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ご由緒
養老年間(717 - 724)に越の大徳・泰澄大師が創建したと伝えられている。もともとは、現在の福井県池田町野尻の山間に創建されたという。天文2年(1533)に、朝倉家家臣の小泉家が寺地を寄進し、真秀上人が現在地に中興したと伝えられている。不動堂にまつられている不動明王像は「腹籠不動明王」と呼ばれ、お前立像の胎内に納められており、泰澄大師による造立と伝えられている。北陸不動霊場第三十二番札所。
霊験あらたかな『腹籠不動明王』をまつる
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そうあんじ
福井県越前市
不動堂におまつりされている『腹籠不動明王』は、お前立の不動明王様の胎内にまつられている珍しい不動明王様。腕を腹の前で交差させて胎内の『腹籠不動明王』を守るようなお姿をとるお前立の不動明王様の凛々しく力強いお姿も特徴的です。本堂には穏やかで優美な御本尊・阿弥陀如来様がおまつりされています。
昭和10年の火災の後、昭和14年に再建された本堂の中央には、窓安寺の御本尊である阿弥陀如来様がおまつりされている。立っているお姿を表す立像の仏様で、金色に輝いている仏様である。両脇には、観音菩薩様と勢至菩薩様をおまつりしている。
本堂の隣に建つ不動堂の中央に、腹籠不動明王様がおまつりされている。
寺伝によると、腹籠不動明王様は泰澄大師により造立されたと伝えられている仏様。近年実施された調査の際、体の動きが少ない点、身にまとう衣や顔面の表現などが注目され、室町時代の15世紀末から16世紀前半に造立された不動明王様であると判明した。像高が約37 cmという胎内仏としてはかなり大きな仏様で、その大きさはお前立の不動明王様の約1/3にもなる。御開扉の年は定められておらず、お力の強さ故に出来る限り御開扉は行わないようにと伝えられている。
腹籠不動明王様を胎内におさめているお前立の不動明王様は、お腹の前で腕を交差する全国的に珍しいお姿をとる。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて造立された不動明王様であると考えられており、越前国で活躍した面打ち師出身の出目幾斉(でめきさい)により造立されたと伝えられている。お前立の不動明王様の背面が観音開きのように開き、腹籠不動明王様をぴったりと納めることができるようになっている。両脇には不動明王の眷属である矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を伴う。
昭和10年の本堂と庫裏を焼失した火災の際、本堂と渡り廊下で繋がっていた不動堂は火災の被害を免れた。腹籠不動明王様がまつられている背後の梁は火災により黒く炭化しており、腹籠不動明王様の直ぐ背後まで火の手が迫っていたことが分かる。このことから、腹籠不動明王様は霊験ある仏様として篤い信仰を集めている。
不動堂の両脇壇には西国三十三所観音像をおまつりしている。江戸時代後期から明治時代にかけて、窓安寺が伽藍を構えている地では、地域の寺院を西国三十三観音巡礼の札所に見立てて巡礼する『地西国三十三所巡礼』が行われていたという。窓安寺は六番札所(壷阪寺)であり、現在も御詠歌が記された扁額が伝えられている。10月の観音講では、御詠歌をお唱えしている。
不動堂堂内には弘法大師様や千手観音様をはじめさまざまな仏様がおまつりされている。
鐘楼の横の覆屋の内に、笏谷石(しゃくだにいし)で造立された3基の宝篋印塔がまつられている。そのうちの中央に建つ石塔が、戦国時代の武将である朝倉景鏡公を供養する宝篋印塔である。
朝倉景鏡公は戦国大名である朝倉義景公の従兄弟にあたり、朝倉家の武将の中で筆頭の地位であったという。一向一揆の征伐や織田信長を追い詰めた金ヶ崎の戦いの際には総大将として指揮を執るが、後に義景公を自害に追い込み織田信長に降伏した。後に織田信長より一字を貰い土橋信鏡と名を改め越前国大野郡の領地を統治するが、天正2年(1574)、越前一向一揆により戦死したと伝えられている。
窓安寺に朝倉景鏡公の供養塔がまつられている詳細な歴史は不明であるが、天文2年(1533)に朝倉家家臣の小泉家により寺地が寄進され、朝倉家菩提寺として中興されたことから、朝倉家に関わる人々によりまつられたと推測されている。
石造不動明王立像と石造地蔵菩薩立像は、朝倉家が統治していた室町時代後期に造立された仏様であると考えられている。地蔵菩薩立像に永禄3年(1560)の銘文が刻まれている。不動明王像の像高が2.3 m、地蔵菩薩像の像高が2.15 mと大きな石仏である。
学生レポート

立命館大学 3年
ご由緒
養老年間(717 - 724)に越の大徳・泰澄大師が創建したと伝えられている。もともとは、現在の福井県池田町野尻の山間に創建されたという。天文2年(1533)に、朝倉家家臣の小泉家が寺地を寄進し、真秀上人が現在地に中興したと伝えられている。不動堂にまつられている不動明王像は「腹籠不動明王」と呼ばれ、お前立像の胎内に納められており、泰澄大師による造立と伝えられている。北陸不動霊場第三十二番札所。
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