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ご由緒
かつてこの地には第4代天台座主安慧の里坊があったと伝えられている。後の慈恵大師良源がこの地で比叡山での修行の決意を固め比叡山に登ったことから、「求法寺」と称されるようになった。慈恵大師ゆかりの場所として、鎌倉時代に慈恵大師の像が造立され、この像がご本尊となっている。現在の元三大師堂は正徳4年(1714)に上棟された建物で、滋賀県指定文化財になっている。毎年1月3日には元三会、9月2日には御誕生会がとりおこなわれ、ご本尊・慈恵大師坐像が御開帳される。
慈恵大師が比叡山へ登る覚悟を固めた地に建つ
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ぐほうじ
滋賀県大津市
建物の中央にはご本尊・慈恵大師良源坐像がおまつりされています。ご本尊のまわりには慈恵大師良源が如意輪観音の化身とされたことから如意輪観音像がおまつりされるなど、元三大師堂の堂内は比叡山に広がる元三大師信仰の歴史が詰まっています。
求法寺のご本尊・慈恵大師良源坐像は、鎌倉時代に造立されたお像で、国の重要文化財に指定されている。像底の底板には朱漆で記された銘文が残されており、その銘文には、円暹(えんせん)を願主とし、仏師の法橋院農(いんのう)と絵師の法橋快円(かいえん)により文永4年(1267)に造立されたことが記されている。仏師である院農の詳細は明らかではないが、「院」とつくため院派に連なる仏師であるとの指摘がある。織田信長焼き討ちの際に比叡山より逃れ、琵琶湖の東岸である湖東地域の坂田郡名越村(現長浜市)に一時安置されていたと伝えられている。秘仏であるため、通常厨子の扉は閉められているが、毎年1月3日の元三会と9月2日の御誕生会において御開帳される。
ご本尊さまに向かって左側の壇上には、金色に光り輝く如意輪観音坐像がおまつりされている。慈恵大師良源は如意輪観音の化身であるという信仰が慈恵大師没後に生まれたことにより、慈恵大師良源像と如意輪観音像は同時におまつりされることが多いという。この信仰の起源の一つとして、慈恵大師が如意輪法を盛んに修法したことが考えられている。慈恵大師は、天元2年(979)、円融天皇の皇子誕生祈願のために東塔檀那院にて70日間にもわたる如意輪法を修しただけでなく、永観2年(984)には、慈恵大師の指示のもと、山科花山妙業坊(元慶寺を構成する子院の一つ)にて円融天皇の皇子である懐仁親王(かねひとしんのう、後の一条天皇)と母である詮子の列席とともに如意輪法が修され、この霊験により師貞親王は花山天皇として即位し、懐仁親王は東宮となったという。このような信仰を今に示すように、元三会や御誕生会では如意輪観音をあらわす真言が唱えられている。
求法寺の本堂である元三大師堂は、正徳3年(1713)に建築が始まり正徳4年(1714)に上棟した建物である。この建物に伝えられている棟札には、大工として次郎左衛門尉という名前が記されており、この次郎左衛門尉は同じ坂本にある西教寺本堂(国指定重要文化財)を建てた大工と同じ系統に属すという。正面五間・側面三間の礼堂の後ろに正面三間・側面3間の正堂が「凸」字形に接続している。礼堂内部の柱を省略するために優れた架構技術が施されている。これは、参拝者が多く参拝できるための工夫であるという。内部は極彩色に彩られている。
学生レポート

立命館大学生命科学研究科2年
ご由緒
かつてこの地には第4代天台座主安慧の里坊があったと伝えられている。後の慈恵大師良源がこの地で比叡山での修行の決意を固め比叡山に登ったことから、「求法寺」と称されるようになった。慈恵大師ゆかりの場所として、鎌倉時代に慈恵大師の像が造立され、この像がご本尊となっている。現在の元三大師堂は正徳4年(1714)に上棟された建物で、滋賀県指定文化財になっている。毎年1月3日には元三会、9月2日には御誕生会がとりおこなわれ、ご本尊・慈恵大師坐像が御開帳される。
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