現状は剥落しているが、当初は彩色が施されていた。 本堂の修復にあたり、重要文化財に指定されるこのお像を県に寄託するという話も出た。信者さんと師僧で話し合いが行われ、この地でお守りしたいという熱い思いによりこの収蔵庫ができ現在もこの地でお守りしている。

感想■寶珠寺の毘沙門天立像は、100cmほどの大きくはないお像でありながら、収蔵庫の中央におられる姿は堂々としており、重量感や存在感を強く感じさせるお像でした。それに加え、細部まで細かく表現された服装や甲、端正な顔立ちからは気品だかさも感じられるようでした。長い間この地に守られ続けこのような綺麗な姿でおられることからは、この像の霊験とともにこの像を愛し信仰してきた人々の篤い思いが現れているようで、収蔵庫が建てられこの地でお守りされ続けられていることに毘沙門天像も誇らしいような表情をしているようにも感じられました。

本堂

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重要景観構成要素の一つの江戸時代建築

本堂は、宝形造のお堂である。平成18年に重要文化的景観第一号として、「近江八幡の水郷」が制定され、同時に寶珠寺本堂も重要景観構成要素として選定された。老朽化が著しい状態であったことから、選定の翌年に修復工事が行われ、往時の姿を取り戻した。修理の際に、江戸時代の弘化4年(1847)に造立されたことが記された棟札が発見された。

感想■階段を登った場所に建つ宝珠寺の本堂は、小さいながらも宝珠寺の長い歴史を引き継ぎ守り伝えているお堂で、中に安置されているお像や寺物からは宝珠寺の歩んできた歴史の一端を感じられるようでした。江戸時代にできたこのお堂は琵琶湖畔の水郷の風景とマッチし、昔から続く風景をそのまま感じることのできる場所で、時間もゆっくりと流れているようでした。

木造地蔵菩薩坐像と寶珠寺にまつられる仏さま

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寶珠寺と足利尊氏との関係を感じさせる地蔵菩薩

地蔵菩薩坐像は、像底に書かれている墨書によって院派仏師の1人と思われる「院□」(□は解読不明)という仏師によって貞治2年(1363)に造られたことが分かる像である。文和4年(1355)正月には、占領されていた京都を奪還すべく攻め上がる際に、足利尊氏らとともに後光厳天皇が武佐から円山山麓へ遷座している。円山のこうした歴史的な背景によって京都との結びつきを強めたと考えられており、このような地蔵菩薩像がこの地でまつられたと考えられている。他にも不動明王立像や阿弥陀如来立像、役行者像など様々な仏さまがおまつりされている。

感想■あまり大きくないお像でありながら、目尻が鋭い凛々しい表情や体部のどっしりとした表現をしている地蔵菩薩像は力強く、目で周囲を威圧しているように感じられるようでした。南北朝時代の在銘像であることに加え、足利尊氏が篤く信仰した地蔵菩薩が足利尊氏と関係した地に残っていることに運命的なつながりを感じました。また、地蔵菩薩像の他にも様々な時代の様々な仏さまがおまつりされていて、往時の円山が人の集まる拠点というだけでなく、信仰という側面でも重要な場所であったのだと思い至りました。

report

学生レポート

奈良大学大学院1回生

今回特別に拝観させていただいた毘沙門天立像も、琵琶湖文化館に移されるか収蔵庫を造るかというお話がありましたが、地域の皆様の思いによりこの地に残され大切におまつりされていると伺いました。

訪問させていただいた日に円山神社のお祭りの準備を地域の皆様が行っていたのですが、ご住職と皆様が気軽にお話をされているのをみて、このような地域の人々や周辺の寺院、円山神社等様々な「繋がり」を大切にされている寺院であるからこそ、この地で守っていきたいという声があがり、現在もこの地で篤く信仰されてきているのだと思いました。

history

ご由緒

如意山寶珠寺という寺院で、江戸時代に何度も火災等の被害にあったため、創建は不明である。宝暦4年(1754)に澄堯大和尚によって中興開基されたことは分かっている。 このお寺は宮寺ともいい、寶珠寺の上にある円山神社の別当である。円山神社にも当然宮司さんがいたが、別当が円山神社の管理を行い、その下で宮司さんが神社の管理を行っていた。当寺と同様の宮寺の集まりを、「玉泉門中」といい、寶珠寺に加え、近隣の願成就寺、福圓寺、東光寺、地福寺の計5か寺で形成され、集まって行事を行っている。今でも年に一回、高祖天台智者大師の忌日の11月24日に合わせ、門中寺院什物の天台の三大師のお軸を持ち回りにてお勤めをしている。 明治時代に入り、神仏分離の影響を受け、以前あった寶珠寺の所領はすべて円山神社に移ったが、お堂だけは寶珠寺として現在まで守られ続けている。

info

参拝情報

名称
如意山寶珠寺
(にょいさんほうしゅじ)
所在地
滋賀県近江八幡市円山町170-2
googleMAP
参拝時間
堂内参拝は事前予約
拝観料
志納
宗派
天台宗
御本尊
毘沙門天
宝物殿
なし
アクセス
■公共交通機関:JR琵琶湖線近江八幡駅下車後、近江鉄道・湖国バス長命寺線に乗り換え。『円山』バス停下車後、徒歩5分
駐車場
無し

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