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ご由緒
承和年間(834〜848)に嵯峨天皇の勅願に基づき慈覚大師円仁により創建されたと伝わる。鎌倉時代には、法然上人が二尊院で法を説かれたことで、多くの人々が二尊院に集ったという。その後、第三世の湛空上人は土御門天皇、後嵯峨天皇の戒師となり、第四世の叡空上人も後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇、伏見天皇の戒師となったことで、大いに繁栄したという。しかしながら、応仁の乱の兵火で境内は全て焼失した。その後、永正18年(1521)、後奈良天皇の戒師をつとめた第十六世恵教上人の時代、三条西実隆卿により寄付が集まり現在の本堂と唐門が再建された。南北朝時代から明治維新まで、黒戸四ヶ院の一寺として京都御所の御内仏殿を守護していたため、鷹司家・二条家・三条家・四条家・三条西家・嵯峨家といった公家、江戸時代初期の豪商である角倉了以の一族、江戸時代の儒教学者である伊藤仁斎の一族などの墓所が築かれた。古来、天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場であったが、江戸時代後期より天台宗に属している。 二尊院という名称の由来となった本尊二尊をはじめ、数々の文化財が国の重要文化財や京都市の文化財に指定されている。