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ご由緒
大化年間、天竺より日本へ飛来した法道仙人によって創建されたと伝えられている。中世には大いに隆盛し、山上に七堂伽藍が築かれ、70あまりの僧房が軒を連ねていたという。しかしながら、永保年間の火災や天正年間の丹波攻めにより全山焼失してしまったという。元禄10年(1697)、良海法印が現在の本堂を復興した。明治時代、第十六世の実應法印が優れた山林経営を行い、境内の諸堂修復に尽力したという。毎年2月11日に実施され、丹波の風物詩とされる『鬼こそ』のお寺として著名である。
丹波の春を告げる『鬼こそ』のお寺
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じょうしょうじ
兵庫県丹波市
本堂までまっすぐに伸びる石段の左右には、春には桜、秋には紅葉や銀杏の美しい景観が広がります。また、毎年2月11日に行われる『鬼こそ』は丹波の春の風物詩として人々に親しまれています。
常勝寺の入口には、仁王門と普門橋と名付けられた橋が建立されている。
仁王門は、もともと江戸時代に建立された建物とされるが、昭和40年(1965)に当地を襲った台風により下部が破損してしまった。そのため、下部を鉄筋コンクリートで再建し、その上に台風による被害を受けなかった従来の木造の上層部分をのせているという。
両脇には江戸時代に造立された仁王像が睨みをきかせている。向かって右側には口をあける阿形像、左側には口をとじる吽形像をおまつりしている。2020年8月下旬、目の部分からキイロスズメバチが吽形の胎内に入り巣をつくってしまったという。蜂が巣を離れた時期に巣を取り外し、あわせて修復をしたところ、胎内から元禄8年(1695)と読める墨書が複数見つかったという。
仁王門の手前に流れる山田川には普門橋が架かる。かつては、屋根付きの木造の橋が架けられており、『廊下橋』として地域の方々に親しまれていたという。しかしながら、昭和40年(1965)に当地を襲った台風によって川に流されてしまったという。その翌年の昭和41年(1966)に現在の普門橋が架けられた。
現在の参道は、昭和3年(1928)、当地で開催された昭和天皇御即位に関係する行事を記念して整備されたという。このときの整備では、参道の両脇にある石段との境の部分と溝の部分をモルタルやコンクリートで造立し、境の部分には曲線を施し、そして境の部分と溝の部分の表面には『洗い出し仕上げ』という表面を磨いて模様を表す技巧が施されて丁寧に仕上げられている。
参道整備を記念する記念碑には当時の経緯が記され、参道整備に現在の貨幣価値で約1000万円ほどかかったという。参道整備の資金は、常勝寺の山林事業から捻出したと記されている。
参道の左右には山林事業によって整備された樹木が植えられている。仁王門から庫裏までは主に桜が、庫裏から本堂まではモミジが植えられ、四季折々の美しい景色が広がる。
参道沿いには、四国八十八カ所の石仏や西国三十三カ所の観音様の石仏がおまつりされている。
御朱印などをお分けしている庫裏の山手側に旧位牌堂がひっそりと建つ。もともとは、現在の客殿(宝樹閣)の場所に建っていたが、客殿(宝樹閣)建立のために現在地に移築されたという。
旧位牌堂の正面には、中井権次が手掛けたという龍の彫刻が睨みをきかせている。さらに、お堂の近くには石造の伝教大師坐像がまつられている。
石段の先に建つ本堂は、元禄10年(1697)、良海法印によって復興された建物で、明治期に第十六世の實應(じつおう)法印によって改築された建物。本堂内部は外陣と内陣で構成され、比叡山延暦寺の根本中堂と同様に、内陣が土間で、外陣から拝む参拝者の目線と御本尊様の目線が合う『天台様式』の建物である。堂内の外陣の梁には、江戸時代から今日までに奉納された絵馬が多数飾られている。
中央の厨子の内部には、秘仏御本尊・銅造千手観音菩薩立像がまつられている。寄木造の仏像と同様に、腕と身体とを別々に鋳造して組み合わせるという技法で造立されており、常勝寺を創建した法道仙人の護念持仏を頸に鋳込んで造立したと伝えられている。藤原時代末~鎌倉時代初期に造立された仏様であると考えられている。御開扉は33年に一度とされ、前回の御開帳は平成25年(2013)に行われた。
厨子の前には、お前立の木造千手観音菩薩立像がまつられている。このお前立像は、前回の御開扉の際に御本尊様がまつられている厨子の内部から破損した状態で発見され、後に修復されてお前立像としてまつられている。
秘仏・木造薬師如来坐像は奥の院に安置されていたと伝わる。像高は77.0㎝で寄木造り、玉眼を嵌入する。
衣文表現は等間隔に刻まれ穏やかに表現されているが、面部の表現は凛々しく精悍な顔立ちであることから鎌倉時代前期の造像であるとみられる。薬師如来坐像の多くは左手の上に薬壺を載せ右手は施無畏印をあらわす像が多いのに対し、常勝寺薬師如来坐像は両手を腹前で定印を結びその上に薬壺をのせる。
2019年に親指に欠けがみられたことから美術院で修理が行われ、2023年に修理が完了した。
毎年2月11日に行われる『鬼こそ』は、正式には追儺式といい、新年の無病息災を願う節分の起源ともされる行事。常勝寺で行われる『鬼こそ』は、常勝寺にたびたび出現した化け物を退治するために法道仙人が創始したと伝えられている。
現在の『鬼こそ』では、僧侶による大般若転読法要の後に鬼たちが登場する。法道仙人役1人と赤鬼役2人、青鬼役2人が登場し、それぞれの鬼が火や水、風、病を象徴しており、これらがただ害をなす災いというだけでなく、災いの中にも転じて幸せを見つけるヒントがあるということを表しているという。
それぞれの鬼は、法道仙人役に先導され、『餅切り』や『火供え』、『火合わせ』などの所作を本堂内で行った後、本堂の縁に出て、最後に火のついた松明を参拝者に向けて投げる。その松明を家に持ち帰ると、その1年厄災に見舞われず、無病息災で過ごすことができるという。
現在使用されている面は3代目で、最も古い面(初代)2つと2代目の5つの面は丹波市の民俗文化財に指定されている。
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立命館大学 博士課程
ご由緒
大化年間、天竺より日本へ飛来した法道仙人によって創建されたと伝えられている。中世には大いに隆盛し、山上に七堂伽藍が築かれ、70あまりの僧房が軒を連ねていたという。しかしながら、永保年間の火災や天正年間の丹波攻めにより全山焼失してしまったという。元禄10年(1697)、良海法印が現在の本堂を復興した。明治時代、第十六世の実應法印が優れた山林経営を行い、境内の諸堂修復に尽力したという。毎年2月11日に実施され、丹波の風物詩とされる『鬼こそ』のお寺として著名である。
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