history
ご由緒
天平13年(741)、聖武天皇によって発布された「国分寺建立の詔」により建立された越前国の国分寺を起源とする古刹。創建時、行基菩薩が一刀三礼により造立した御本尊・薬師如来像を聖武天皇が参拝したと伝えられていることから、御本尊様は「天拝薬師如来」として信仰を集めている。御本尊・薬師如来像は50年に一度御開帳される秘仏である。
聖武天皇による創建以来、越前国を見守り続ける古刹
いいね
0
こくぶんじ
福井県越前市
50年に一度御開扉される秘仏御本尊・薬師如来様は、行基菩薩が一刀三礼のもと造立し、聖武天皇が拝した仏様と伝えられ、『天拝薬師如来様』として信仰を集めています。毎月第一日曜日には、聖天講の皆さんが國分寺に集い、聖天様に対する祈りの音が境内に響きます。
國分寺の御本尊様は、『天拝薬師如来(てんぱいやくしにょらい)』と呼ばれている薬師如来様。50年に一度御開扉される秘仏として古来よりおまつりされており、前回は國分寺開創1250年を記念して今から約30年前に執り行われた。
御本尊様には逸話が伝えられている。
伝えられているところによると、御本尊様は行基菩薩が一刀三礼(一彫りするごとに3度礼拝すること)をして造立された仏様であり、このことを聞いた聖武天皇が越前国に行幸し、実際にこの薬師如来様を拝んだという。この逸話から、『天拝薬師如来』と呼ばれ信仰を集めている。
学術的な視点によると、平安時代に造立された仏様と伝えられ、古代の越前国の信仰を伝える貴重な仏様であるという。
御本尊様がおまつりされている厨子の前には、お前立の薬師如来様がおまつりされている。厨子の左右には、菩薩形ではない2体の仏様がまつられているほか、十二神将様がまつられてる。
秘仏御本尊様の両脇には、國分寺の創建に関わり、秘仏御本尊様と縁深い行基菩薩と聖武天皇のお像がおまつりされている。行基菩薩と聖武天皇のお像を並んでおまつりしている寺院は少ないそうで、國分寺において行基菩薩と聖武天皇に対して人々から篤い信仰が向けられていることを示している。
現在の國分寺の本堂は、大正時代に近隣で発生した大火事後に再建された建物。漆黒の瓦が特徴的な建物である。東側には大聖歓喜天様を、西側には阿弥陀如来様をおまつりしている。また、堂内には四国八十八カ所と西国三十三観音巡礼の仏様がおまつりされている。四国八十八カ所の仏様は明治時代、西国三十三観音巡礼の仏様は大正時代に造立された仏様であるとされている。
天平13年(741)、聖武天皇によって発布された「国分寺建立の詔」によって越前国の国分寺として創建された地は現在の場所ではなく、現在も定まっていない。しかしながら、近隣地域からは奈良時代の寺院の痕跡や瓦が発掘され、それらと国分寺の関連が示唆されている。江戸時代に記された現在地周辺の古地図には國分寺の名前が記されていることから、江戸時代までには現在の場所に移転が完了していたと考えられている。
創建時の國分寺は、他の国分寺と同様に、広大な境内に大きな建物や塔が並び建ち、その内部には、一丈六尺の釈迦如来様のお像や金字で記された『金光明最勝王経』や『法華経』がおまつりされていたと考えられている。
本堂の東側(向かって右側)は、大聖歓喜天(聖天)様をおまつりする道場である。
古来より交通の要衝として栄え、江戸時代には府中城の城下町として栄えた武生。そのような武生には商いを営む人々が集ったことから、商売繁昌や夫婦円満の強い御利益がある大聖歓喜天様に対する信仰が脈々と伝えられているという。
國分寺におまつりされている大聖歓喜天様は、大聖歓喜天様の霊地の一つとして知られている奈良県宝山寺にゆかりが深く、約50年前に当時の宝山寺管長さんに聖天様のお性根入れをしていただいた。それ以来、宗派を超えて約50年の繋がりが受け継がれているという。
國分寺には聖天講と呼ばれる信者の方々の組織があり、毎月第一日曜日には聖天講の方々が大聖歓喜天様の前に集まり、祈りを捧げている。
学生レポート

立命館大学修士課程
ご由緒
天平13年(741)、聖武天皇によって発布された「国分寺建立の詔」により建立された越前国の国分寺を起源とする古刹。創建時、行基菩薩が一刀三礼により造立した御本尊・薬師如来像を聖武天皇が参拝したと伝えられていることから、御本尊様は「天拝薬師如来」として信仰を集めている。御本尊・薬師如来像は50年に一度御開帳される秘仏である。
参拝情報