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ご由緒
長和2年(1013)に寂源により創建された。90年後に創建される来迎院とともに声明研鑽の道場として大いに栄えた。境内には、平安時代後期に造られた梵鐘や鎌倉時代頃の宝篋印塔が残り、当時の遺風を感じさせる。伽藍の中心に建つ本堂は、安永7(1778)年に再建された総欅造の建築である。数多くの彫刻が飾られ、江戸時代中期頃の気風を今に伝えている。
人々を見守る「証拠の阿弥陀」
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しょうりんいん
京都府京都市左京区
御本尊に向かって左側には毘沙門天立像が、向かって右側には不動明王立像が安置される。また、十一面観音立像や白象の上に乗る普賢菩薩坐像、白衣観音立像、御本尊との逸話が残る法然上人のお像がおまつりされている。また、以前の本堂(享保21年(1736)に焼失)が、祟源院(お江の方)の菩提を弔うために春日局により建立されたことから、祟源院の御位牌がまつられている。
本堂に向かって右側に建てられている。石塔の基礎部分に正和五年(1316)の銘文が残されている。塔身(塔の中央部分)には胎蔵四仏と呼ばれる宝幢如来(ほうとうにょらい)、開敷華王如来(かいふけおうにょらい)、無量寿如来(むりょうじゅにょらい)、天鼓雷音如来(てんくらいおんにょらい)を表す種字が刻まれている。
学生レポート

奈良大学文学部文化財学科3年
ご由緒
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