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西行法師が出家された「花の寺」

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しょうじじ

勝持寺

京都府京都市西京区

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京都の西山連峰に位置する勝持寺は、役行者によって開山された古刹。平安時代には49もの塔頭を有する大寺院で、歌人として有名な西行法師が出家された寺院と伝えられています。境内には往時の勝持寺の姿を伝える様々な仏様がおまつりされ、春の桜や秋の紅葉が境内を彩る「花の寺」として仏様の浄土が広がる勝持寺。日本だけでなく海外からも多くの方々が勝持寺に集います。

巡りポイント

応仁の乱などの戦乱や天災を潜り抜け、勝持寺には、平安時代や鎌倉時代にかけて造立された様々な仏様が守り伝えられてきました。仏様がおわす勝持寺の境内は、四季折々の花々が彩り、まるで仏様の浄土を訪れたかのような感覚を覚える空間が広がっています。

本堂(阿弥陀堂)

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    本堂(桂昌院による再建)
  • 本堂(阿弥陀堂)
    本堂縁側の擬宝珠(寛文五年四月の銘文が彫られている)
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    本堂前に立つ鹿の意匠のある灯篭
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    本堂前に立つ鹿の意匠のある灯篭
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神仏習合の祈りが秘められている勝持寺中心のお堂

勝持寺の本堂は、寛文5年(1665)4月に、徳川幕府第5代将軍・徳川綱吉公の生母である桂昌院の援助により建立された建物である。堂内には阿弥陀如来様をはじめ、勝持寺に伝えられている様々な仏様がおまつりされている。

 

堂内の欄間や本堂前に建つ灯篭には鹿の彫刻が表されている。これは、神仏習合の祈りの地でもあった勝持寺の歴史を伝えているという。勝持寺の近隣には大原野神社が歴史を伝えている。大原野神社は、桓武天皇が長岡京に遷都する際に奈良の春日大社の御祭神を分祀したことに始まる神社であり、大原野神社の御祭神のお使いも鹿である。かつて勝持寺が大原野神社の別当寺となっていた歴史もあることから、本堂や境内に神様のお使いである鹿の彫刻が表されていると伝えられている。

感想■随所に施されている鹿の意匠に神仏習合の歴史が秘められていると伺い、勝持寺の奥行のある歴史に圧倒されました。また、勝持寺の本堂をはじめ様々な寺院を復興された桂昌院様について非常に興味を持ちました。

御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)

  • 御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
  • 御本尊・木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
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しなやかな指先が美しいお薬師さま

勝持寺の御本尊は鎌倉時代に造立されたと考えられている薬師如来様。複数の部材を組み合わせて造立する寄木造の仏様である。

 

左の掌を上にして膝上において薬壷を乗せ、右手はお腹の前で第一指(親指)・第三指(中指)を捻じ薬をつまむような手の表現(印相)が特徴的な仏様として有名である。この手の表現について様々な説が議論されているが、天台宗の僧侶であり仏師でもある西村公朝師は、薬師如来様に加えて釈迦如来様や阿弥陀如来様を1体の仏像で表しているのではないか、そして伝教大師が比叡山の一乗止観院におまつりした自刻の薬師如来様もこのようなお姿をされていたのではないかと推測していたという。

 

後頭部には何かが当たったような凹みがあり、応仁の乱や様々な戦乱・天災を乗り越え守り伝えられてきた歴史を伝えている。

感想■薬をつまむような独特な手の表現が興味深かったです。造形的な美しさはもちろんのこと、他の仏像ではほとんど作例がないというこの手の表現にどのような意味があるのか、調べてみたいと強く思いました。

木造薬師如来坐像(胎内仏、国指定重要文化財)

  • 木造薬師如来坐像(胎内仏、国指定重要文化財)
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御本尊様の胎内におまつりされていた精緻な薬師如来様

御本尊様の前におまつりされている小さな薬師如来様は、御本尊・薬師如来様の胎内におまつりされていた仏様。明治時代に行われた御本尊様の修理の際に発見されたと伝えられている。日本には自生していない貴重な香木である白檀を用いて造立されており、現在も薬師如来様から白檀の香りが漂うという。

