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一大信仰空間が形成された近江屈指の山岳霊場

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こんしょうじ

金勝寺

滋賀県栗東市

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ハイキングの山として多くの人々が登山を楽しむ金勝山(こんぜやま)。そんな金勝山は、山全体に仏教文化が広がる近江屈指の宗教空間が広がる霊山でもあります。その信仰の中心を担っていたお寺が金勝寺です。お寺が開かれてから1300年の歴史をもつ金勝寺には、往時の隆盛を今に伝える様々な仏さまがおまつりされています。

巡りポイント

像の高さが3メートルをゆうに超える軍荼利明王立像や2メートル近い釈迦如来像など大きく圧倒される仏さまが数多くおまつりされています。また、巨木が林立し、神秘的な山岳信仰の空気が立ちこめる境内も見所です。

釈迦如来坐像(国指定重要文化財)

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2メートルを超える巨大なご本尊さま

本堂中央には、平安時代に造立されたと考えられているご本尊・木造釈迦如来坐像がおまつりされている。平安時代後期頃に流行した定朝様の特徴を踏襲しつつ、螺髪の粒が細かく、衣文が浅く並行に並ぶことから、定朝が活躍した時期より時代を経た12世紀半ばから後半にかけて造立されたと考えられている。。印相として、施無畏印(せむいいん)と与願印(よがんいん)を結んでいる。なお、虚空蔵堂にまつられている虚空蔵菩薩像は、釈迦如来坐像の右脇侍であったと考えられている。

感想■像高2メートルを超えるお釈迦さまの迫力に圧倒されました。本堂の中央にどっしりと座り、このような仏さまに頼りたい、願いを祈りたいと思わせる安定感を感じました。金勝山一帯に信仰空間を形成した金勝寺の中心におまつりされる仏さまとしてふさわしい姿をされていました。また、山上にこのような巨大な仏さまをどのように安置したのか不思議に思いました。

良弁僧正坐像と願安法師坐像

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良弁僧正により金勝寺は創建され、願安法師により整備された

本堂の向かって右の壇には、桃山時代(16世紀)に造立されたと考えられている良弁僧正と願安法師の坐像がおまつりされている。良弁僧正は天平5年(733)、聖武天皇の願いを受け金勝寺を開いたという。願安法師は、平安時代のはじめ、金勝寺一帯の伽藍を整備したと伝わる。良弁僧正坐像、願安法師坐像の両者ともヒノキ材がから造立されている。

感想■良弁僧正と願安法師のお姿には、まさにそこに座っているかのように感じさせる存在感と迫力がありました。良弁僧正のお顔は微笑みをたたえていて、「山上の本堂までよくたどりついた」とあたたかく出迎えていただいているような印象を持ちました。願安法師のお顔は、心の内をすべて見透かされているような力強い目力が印象的で、金勝寺の発展に寄与し、たくさんの僧侶たちの規範となったであろう願安法師の迫力を感じました。

馬頭観音菩薩立像

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馬のまち・栗東市を象徴する仏さま

競走馬のトレーニングセンターが位置し、多くの人々が馬に親しみを持つ栗東市。本堂の向かって右側に安置されている馬頭観音菩薩像は、馬と関わる人々からの信仰をあつめているという。馬頭観音菩薩は頭上に馬の頭がのることから、煩悩を食い尽くし、畜生道に落ちた人々を救う仏さまである。髪は燃え上がる様子を感じられる「焔髪(えんぱつ)」で、額には第三の目をもち、正面では馬の口をかたどった印相である「馬口印(ばこういん)」を結ぶ。

感想■おまつりされている馬頭観音のお姿は、小さいお像ながら非常に力強く前に座ると背筋がピンと伸びるような迫力を感じさせました。競走馬のトレーニングセンターが同じ市内にあることから、関係者の参拝も多いそうで、本堂の中には馬をかたどった絵馬が多く奉納されていました。

