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比叡山におわす神々をおまつりする

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ひよしたいしゃ

日吉大社

滋賀県大津市

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日吉大社の境内は比叡山の麓に広がる坂本に広がっています。延暦寺が創建されてから延暦寺と密接な関係を築き、共に祈りの歴史を紡いできた神社です。神体山とされる八王子山を含め、13万坪の広さを誇る境内には約40の社が立ち並び神々の世界が広がっています。

巡りポイント

日吉大社の広大な境内には桃山時代から江戸時代にかけて建立された社殿が並び立っています。境内に伝えられている建物を詳細に見ていくと神と仏が共存していた信仰の空間の一端を感じることができるだけでなく、神仏習合の信仰が今も伝えられていることに気づかされます。日本屈指の神と仏が交わる世界が境内に広がります。

川に架かる3つの石橋(国指定重要文化財)

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神々の世界の入口に架かる禊の橋

日吉大社の境内に流れる大宮川には江戸時代初期に架けられた3つの石橋が伝えられている。それぞれ大宮(西本宮)、二宮(東本宮)、走井社に続くことから、大宮橋、二宮橋、走井橋と呼ばれている。大宮川には結界の意味があり、川を渡ることそのものが禊(みそぎ)の意味を持っている。そのことから日吉大社には通常の神社にある手水が設けられていないという。江戸時代初期に造立された石橋として3基とも国の重要文化財に指定されている。

感想■大宮川に結界の意味があり、橋を渡ることで禊をしたことになることを初めて知りました。神々の世界へ向かう前に自然と禊が行われるように境内を整備した先人たちの工夫に驚かされました。

山王鳥居・猿塚・神猿舎

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比叡山の祈りを体現する建物群

西本宮への参道を進んでいくと通常の明神鳥居に山がついたような形をしている山王鳥居が見えてくる。山王鳥居の形は、鳥居の上の部分が「山」、下の部分が「王」、合わせて「山王」という文字を表しているとも、金剛界・胎蔵界の世界を表しているとも言われている。また、日吉大社にお参りしてから比叡山延暦寺へ登っていったことから、合掌鳥居とも呼ばれている。山王鳥居の近くには猿塚と呼ばれる古墳が築かれている。古来の豪族の墓とされ、日吉大社の付近に約70基の古墳が確認されている。死期を悟った神様の使いである神猿が、この塚に入っていったという伝承があり、「猿塚」と呼ばれる様になったという。さらに、付近には神猿舎が建てられている。江戸時代頃の絵図に描かれていることから、少なくとも江戸時代には境内で猿が飼育されていたという。

感想■日吉大社を代表する山王鳥居。その形に様々な意味が込められていることを知りました。複数の意味が込められていることが、様々な神々や仏がおまつりされている比叡山の姿を示しているように感じました。また、日吉大社の付近に70基もの古墳が築かれていることを知り、延暦寺が開かれるより以前から先人たちが神聖な場所であるという認識が確立されていたのだと驚きました。

西本宮本殿(国宝)

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奈良から来た都の守り神をおまつりする

西本宮の創始は天智天皇が都を大津に遷した667年にさかのぼる。天智天皇は、大津京の守り神として奈良の大神神社から大己貴神(おおなむちのかみ)をおまつりし、大宮とも呼ばれるようになった。現在西本宮の社殿の多くは、織田信長による焼き討ちの後に再建された建物である。西本宮の入口に建つ楼門の軒下四隅には神猿の彫刻が飾られており、参拝者を神猿が見守っているという。西本宮の本殿は「日吉造」と呼ばれる日吉大社独自の建築様式で建てられており、国宝に指定されている。本殿の内部は二層構造になっており、上層部分は大己貴神をまつる内陣と外陣に分けられている。下層部分は下殿(げでん)と呼ばれ、明治時代までは仏像や掛け軸が安置され、宮仕(みやじ)という日吉大社に仕える僧形の神職がここで仏事を行っていたという。上層の内陣には天皇陛下が即位の際に座る高御座(たかみくら)と同型式のものが安置されている。本殿の左右には、桃山時代に安置された獅子と狛犬が安置されるほか、住吉神(東側の竹台)と八幡神(西側の竹台)をおまつりする竹が植えられている。

感想■本殿が2層構造になっていることに驚きました。下層部分を覗くと、実際に仏事が行われていたときについたという煤で部屋が黒くなっており、神仏習合の祈りの空間が実際に広がっていたことを実感しました。また、本殿の左右にある竹台など、そこにある意味がちゃんとあり、秘められた意味や歴史を体感することができました。

宇佐宮・白山宮(国指定重要文化財)