 

お像表面のほとんどに彩色が施されていない点が特徴であり、平安時代前期、9世紀頃に造像されたと考えられている。像高が約9㎝程の小さな仏様であるが、仏様とともに造立当初のものとされる光背や台座には、化仏として七仏薬師のお姿や十二神将のお姿、曲線が美しい葉々の文様が精緻に彫刻されている。

感想■「もしかしたら、勝持寺を整備した伝教大師が拝んだ仏様かもしれないし、伝教大師とゆかいのある仏様かもしれない」というご住職のお話が印象的でした。丁寧に精緻な彫刻が施されているこの小さな薬師如来様がどのような歴史をたどってきたのか、秘められた歴史や薬師如来様にまつわる方々のストーリーが明らかになることを期待しています。

木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像

  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    日光菩薩立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    月光菩薩立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
  • 木造日光・月光菩薩立像及び十二神将立像
    十二神将立像
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御本尊を囲む凛々しい仏様たち

御本尊様の左右には脇侍である日光菩薩様と月光菩薩様、御本尊様の眷属である十二神将様がおまつりされている。それぞれ、後の時代の彩色や修復が施されているが、鎌倉時代の後期頃に造立された仏様であると考えられている。

 

日光菩薩様と月光菩薩様は、頭上に宝冠を被り、胸元に瓔珞(ようらく)を身に着けている。日光菩薩様は、蓮華の上に太陽を表す日輪を乗せた持物を持つ。日輪には、3本脚が特徴で太陽を表すとされる「八咫烏(やたがらす)」が描かれている。月光菩薩様は、蓮華の上に月を表す月輪を乗せた持物を持つ。月輪には、月を象徴する「兎」が描かれている。

 

十二神将様は、いずれも鎧を身に着け、剣、弓矢、戟(げき)といった持物を持ち、武装する姿をされている。頭上には、それぞれの十二支を表す動物の姿を乗せている。経典に記されている北から子、丑、寅という配置順に従い、御本尊様の周囲を守っている。

感想■十二神将様のお姿が印象的でした。力強さを感じさせるお顔つき、大ぶりなお身体の動きから感じられる躍動感に魅了されました。

木造仁王立像(国指定重要文化財)

  • 木造仁王立像(国指定重要文化財)
    阿形立像
  • 木造仁王立像(国指定重要文化財)
    阿形立像
  • 木造仁王立像(国指定重要文化財)
    阿形立像
  • 木造仁王立像(国指定重要文化財)
    吽形立像
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    吽形立像
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    吽形立像
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迫力ある眼差しで悪しき存在をにらみつける仁王様

瑠璃光殿におまつりされている仁王様は、もともと参道に建つ仁王門に安置されていた仁王像である。造立時の銘文が残されており、向かって右側の阿形像を法眼康秀、向かって左側の吽形像を法橋湛康が弘安8年(1285)に造立したことがわかる。

 

目の部分に碁石として使われている那智黒石が用いられている点が珍しい仁王様である。

感想■写実性が高く、少しくねらせたお身体からみなぎる筋肉や浮き上がる血管までが見事に表現されていることに息をのみました。那智黒石を目に使用しているからか、迫力を感じさせる眼差しが少し和らぎ穏やかさも感じられました。

木造西行上人坐像・西行桜・鏡石

  • 木造西行上人坐像・西行桜・鏡石
    西行法師坐像
  • 木造西行上人坐像・西行桜・鏡石
    西行法師坐像
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    西行桜(3代目)
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    鏡石
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    書院に施された桜の彫刻
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    書院に施された桜の彫刻
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歌人・西行法師が愛した桜が咲く

瑠璃光殿には、勝持寺とゆかりの深い歌人・西行法師の彫刻が伝えられている。右手に中啓(ちゅうけい)と呼ばれる扇子のような持物を持ち、左手には数珠を持つ。室町時代頃に造立されたお像であると考えられている。

 

