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ご由緒
桓武天皇の勅願により伝教大師最澄が開創したと伝わる。かつては近江富士として知られる三上山の麓に伽藍を構えていたという。往時は七堂伽藍を備える大寺院であったが、戦乱や天災に巻き込まれ、現在の琵琶湖湖畔に移転してきたという。ご本尊は、国の重要文化財に指定される十一面観音立像。平安時代である11世紀頃の造立と伝えられており、井上靖氏の小説『星と祭』で「天平の貴婦人がそこに立っているかのよう」と称されるなど、その美しさから日本全国より参拝者が集う。
天平の貴婦人がたたずむ琵琶湖湖畔の古刹
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ふくりんじ
滋賀県守山市
天平の貴婦人の姿を目にしているようであるとたくさんの人々から称されるご本尊・十一面観音立像。そして、子供の成長の願いを受け止める子安地蔵菩薩、織田信長による焼討ちを逃れたという平安時代の阿弥陀如来坐像など様々な仏さまがおまつりされています。多くの人々の願いを受け止めてきた福林寺の仏さまにお会いしませんか。
かつて桓武天皇の勅願により伝教大師最澄が三上山の近くに建立したという福林寺。その際に伝教大師が造立したという十一面観音像が、現在もご本尊としておまつりされる十一面観音立像であると伝わる。
ヒノキ材の一木造のお像で、平安時代の11世紀頃までには造立されていたと考えられている。美しい彩色が今に残り、2023年に彩色の剥落止め等の修復が行われた。お像の背後には織田信長による焼討ちを逃れたという伝承通り、戦禍に巻き込まれた痕跡が残っているという。小説家・井上靖氏は、小説『星と祭』のなかでご本尊を「天平の貴婦人がそこに立っているかのよう」と表現するなど、数多くの人々がその美しさに圧倒されている。秘仏。
本堂中央にまつられる十一面観音菩薩立像は、通常秘仏であるご本尊さまのお前立ちとして造立された観音さまであるという。数十年前のある日、信者の方がお前立ち像を造立するとご住職に話し、しばらくするとこのお像が福林寺に寄進されたという。
本堂左側にまつられる地蔵菩薩像。古来より子供の無事の成長を願う仏さまとして信仰を集めているという。右手に錫杖を左手に宝珠を持つ。
本堂右手には、福林寺を開いた伝教大師最澄のお像と比叡山の整備に尽力し、おみくじや角大師と深い関係のある慈恵大師良源のお像がまつられている。
本堂と棟続きの極楽殿には、平安時代に造立された阿弥陀如来坐像を中心とする阿弥陀三尊像をはじめ、様々な仏様がまつられている。
阿弥陀三尊の中尊である阿弥陀如来坐像は、高さが約90cm、平安時代末期に流行した彫刻様式「定朝様」で彫刻されている。かつて、織田信長による焼討ちから逃れたという伝承を持つ。近年の調査により、そのことを示すように頭部と胸部は平安時代の造立、その他の部位は江戸時代に補われたことが判明した。
阿弥陀如来坐像は2017年に修復が完了、脇侍の観音菩薩像と勢至菩薩像は2025年に開眼され、往時の美しい阿弥陀三尊のお姿がよみがえった。
境内にたたずむ2基の石造宝塔は、宇治川の合戦で梶原影季(かじわらかげすえ)と先陣争いを繰り広げた佐々木高綱(ささきたかつな)が、宇治川の合戦の前に経筒をおさめた納経塔であると伝わる。2基とも、四面に格狭間(こうざま)をつくり蓮華を刻む基礎石の上に、仏を刻む宝塔部分、その上に軒反りが少ない屋根、一番上に相輪がのる。これらの様式から鎌倉時代の造立と考えられている。国重要美術品。
学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年
ご由緒
桓武天皇の勅願により伝教大師最澄が開創したと伝わる。かつては近江富士として知られる三上山の麓に伽藍を構えていたという。往時は七堂伽藍を備える大寺院であったが、戦乱や天災に巻き込まれ、現在の琵琶湖湖畔に移転してきたという。ご本尊は、国の重要文化財に指定される十一面観音立像。平安時代である11世紀頃の造立と伝えられており、井上靖氏の小説『星と祭』で「天平の貴婦人がそこに立っているかのよう」と称されるなど、その美しさから日本全国より参拝者が集う。
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