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ご由緒
推古13年(605)に聖徳太子によって創建されたと伝わる。この地を訪れた聖徳太子が林の中の大岩の上で教えを説いたことが寺号の由来。ご本尊は聖徳太子が石に刻んだとされる観音像。難産を帝王切開により助けたという伝承から子授け・安産守護の信仰や困難な願いも二度参拝すれば成就するという「再度詣りの観音さま」としての信仰もある。江戸時代前期に建立された書院の周辺には室町時代に整備されたという庭園や小堀遠州により築かれたという庭園が広がり多くの人々が集う。
美しい自然の中に観音さまの浄土が広がる
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きょうりんぼう
滋賀県近江八幡市
今より1000年以上昔、聖徳太子が巨石の上で様々な生物に仏教の教えを説いたという教林坊。そんな教林坊の境内には、様々な動植物が集い、教林坊の境内には自然が調和し美しい風景が広がっています。
大きな岩が重なる岩屋の中、そこに教林坊のご本尊・観音菩薩がおまつりされている。かつて仏教の教えを発信する場所を探していた聖徳太子は、山麓に光り輝く場所を発見して観音菩薩と遭遇し、この地に寺を建てて仏教の教えを説くように伝えられたという。その言葉に従い、聖徳太子は観音菩薩の姿を石に彫り、岩屋の中に安置した。その石仏が教林坊のご本尊であり、現在も岩屋の中におまつりされる。岩屋の上には「太子の説法岩」と呼ばれる巨石が残り、林の中で説法されたことから「教林坊」と名付けられた。
書院は江戸時代前期に建立された茅葺屋根の建物である。書院内部には庭園側に付書院が設けられている。通常付書院の近くには掛け軸をかける床の間が設けられるが教林坊の書院には設けられていない。付書院の障子を開けると庭園の石組が見え、その様子が掛け軸がかけられているように見えることから「掛軸庭園」と呼ばれ、床の間が設けられていないという。また、階段を上り屋根裏に上ると、教林坊に伝えられた文書や文化財が展示されている。また、大黒天像や聖徳太子像、近江八幡市指定文化財の釈迦如来像がおまつりされている。
書院の西面に広がる庭園は、江戸時代初頭に活躍した小堀遠州の手による作庭と伝わる。聖徳太子が説法したと伝わる説法岩をとりこみ、大きな石を利用した豪快な石組が特徴である。書院側には池が設けられ、池の対岸を蓬莱山に見立て不老不死の世界を表現している。また庭の石組を使って鶴や亀を表現し、聖徳太子の説法岩を中心にし、説法を聞いているように配置されている。その中にカエルのように見える岩があり、聖徳太子が仏教の教えの勉強中に鳴き声がうるさく聖徳太子に懲らしめられたという逸話が残るため、カエルだけ説法岩に背を向けたように見える配置になっている。なお書院南面には室町時代に作庭されたという庭園が残されている。
本堂は瓦葺の建物であり、内部に様々な仏さまがおまつりされている。特にお前立の観音菩薩さまの背後がガラス張りになっており、背後の岩屋が見えることがわかる。これは建物内から岩屋内のご本尊を拝むことができるようにしているという。他にも本堂内には仁王像、聖天さま、不動明王像がおまつりされている。
学生レポート
立命館大学生命科学研究科3年
ご由緒
推古13年(605)に聖徳太子によって創建されたと伝わる。この地を訪れた聖徳太子が林の中の大岩の上で教えを説いたことが寺号の由来。ご本尊は聖徳太子が石に刻んだとされる観音像。難産を帝王切開により助けたという伝承から子授け・安産守護の信仰や困難な願いも二度参拝すれば成就するという「再度詣りの観音さま」としての信仰もある。江戸時代前期に建立された書院の周辺には室町時代に整備されたという庭園や小堀遠州により築かれたという庭園が広がり多くの人々が集う。
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