勝持寺は西行法師が出家をされたお寺であると伝えられている。鳥羽法皇の身辺を警護する「北面の武士」として活躍していたが、23歳の時に突然勝持寺で出家をし、僧侶となり諸国を巡ったと伝えられている。

 

西行法師が生きた時代、出家は現世との別れを意味するほどの非常に重いものであった。桜の花を愛した西行法師は、現世との別れを惜しみ、勝持寺の境内に桜を植えたと伝えられており、その桜は「西行桜」として親しまれてきた。現在は3代目の西行桜が枝を伸ばしている。

 

また、西行法師が勝持寺で頭を剃る際に鏡の代わりとして用いたと伝えられている大岩「鏡石」が境内に残されている。

 

西行桜の周囲にはヤマザクラやソメイヨシノが植えられ、春には境内を桜の花が彩り、その美しい境内の景色から「花の寺」として親しまれてきた。勝持寺の寺紋は桜を図案化したものであるほか、書院の屋根の下の部分(破風の下)には、桜の花をかたどった彫刻が施されている。

感想■境内は仏様の浄土とお話しされるご住職の姿が印象的でした。勝持寺の境内に広がる景色や雰囲気を守り伝えるために、広大な境内に育つ桜や紅葉の手入れをご住職や勝持寺の方々でされていると伺い、美しい境内に込められている勝持寺の方々の強い想いに感動しました。

仁王門

  • 仁王門
  • 仁王門
    柱に残る穴
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平安時代に建てられたと伝わる勝持寺最古の建物

勝持寺に繋がる参道に建つ仁王門は、平安時代の仁寿年間(851-854)に建立されたと伝わる建物である。もともとは、勝持寺から2 kmほど離れた地(現在、大原野小学校があるあたり)に建っていたと伝えられている。

 

建立当初の部材は柱のみとされ、建物の部材のほとんどが後の時代の修理で交換され、建物の大きさも小さく改変されているという。柱に残る痕跡から、建立当初は2層からなる大きな楼門のような外観をしていたと推測されている。

 

仁王門の後ろ側の柱のみ、無数の穴が開いている。この穴は射手が戦いに赴く前に弓を調整する際についた穴であると推測されており、49坊からなる大寺院であった勝持寺の僧兵による痕跡ではないかと考えられている。

扁額

  • 扁額
    扁額『勝持堂』(伝小野道風卿揮毫)
  • 扁額
    近衛家熙卿による扁額に関する文章
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三蹟の一人・小野道風卿によると伝わる扁額

瑠璃光殿に安置されている扁額は、平安時代に活躍した能書家・小野道風(おののとうふう)卿によるものと伝えられている扁額である。もともとは、仁王門に掲げられており、実物の姿を模した扁額が現在も仁王門に掲げられている。

 

『勝持寺』と3つの漢字を用いて揮毫されているが、最後の『寺』という字が『堂』という文字になっている。これは、2つ目の漢字『持』に3つ目の漢字『寺』が含まれており、同じ漢字が重複してしまうことから、代わりに『堂』の字が用いられていると考えられている。

 

古来より小野道風卿が揮毫した由緒ある額として知られており、江戸時代に寛政の改革を主導した松平定信公がまとめた古宝物図録『集古十種(しゅうこじっしゅ)』に記載されている。

 

なお、扁額をおさめる箱には、関白や摂政を歴任するとともに、江戸時代を代表する文化人として活躍した第22代近衛家当主・近衛家熙(このえいえひろ)卿によるとされる文章が伝えられている。

感想■『寺』という文字が続くことから、あえて『堂』という漢字を用いたという発想に驚きました。三蹟として名高い小野道風卿の遊び心を感じさせました。

不動堂

  • 不動堂
    不動堂
  • 不動堂
    不動明王立像(伝弘法大師造立)
  • 不動堂
    弘法大師坐像・愛染明王坐像
  • 不動堂
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岩屋に弘法大師が刻んだとされるお不動様をまつる