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女神がおまつりされる2つの社

西本宮の北方には、田心姫神(たごりひめのかみ)をおまつりする宇佐宮と菊理姫神(くくりひめのかみ)をおまつりする白山宮が建つ。宇佐宮の本殿は日吉造、白山宮の本殿は流造の様式で建てられている。両社とも安土桃山時代に再建された建物であると考えられている。宇佐宮の軒下の部材には、寺院で見られる鰐口や懸仏がかけられていた痕跡が残っている。

感想■本殿の前でお参りすると、安土桃山時代に建立された本殿の堂々たる姿に圧倒されました。通常の神社では中心となる御本殿の近くに建つ摂社は一回り以上小さな建物になる印象でしたが、日吉大社の宇佐宮や白山宮は非常に大きな建物で、どれほど多くの人々に信仰されていたのかが伝わってきました。

東本宮本殿(国宝)・樹下宮(国指定重要文化財)

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比叡山に降り立った神と女神をおまつりする

日吉大社の境内の北方には東本宮が建立されている。東本宮には比叡山を構成する八王子山に降り立った大山咋神(おおやまくいのかみ)がおまつりされている。西本宮本殿と同様に東本宮本殿も日吉造で建てられており、上部に大山咋神をまつる空間が、下部に仏事を行う下殿が設けられる二層構造で建てられている。また東本宮の参道と直角に交わるように樹下宮が建てられている。樹下宮には鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)がおまつりされている。樹下宮本殿は流造で建てられている。東本宮と樹下宮は八王子山にある牛尾宮と三宮の里宮として建てられたとも伝えられている。

感想■近い空間に雄大な社殿が林立する空間に圧倒されました。重要文化財に指定される楼門をくぐると、安土桃山時代に建てられた東本宮の本殿・拝殿、樹下宮の本殿・拝殿が並び立つ空間が広がっており、中世の絵図に描かれた世界に踏み込んだかのような感覚を覚えました。

金大巌と牛尾宮・三宮(国指定重要文化財)

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大山咋神が降り立った地に建つ

東本宮と西本宮の中間にある山道を30分ほど登ると、大山咋神が降り立ったと伝えられている地にたどりつく。琵琶湖を見下ろすこの地には太古より伝えられる磐座である金大巌(こがねのおおいわ)と牛尾宮・三宮が建つ。金大巌は、社殿が建つ前は朝日に照らされると黄金に輝いて見えたことからこのように名付けられたという。江戸時代に発生した地震により半分に割れてしまい、その割れた部分が参道の途中に留まっている。金大巌の向かって右手には大山咋神荒魂(おおやまくいのかみのあらみたま)をおまつりする牛尾宮が建てられている。懸造で建てられた牛尾宮の社殿は本殿と拝殿に分かれている。本殿は二層構造で建てられ、下部には下殿がある。また、内部には、七夕伝説の彦星にあたる神様をまつる牛御子社(うしみこしゃ)と百太夫社(ももだゆうしゃ)がある。三宮には鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめのかみのあらみたま)をおまつりし、内部には牛御子社に対応する織姫にあたる神様をおまつりする寵御前社(うつくしみまえしゃ)がおまつりされている。山王祭では、牛尾宮と三宮内に神輿が担ぎ込まれ、山上で1か月間おまつりされる。

感想■大山咋神が降り立ったとされる金大巌の大きさに驚きました。しかしながら、現在の金大巌はもとの半分の大きさで江戸時代に崩壊する前は倍の大きさであったとお聞きし、その雄大さと神々しさに圧倒されました。また、断崖絶壁に建つ牛尾宮と三宮の社殿の美しさとそこから見える景色に感動するとともに、山王祭の際に急な坂である参道を神輿を担いで上がるというお話に驚きました。

神輿収蔵庫

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桃山時代に制作された神輿が輝く

牛尾宮と三宮への参道の入口の近くに桃山時代に制作された7つの神輿を収蔵する収蔵庫が建てられている。東本宮、西本宮、宇佐宮、白山宮、樹下宮、牛尾宮、三宮の山王七社の神輿がそろって現存し国の重要文化財に指定されている。それぞれの神輿に異なる意匠が施されている。牛尾宮の神輿は八角形で、燕が乗るのが特徴。樹下宮の神輿には神猿の彫刻が施され、東本宮の神輿には飛龍が付き、葵の御紋が入っていることから徳川家の寄進であると考えられている。一番大きな西本宮の神輿には理由は不明ながら、中国皇帝のみ使用が許された五本爪の龍の彫刻が施されている。また、それぞれの本殿の近くには現在使用されている御神輿がおさめられている建物が設けられている。

感想■金色に光り輝く神輿の迫力に息をのみました。また、細部までよく見るとそれぞれの神輿ごとに違いがあり、時間を忘れて見入ってしまいました。また、現在使用されている神輿も大きな神輿で、その大きな神輿を人力で担ぎ上げる山王祭をぜひ見てみたいと思いました。

