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日本音楽の原点 天台声明が境内に響きわたる名刹

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らいごういん

来迎院

京都府京都市左京区

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木の葉がひらひらと舞うようにお経を独特の節回しで唱える声明(しょうみょう)。日本音楽の原点とも称される声明の聖地が京都市北部・大原の里にあります。声明を大成した良忍が過ごした来迎院では、今もなお平安時代に造られた仏の前で声明が響き渡り、境内をいろどります。

巡りポイント

来迎院は、大原に位置し多くのお堂を有した大寺院でした。現在では多くの建物が失われてしまっていますが、声明や文化財が守り伝えられています。来迎院の静かな境内には声明が今もなお響き渡ります。

薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像(国指定重要文化財)

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大伽藍を有していたことを伝える仏像

来迎院の本堂には平安時代に造られた薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来の三体の如来像がおまつりされ、いずれも重要文化財に指定されている。 かつてこの三像はそれぞれ別のお堂に安置されていたという。しかしながら室町時代の火災によりお堂が失われ、復興後は一つのお堂で祀られるようになった。 来迎院の薬師如来は「耳の薬師様」とされ、耳の病気に特にご利益があるとされている。また、脇侍として毘沙門天立像と不動明王立像がおまつりされている。

感想■中央にお祀りされている三体の如来像は穏やかで優しい表現をしており、お像をみると落ち着いた気持ちになれるように感じました。良忍上人は、このような落ち着いた場所で仏教と向き合い研究をしていきたかったのだと思いました。

天台声明

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来迎院に伝わる天台声明の調べ

慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建し、聖応大師良忍によって再興された来迎院には天台声明にまつわる聖教が数多く伝えられている。声明を唱える際に使用する経典には、音程をどのように上げたり下げたりするのか、どこの音を伸ばすのか、など記号で細かく記されている。

感想■声明の記号を見ながら、実際にご住職に唱えていただきました。漢字でたった14文字の文章ですが、1つの漢字に複雑に音が組み込まれていました。1文字1文字を時間をかけ唱える姿からは、経典に記された1文字1文字を漏らさず間違わずに大切にしたいという気持ちが伝わってきました。

来迎院如来蔵の文書群(国宝及び国指定重要文化財)

  • 来迎院如来蔵の文書群(国宝及び国指定重要文化財)
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延暦寺の焼き討ちから逃れ守られてきた貴重な文書

来迎院にある如来蔵という蔵には、数多くの貴重な文化財が残されている。 代表的なものとして、国宝『伝教大師度縁案並僧綱牒』がある。これは奈良時代末期に伝教大師最澄が国家公認の僧侶として認められたことを示す当時の公的な文書であり、極めて貴重なもの。元は延暦寺で保管されていたが、織田信長による焼き討ちの際、麓にある来迎院に避難させられたと言われている。他にも国宝『日本霊異記』や良忍の自筆文書など、数多くの文献資料を今に伝えている。
感想■延暦寺に伝わっていた文書類が、織田信長の焼き討ちから逃げ、この地で守られていたことを聞き驚きました。何としてでも残さなければならないと感じた人々の努力により、山から降ろされ今に伝わっているのだと感じました。

聖応大師良忍の墓(国指定重要文化財)

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来迎院再建の祖を祀る三重の石塔

来迎院を再興した良忍上人は、伝教大師最澄が唐から伝え慈覚大師円仁が体系的に伝えた声明の道場をこの地に開いた。天台声明はここを中心とした伝承されてきた。声明とは法要儀式に際し、経文や真言に旋律抑揚を付けて唱える仏教声楽曲である。 石製三重塔は鎌倉時代前期の作であるとされ、重要文化財に指定されている。
感想■本堂の奥に聖応大師良忍の墓が建っていました。緑に囲まれたおだやかな場合でした。その光景は、身分を問わず様々な人々に教えを説いたという良忍さんのお人柄を表しているのかなと感じました。良忍さんがこの地で現在でも集中して声明等の修行を続けているようにも感じました。

report

学生レポート

奈良大学文学部文化財学科3年

声明を聞かせていただきました。一つの文字に対してそれぞれ博士がつき、その博士に従って唱える音はお堂に響きわたっていました。聴いていて自然と背筋がピンと伸びるような緊張感を感じるとともに、抑揚がつき声で全身を包み込んでくれるような温かさや柔らかさも感じました。今回は一部でしたがより長く聞いてみたいと思うとともに、長い声明を唱えている体力や技術というものが十分に必要であり、それを短期間でマスターした良忍さんの凄さの一端を感じることができました。

history

ご由緒

寺伝では平安時代前期の仁寿年間に、慈覚大師によって天台声明の道場として創建されたと伝わる。平安時代後期の天仁二年(1109)、融通念仏の祖である良忍によって再興された。その後、来迎院を本堂とする寺院を『上院』、勝林院を本堂とする寺院を『下院』と呼ばれるようになり、この上院と下院を合わせて、『魚山大原寺』と称されるようになった。その後、戦乱や天災によって焼失が繰り返されるも、その都度復興された。現在の本堂は天文二年(1533)に再建された建物である。また、天台の教えに関わる数多くの聖教を伝えることでも有名で、中でも伝教大師の得度や受戒に関係する文書の原本である「伝教大師度縁案並僧綱牒」は国宝に指定され、著名である。

info

参拝情報

名称
魚山来迎院
(ぎょざんらいごういん)
所在地
京都府京都市左京区大原来迎院町537
googleMAP
参拝時間
9:00~17:00
参拝料金
400円
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来
宝物殿等
なし
アクセス
京都バス「大原」から徒歩15分
駐車場
無し
Webサイト
https://oharagyozan.wixsite.com/raigoin
備考
紹介映像「京都大原のお寺を巡る(三千院:最初~、来迎院8分~、勝林院14分20秒~)」
https://www.youtube.com/watch?v=gM5ceTFJyhE

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