不動明王立像

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鎌倉時代の金勝寺の姿を反映するお不動さま

根幹部にヒノキを用いる一木造の不動明王立像。鎌倉時代に造立されたと考えられている。総髪(そうはつ)で、花が咲いているように髪を結び(莎髻、しゃけい)、左肩に弁髪を垂らす。右目で天を、左目で地をにらみ(天地眼)、右の牙を上に、左の牙を下に出している。鎌倉時代、金勝寺を中心とする山岳信仰文化を形成していたお寺、山口寺(さんこうじ)に伝来していた。また、不動明王立像の左右には、周辺の山々にまつられている神々や役行者像、蔵王権現像がまつられている。

感想■光に照らされた不動明王像のお顔からは、凜々しさとともに厳しさも感じられました。鎌倉時代、金勝寺を中心とする金勝山は、山岳信仰の聖地として日本全国から信仰を集めたと言います。不動明王のお顔から受けた印象は、金勝山の繁栄と山岳修行の厳しさを表わしているのかなと感じました。

二月堂・軍荼利明王立像(国指定重要文化財)

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参拝者を圧倒する3メートルを超える巨像

平安時代、10世紀に造立されたと考えられている軍荼利明王立像。日本で最大・最古の巨像である。ヒノキの一木造で、頭髪を逆立てる炎髪、上歯列で下唇を噛み、怒りに満ちた眼で参拝者をむかえる。過去に2度ほど展覧会に出張されたこともあるという。

感想■二月堂に入ると、見上げるばかりの軍荼利明王立像の圧倒的な迫力に息を呑みました。体を中心に放射状に広がる8本の腕の動き、まさに悪いものを懲らしめようとすることを表わしているかのような髪の毛の逆立ちやギョロリとした大きな目、そうした一つ一つの造形の素晴らしさに見とれました。

虚空蔵菩薩半跏像 (国指定重要文化財)

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ご本尊・釈迦如来の右脇侍としてまつられていた巨像

計り知れない知恵と福徳にあふれる仏として知られる虚空蔵菩薩は、平安時代以降、学業成就の仏として大いに信仰を集めたという。その信仰の中心となる求聞持法(ぐもんじほう)の本尊として信仰されてきた。平安時代である10世紀に造立されたと考えられている虚空蔵菩薩像は与願印と施無畏印を結び、右足を踏み下げている。その姿から、かつて金勝寺に存在した大講堂において脇侍をつとめるお像であると考えられている。一木造で衣文には翻波式の名残が見えるという。

感想■穏やかな表情を私たちに向ける虚空蔵菩薩像。かつては、本堂におまつりされている釈迦如来坐像の脇をかためるお像であったとご住職からお聞きしました。それぞれのお像が2メートルを超える巨像で、これらのお像がおまつりされていた往時の姿を思い起こすと、金勝寺の繁栄が大いに感じられました。

毘沙門天立像(国指定重要文化財)

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滋賀を代表する勇ましい姿の毘沙門天さま

平安時代の10世紀頃に造立されたと考えられている一木造の毘沙門天立像。その数型は、宝珠をのせる兜をかぶり、目をいからせ口を結び、右手で戟(げき)を握り地面に突き立て、左手手のひらに宝塔をのせる。同時代の951年に造立されたとみられる六波羅蜜寺の四天王立像と比較すると、やや細身であることから、それ以降の造立と考えられている。

感想■すらっとした立ち姿に心惹かれました。実際に甲冑を着た武人が目の前に立っているかのように思えるほど、毘沙門天立像が醸し出す気迫や息づかいに圧倒されました。

地蔵菩薩坐像(国指定重要文化財)

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平安時代に造立された穏やかな地蔵菩薩

平安時代の12世紀に造立された地蔵菩薩坐像。金勝寺宗教文化圏を構築していた寺院・山口寺に伝来していた。明治32年頃に修復が行われ、その翌年に国の重要文化財に指定された。光背には十王像が刻まれている。

感想■穏やかな表情を向ける地蔵菩薩像。金勝寺宗教文化圏を代表するお像として明治時代に国の重要文化財に指定されたとお聞きしました。なだらかで優美な曲線で表現されたお地蔵さまのお顔や体からは、参拝する人々を包み込むような優しさを感じました。また、光背に刻まれている小さな十王像も必見です。

