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美しい2体の本尊が参拝者を迎える

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にそんいん

二尊院

京都府京都市右京区

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世界中から多くの人々が集う京都・嵐山。その嵐山には1000年以上昔から人々が来世への願いを託すお寺が伽藍を構えています。鎌倉時代には浄土宗の宗祖である法然上人が教えを説き、多くの人々が集ったという二尊院。人々の願いと四季折々の花々にあふれる二尊院の境内には、極楽浄土の風景を写したかのような優美で穏やかな風景が広がっています。

巡りポイント

二尊院は今より1000年以上昔、嵯峨天皇の願いにより第3代天台座主である慈覚大師円仁が建立したと伝わります。ご住職によると、二尊院をプライベートな祈りの空間にしたいという嵯峨天皇の願いが境内の風景に色濃く残っているそうです。

総門(京都市指定文化財)と紅葉の馬場

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雄大な門と桜・紅葉が彩る一本道

堂々とした姿で参拝者を最初に迎える総門。この総門は江戸時代初期、資財を投じて京都のインフラを整備した角倉了以により、慶長18年(1613)に移築・寄進された建物であるという。元々は伏見城にあった建物と伝わる。唐草模様や数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦など多彩な装飾で彩られており、当時の豪勢な気風が感じられる貴重な建物として著名で、京都市指定文化財に指定されている。また、総門の先には「紅葉の馬場」と呼ばれる真っすぐに伸びた参道が親しまれている。参道の両脇にはサクラと紅葉が交互に植えられ、京都を代表する美しい風景として親しまれている。

感想■二尊院の入り口で多くの参拝者を迎える総門。元々伏見城の城門であったという伝承の通り、威風堂々とした姿が印象的です。この総門、注意深く見てみると数多くの精緻な彫刻や装飾に彩られていることに気がつきます。お気に入りの装飾を探してみてはいかがでしょうか。さらに、総門を抜けた先には四季折々の花々に彩られる絶景が広がっています。春はサクラ、秋は紅葉に彩られる自然の風景と建物の美しさが調和する絶景を楽しんで欲しいです。

本堂(京都市指定文化財)

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嵯峨天皇の願いが垣間見える優美な建築

二尊院の本堂は永正18年(1521)に建立された建物である。応仁の乱により焼失してしまったが、当時の一流の文化人である三条西実隆卿が諸国に寄付を募り再建した建物という。天台宗寺院に多い密教要素の強い威風堂々とした建築様式ではなく、六間取り方丈形式の間口の広い住宅風の建物であることが特徴的である。本堂正面には、戦国時代に在位した後奈良天皇により本堂再建時に与えられた「二尊院」と記された扁額が掲げられている。平成28年(2016)に約350年ぶりとなる大改修がおこなわれた。堂内には色鮮やかな障壁画も伝えられている。京都市指定文化財。

感想■天台宗寺院に寺院に珍しいという住宅風の方丈形式で建てられた二尊院の本堂。特徴としては、四角い柱などに代表されるそう。ご住職によると、二尊院は元々嵯峨天皇がプライベートな祈りの空間として建立を願ったお寺であり、本堂の建築様式が落ち着いた住宅風であるのは、その嵯峨天皇の願いが後世まで受け継がれてきたのではないかとのことでした。1000年以上の時を超え人々の願いが受け継がれていることに感銘を受けました。

ご本尊:木造阿弥陀如来立像・釈迦如来立像(国指定重要文化財)

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人々を送るお釈迦さんと人々を迎える阿弥陀さん

本堂中央にまつられる本尊・木造釈迦如来立像と阿弥陀如来立像。2躯の仏像がならぶことから「二尊院」という名称となった。この2躯は、鎌倉時代の中期頃、春日仏師により造立されたという。釈迦如来像と阿弥陀如来像が並ぶ姿は、人々を此岸から送る発遣の釈迦と、人々を彼岸へと迎える来迎の阿弥陀という思想を表している。この思想は、唐の時代に善導大師が広めた「二河白道喩」という教えであり、法然上人に受け継がれた思想を色濃く示すこの2躯は、国の重要文化財に指定されている。

感想■左右対称に金色に光り輝く2躯のお像が並ぶ姿に息を呑むことでしょう。この2躯は、浄土思想で重要な教えである「二河白道喩」を人々にわかりやすく伝えるために立体化されたのではないかとお聞きしました。多くの人々に教えをわかりやすく伝えたいという当時の人々の工夫が感じられ興味深かったです。

弁天堂

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湛空上人が戒を授けた霊蛇との関わり

本堂向かって右に弁天堂が建てられている。弁天堂には、弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神がまつられている。二尊院の来歴が記された「二尊院縁起」には、二尊院第三世・湛空上人との逸話が記されている。現在の勅使門に寺名の額が掲げられていたという。その額を夜に門前の池(竜女池)より霊蛇が出て字や彩色が消えるほどに舐めていたという。これを防ぐため、湛空上人は霊蛇に戒法を授けるため血脈を書いて池に沈めた。その結果、竜女成仏の証拠として千葉の蓮華一本が咲き、その竜女を弁財天の化身として弁天堂にまつったと伝わっている。現在も多くの参拝者から信仰を集めている。

感想■湛空上人との逸話は今より800年近く昔のお話とお聞きしました。その当時の逸話が時を超え現在まで受け継がれていることに感動しました。また、そのお話に登場する竜女池が現在も残ることから、往時より今日まで多くの信仰を集めていることを実感しました。

