中央に泰澄大師、左右に泰澄大師と共に修行をされた臥行者(ふせりのぎょうじゃ)と浄定行者(きよさだぎょうじゃ)がおまつりされている。
泰澄大師は、臥行者や浄定行者等の弟子とともに険しい白山で修行に励み、養老元年(717)、泰澄大師36歳の時、ついに白山の山頂に到達し、白山におわす神々・仏様を感得されたと伝えられている。
臥行者と浄定行者に関わる逸話が残されている。
泰澄大師に侍り、身の回りのお世話をしていた臥行者。
臥行者は、日本海で交易する船に乗る船人からお米を分けていただき、泰澄大師の日々の修行の糧としていたという。
和銅5年(712)、出羽国からお米を運んできた船が当地を訪れた。その船の一切を取り仕切っていたのは船頭である神部浄定。臥行者は、いつものように、神部浄定にお米を少し分けていただけないかと頼んだが、断られてしまった。すると、船に積んでいたお米がひとりでに遠く離れた地へ飛んでいってしまったと伝えられている。
空を飛んだお米がたどり着いた先は、なんと海から遠く離れたお山。
神部浄定は、お山で修行に励む泰澄大師に非礼を詫び、お米を返してもらった後に泰澄大師の弟子となったという。
そして、この神部浄定こそ、臥行者とともに泰澄大師を支えた浄定行者であると伝えられている。
感想■泰澄大師のお顔からは穏やかな印象を抱くとともに、真っすぐ前を見据えるその眼差しからは力強さを感じました。現在のような登山装備が無い中で、標高2,702メートルの険しい白山を登頂し、仏様を感得された泰澄大師のお姿に深く感銘を受けました。