御香水

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毎年朝廷に献上していた清らかな清水

朝廷の祈願寺として大いに栄えた金勝寺。境内には、明治まで毎年朝廷に献上していた清水が湧く場所がある。毎年、小正月である1月15日に天皇陛下に出される小豆粥。その小豆粥に金勝寺で湧出し加持された清水が使われていたという。

感想■天皇陛下が召し上がる料理に使用されていた清水の存在から、金勝寺の繁栄と人々の拠所としての重要性が垣間見えました。残念ながら、明治3年の献上物廃止令により途絶えたそうですが、この清水の存在は金勝寺の魅了ある長大な歴史を私たちに教えてくれているように感じました。

仁王門

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2メートルを超える巨大な仁王像がにらみをきかせる

参道の先に立つ仁王門の両脇には、鎌倉時代に造立されたと伝わる巨大な仁王像がにらみをきかせている。

感想■全身が赤く塗られ、筋骨隆々な巨大な仁王像は、今にも動き出しそうと思えるほど、写実的な印象を受けました。拳を握り力がみなぎる腕の表現や体の重心をわずかに左右にずらす表現に圧倒されました。

金勝寺遺跡

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往時の繁栄を今に伝える建物跡

昭和60年に行われた発掘調査により梁行5間、桁行9間の巨大な建物の建物跡が確認された。現在も12ヶ所以上残る礎石は花崗岩製で直径約60センチメートルほどの円座を刻む。また。この付近からは9世紀後半の土器も発掘されており、建物もその当時の建物ではないかと考えられている。地表には礎石があったと推測される場所に模造の礎石を置く。大講堂跡に推定。

感想■桁行9間、梁行5間の巨大な建物が、険しい金勝山内に建立されていたことに驚きました。それほどの建物が建っていたということは、金勝寺が大いに繁栄していたということを表わしていると思います。しかしながら、金勝寺を中心とする宗教文化圏の全体像は不明なことも多いということで、今後どのような発見があるか楽しみです。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科2年

金勝寺の境内を巡ると、おまつりされるお像や建物、それらに秘められた歴史が規格外で、圧倒されることの連続でした。仁王像や釈迦如来坐像、軍荼利明王立像の大きさに、金勝山の山上に広がっていた宗教文化の豊かさを感じました。そして、仏さまのお像の隣に周辺の神々がまつられているなど神仏習合の信仰が垣間見え、山岳信仰の聖地として日本中に名を馳せた金勝山の信仰が今も紡がれていることに感動しました。金勝寺を中心とする金勝山の宗教文化圏の全体像は、わかっていないことも多いとお聞きし、今後秘められた歴史や文化が明らかにされていくのか楽しみです。

history

ご由緒

天平5年(733)、聖武天皇の勅願により、平城京の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として創建された。開基は東大寺初代別当の良弁僧正。8世紀の中頃までには、近江国の複数の寺院を統括する寺院となり、金勝山大菩提寺と称し、法相宗・興福寺の仏教道場であった。弘仁6年(815)には、嵯峨天皇の勅願を受け、興福寺僧・願安が伽藍を整備し、天長10年(833)には仁明天皇により、鎮護国家の僧侶を育成する道場である定額寺に列せられ、金勝山金勝寺となった。その後、平安時代後期頃に天台宗寺院へと変わり、山岳信仰の一大聖地として、その後大いに繁栄したという。その後、多くの戦乱に巻き込まれながらも法灯を維持し、金勝寺を中心とする信仰文化を今に伝えている。

info

参拝情報

名称
金勝山金勝寺
(こんしょうざんこんしょうじ)
所在地
滋賀県栗東市荒張1394
googleMAP
参拝時間
9:00~17:00(但し、12月から3月は9:00から16:00)
拝観料
500円(団体参拝20名様以上 450円)
宗派
天台宗
御本尊
釈迦如来
宝物殿
アクセス
県道12号 栗東信楽線沿い、道の駅「こんぜの里りっとう」向かい側にある林道入口から約10分。
※林道に入ってからは道幅が大変狭くなります。お車の運転は、くれぐれもご注意願います。
駐車場
あり(10台以上)
Webサイト
https://www.konsyoji.com/

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