湛空上人廟(京都市指定文化財)と墓所

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二尊院の繁栄を築いた人々が眠る

本堂の裏手の山には、弁天堂の逸話に登場し二尊院で教えを広めた湛空上人の碑がおさめられている湛空上人廟が建立されている。建長五年(1253)に中国の石工により建立された石碑とされるとともに、石碑を覆う建物は室町時代末期の建築として京都市指定文化財に指定されている。また、周囲には鷹司家や二条家、三条家、四条家、三条西家、嵯峨家といった公家、総門を寄進した角倉家、儒家として名高い伊藤仁斎の一族の墓所が築かれている。これは、南北朝時代より御所の仏事に深く関わる「黒戸四ヶ院」の1ヶ寺であったことによるという。

感想■本堂や総門、弁天堂で登場した歴史上の人々に関する石碑やお墓が今も大切に守られていることから、二尊院が人と人との縁を大切にしていることを肌で感じました。また、有名な人々だけでなく、境内には一般の人々のお墓や供養塔も多く残されているとお聞きしました。これは、二尊院周辺から発見された石塔や石仏を集めたものだそうです。二尊院に多くお墓や供養塔が気づかれた理由の一つとして、二尊院が伽藍を構える場所は風葬地帯であった化野と人々が暮らす場所とのちょうど中間地点にあったため、貴賤問わず往生を願う多くの人々が二尊院に集い祈りを捧げたのではないかということでした。

時雨亭跡

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小倉百人一首が生み出された場所と伝わる

湛空上人廟から山道を進むと京都市街を見渡す開けた場所にたどり着く。この場所は、鎌倉時代、一流の歌人として名を馳せた藤原定家卿が営んだとされる時雨亭があったとされる場所である。伝わるところによると藤原定家卿は時雨亭にて古来より著名な100人の歌人達の100首の歌を選んだという。これが後の「小倉百人一首」と呼ばれるようになったとされている。

感想■競技かるたとして人気のある百人一首。百人一首が生まれた場所の一つと伝わる場所が二尊院に残されていることに驚きました。定家卿が百人一首をまとめたとされる年から約1000年。時雨亭跡から見ることのできる京都市街の光景はどのように移り変わっていったのかしばらく想いをはせました。

八社宮(京都市指定文化財)

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二尊院の表鬼門を守る八社の神々

二尊院の境内東北に位置する地に室町時代末期に建立された社がある。八社宮と呼ばれるその社は、その名の通り、八社(伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮)の神々をまつる。

感想■お寺を守るために神々をまつる神仏習合の遺風が感じられます。室町時代の終わり頃の建立とされる建築の細部をよく見てみると、細やかな彫刻に彩られていることがわかります。全国の有名な神々をまつる建物として非常に大事な建物として建立されたことが強くわかります。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科2年

立ち並ぶ2躯のご本尊の美しい立ち姿と本尊を包み込む本堂内の優美で穏やかな雰囲気が強く印象に残っています。今回の訪問では特別公開が行われており、2躯のご本尊を中心に二十五菩薩来迎図が本堂に掛けられていました。本堂の中央にたたずむと、2躯のご本尊が菩薩達を引き連れて来迎しているかのような空間が生まれ、臨場感を味わうことができました。来迎というものがどのようなものなのか、立体的な仏像と平面的な絵画を組み合わせて表現しようとした当時の人々の工夫に心が躍ります。

history

ご由緒

承和年間(834〜848)に嵯峨天皇の勅願に基づき慈覚大師円仁により創建されたと伝わる。鎌倉時代には、法然上人が二尊院で法を説かれたことで、多くの人々が二尊院に集ったという。その後、第三世の湛空上人は土御門天皇、後嵯峨天皇の戒師となり、第四世の叡空上人も後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇、伏見天皇の戒師となったことで、大いに繁栄したという。しかしながら、応仁の乱の兵火で境内は全て焼失した。その後、永正18年(1521)、後奈良天皇の戒師をつとめた第十六世恵教上人の時代、三条西実隆卿により寄付が集まり現在の本堂と唐門が再建された。南北朝時代から明治維新まで、黒戸四ヶ院の一寺として京都御所の御内仏殿を守護していたため、鷹司家・二条家・三条家・四条家・三条西家・嵯峨家といった公家、江戸時代初期の豪商である角倉了以の一族、江戸時代の儒教学者である伊藤仁斎の一族などの墓所が築かれた。古来、天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場であったが、江戸時代後期より天台宗に属している。 二尊院という名称の由来となった本尊二尊をはじめ、数々の文化財が国の重要文化財や京都市の文化財に指定されている。

info

参拝情報

名称
小倉山二尊教院華臺寺
(おぐらやまにそんきょういんけだいじ)
所在地
京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
googleMAP
参拝時間
9:00~16:30
拝観料
■一般 / 大人(中学生以上):600円、小人(小学生以下):無料
■団体(30名以上)/ 大人(中学生以上):500円、小人(小学生以下):無料
※障害者手帳をお持ちの方は、無料で拝観いただけます。(受付で障害者手帳をご提示ください)
宗派
天台宗
御本尊
阿弥陀如来・釈迦如来
宝物殿
アクセス
市バス嵯峨釈迦堂前下車 徒歩約10分
京福嵐山本線 嵐山駅下車 徒歩15分
JR山陰本線 嵯峨嵐山駅下車 徒歩19分
駐車場
10台(大型バス不可、マイクロバスは可)
Webサイト
https://nisonin.jp/

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