奥総社

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最澄の父が子授けの祈りを捧げた場所に建つ

牛尾宮や三宮より15分ほど山道を歩いた先に奥総社は建つ。奥総社が建つ場所は、かつて日吉大社の神宮寺が建っていた場所とされ、発掘調査の結果、中世のお堂の跡が発見されている。かつてこの場所で、最澄の父である三津首百枝(みつのおびとももえ)が子授けの祈願をして、最澄を授かったと伝わる。奥総社にはあらゆる神々である天神地祇(てんじんちぎ)がおまつりされるほか、山王神のお像と伝教大師最澄のお像がおまつりされている。奥総社の扉には延暦寺の古堂の材が使われるほか、内部には中世のお堂の礎石が今も残されている。なお、奥総社の付近の山道は回峰行で使用される道である。

感想■伝教大師のお話に登場する場所が伝えられていることに感動しました。実際に最澄の父である三津首百枝がこの場所で祈りを捧げたことで、伝教大師の歴史が始まったのだと思うと感慨深く気持ちになりました。

日吉茶園

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伝教大師が伝えた茶の子孫が芽吹く

京阪電鉄坂本比叡山口駅の隣に日吉茶園はある。唐より帰国した伝教大師は、比叡山の麓の坂本の集落に持ち帰った茶の種を植えたと伝えられている。この日吉茶園に育つ茶の木は伝教大師が持ち帰った茶の子孫であると伝えられ、坂本の人々により大切に守られてきた。大正11年から戦後の昭和21年まで、天皇陛下にこの日吉茶園のお茶を献上していたという歴史がある。その当時、日吉大社の境内には茶葉を生産する建物が建っていたという。毎年八十八夜(5月1日か5月2日)には茶摘祭が執り行われ、日本各地から多くの参列者が集う。

感想■茶摘祭に参列させていただきました。電車が到着する音や車が行き交う音が聞こえる中、祝詞が街中に響く様子を見ていると、このような街中で1200年以上もお茶の木が大切に守られてきたことの凄さに圧倒されました。詳しくお聞きすると江戸時代の文献には「御茶園」と記されているそうで、この茶園が坂本の人々に大切にされてきたことを実感することができました。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科2年

雄大な社殿が並び立つ圧巻の光景が印象深く心に残るとともに境内に広がる神仏習合の祈りの空間に圧倒されました。今回の訪問では伝えられている各社殿について詳しくご案内いただき、神仏習合の祈りを今に伝える独特な二層構造を持つ日吉造の本殿は興味深かったです。また、社殿を詳細にみると明治時代までに設置されていた懸仏や鰐口の痕跡が残っていることを教えていただき、比叡山に広がっていた神仏習合の空間の壮大さを学びました。さらに、猿塚や西本宮の左右の竹台におまつりされている住吉神や八幡神など境内にある様々な社殿や植物、モノに秘められている歴史や意味があることを学ぶことができ、それらの歴史が複雑に絡み合うことで比叡山に広がる多様な文化が生み出され続けてきたのだと感じました。

history

ご由緒

八王子山に大山咋神が降り立ったことに始まるという。その後、667年に天智天皇が大津に都を遷都した際に奈良より大己貴神が勧請され、現在の東本宮と西本宮のようにおまつりされるようになったという。延暦7年(788)に伝教大師が比叡山寺を建立した際には日吉社を守護神として定め、さらに平安京の鬼門にあたることから鬼門除け・災難除けの社として大いに崇敬を集めた。中世にかけて山王神道の中心地として大いに隆盛したが、織田信長の焼き討ちにより社殿が焼失した。その後、豊臣秀吉の援助により復興され、桃山時代に建立された社殿群が今に伝えられている。

info

参拝情報

名称
日吉大社
(ひよしたいしゃ)
所在地
滋賀県大津市坂本5丁目1-1
googleMAP
参拝時間
9:00~16:30
拝観料
■入苑協賛料
 個人:大人500円、中高生300円 ※小学生以下の方は無料
 団体:30名以上 大人450円
宗派
神道
御本尊
西本宮:大己貴神、東本宮:大山咋神、宇佐宮:田心姫神、牛尾宮:大山咋神荒魂、白山宮:菊理姫神、樹下宮:鴨玉依姫神、三宮 :鴨玉依姫神荒魂
宝物殿
あり(神輿収蔵庫)
アクセス
■公共交通機関
JR湖西線「比叡山坂本駅」から徒歩20分
京阪石山坂本線「坂本比叡山口駅」から徒歩10分

■車
名神高速道路「京都東IC」で下車、湖西道路西大津バイパス(国道161号)経由、「滋賀里ランプ」で下車、丁字路で県道47号を左折し北へ道なり(「京都東IC」より約20分)
駐車場
あり(最大50台)
Webサイト
https://hiyoshitaisha.jp/

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