平安時代、弘法大師空海が眼病に悩む人々のために、石に不動明王様を刻み岩窟の内におまつりしたと伝えられている。古来より眼病平癒の御利益がある不動明王様として信仰が篤く、岩屋のある崖から湧出する清水で目を洗うと眼病が平癒すると伝えられている。また、不動明王様に対する信仰の篤い方々により「講(こう)」が各地に結成され、不動堂内の大きな数珠を用いて祈りを捧げていたという。

 

岩屋の前で不動明王様へ参拝できるように、江戸時代に不動堂が建立された。平成20年に行われた不動堂の修復の際には、使用できる部材や金具を出来る限り再利用された。

 

不動堂の堂内には、愛染明王様や弘法大師のお像がおまつりされている。

感想■岩屋の中におまつりされている不動明王様の霊気を感じさせるお姿に息をのみました。あたかも洞窟の中に生身の不動明王様がいらっしゃるように感じ、その姿に圧倒されました。

勝持寺参道に残る石垣

  • 勝持寺参道に残る石垣
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中世の勝持寺の姿を伝える石垣

仁王門から勝持寺へと続く参道沿いには、中世に築かれたと考えられる石垣が伝承・復元されている。室町時代の15世紀後半頃に造立されたと考えられている石垣で、往時には49の坊から構成されたという中世の勝持寺の姿を伝える貴重な痕跡でる。

 

また、建物跡からは大量の杯が出土した。それらの用途の詳細は明らかではないが、何らかの法要や神事が行われた場所ではないかと推測されている。

感想■竹林の中に残る石垣からは、いかに中世の勝持寺が数多くの子院から構成されていたかを実感することができました。まだまだ明らかではないことが多いと伺い、往時の勝持寺の姿がいつの日か明らかになることを楽しみにしています。

report

学生レポート

奈良大学修士課程

勝持寺の瑠璃光殿の中に入ると、多くの立派な仏像に囲まれた空間でありその時点で勝持寺というお寺が篤い信仰を集めてこられたことを実感できるようでした。勝持寺というお寺は応仁の乱の影響を受けほとんどの堂宇が燃やされてしまったという中でこれだけ多くの仏さまが守り残されているということにも驚きました。薬師如来像をはじめ十二神将も鎌倉時代の像が綺麗に残されているということは奇跡のようなことであるのだと思います。

また勝持寺が花の寺として知られていますが、それは勝持寺におまつりされている仏さまの浄土を表しているとお聞きしました。勝持寺にまつられているお像を拝見させていただき、このような仏様がおられる空間を表しているのであればそれは素晴らしい空間になると納得しました。

history

ご由緒

白鳳8年(679)、役行者によって開創されたと伝えられている。平安時代初期には伝教大師が訪れ境内を整備したとされている。その後、藤原氏の氏神の一つとして知られる大原野神社の別当寺となり大いに栄え、往時には49の子院が軒を連ねていたと記録に残っている。ご本尊の薬師如来坐像をはじめ、大陸との繋がりを感じさせる胎内仏の薬師如来坐像、慶派仏師により造立された仁王像など、平安時代初期から鎌倉時代にかけて造立された仏像が数多く伝えられ、国の重要文化財に指定されている。

info

参拝情報

名称
小塩山 勝持寺
(おしおざん しょうじじ)
所在地
京都府京都市西京区大原野南春日町1194
googleMAP
参拝時間
9:30~16:30(受付:16:00終了)
※拝観休止日(閉門)
毎年2月・8月全日、その他拝観休止日あり
御参拝前に勝持寺公式HPより最新情報をご確認くださいませ。
拝観料
大 人:500円(お一人あたり)
※大人30名以上の団体:450円(お一人あたり)
中高生:400円(お一人あたり)
小学生:300円(お一人当たり)
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
あり(瑠璃光殿)
アクセス
■公共交通機関
JR向日町 もしくは 阪急東向日下車、阪急バスに乗り換え南春日町下車1.1km
阪急桂 西口下車、市バス西2系統、洛西高校前下車1.8km

■車
五条通経由、国道9号線・国道沓掛口又は沓掛を左に入る
(所要時間:西大路五条より約20分)
駐車場
あり
Webサイト
http://www.shoujiji.jp/
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