history
ご由緒
大化元年(645)に法道仙人により創建されたと伝えられている古刹。もとは聖備山長流寺(しょうびざんちょうりゅうじ)と称されていたという。創建時の本尊は法道仙人が造立したという聖観音像である。その後、947年に承平・天慶の乱の煽りを受けて全山焼失してしまう。その際に聖観音像は行方不明となってしまう。その約300年後、花園天皇の夢枕に文保寺を再建するようにというお告げとともに仙人が立ったという。その際、比叡山より慈覚大師円仁作の千手観音像が迎えられ、再興後の本尊となった。しばらくして、文保寺の南に位置する本庄集落に聖観音像が守られていることが判明し、文保寺に帰還し2躯の本尊がおまつりされるようになった。文保年間(1317)には、宝鏡寺宮門跡一品親王より寺号「文保寺」の勅額を賜ったことで「松尾山文保寺」と改められ現在に伝わる。戦国時代には明智光秀の丹波攻めにより、またも全山焼失の被害を被るが、江戸時代にかけて伽藍が整備された。