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江戸時代の山形の営みを支えた名刹

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ほうこういん

寶光院

山形県山形市

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山形市内に伽藍を構える寶光院は、江戸時代、江戸上野の寛永寺の僧侶が住職を兼ねていた由緒のある古刹です。最上義光公による現在地への移転後、山形城に入った大名家の方々の御祈願のためのお寺として信仰を集めるほか、江戸幕府を支える行政施設の一つとしての役割も担っていたと伝えられています。また、現在の寶光院の本堂は、山形城から移築された建物であったとされています。江戸時代の山形に暮らす人々の営みを支えた祈りが境内に満たされています。

巡りポイント

寶光院の本堂は、かつて山形城を構成する御殿のうちの書院であったとされる建物。堂内には、山形城の書院であった際の痕跡が多く残されており、山形城の往時の姿を伝える数少ない建物として注目されています。

表門

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寶光院の由緒を伝える堂々とした立派な門

寶光院の入口に建つ表門は、江戸時代の文久13年(1816)に再建されたと考えられている建物。堅牢な門構えが特徴的。

感想■あたかも城門のような堅牢な作りの建物で、緊張感を抱きながら境内へと進みました。行政施設としての役割を担っていたという寶光院の由緒を伝えている建物だと感じました。

本堂(山形県指定文化財)

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山形城の書院を移築したとされる貴重な建物

寶光院の本堂は、江戸時代初期に建立された建物であると考えられている。天台宗の寺院の本堂の様式とは異なり、住宅風の様式が特徴の建物である。これは、かつて山形城を構成していた建物のうちの書院を移築して、お寺の本堂として改築したためであると伝えられている。山形城を構成していた建物のほとんどは失われており、寶光院の本堂が現存唯一の建物であると考えられている。

 

堂内には、書院であった痕跡が多く残されている。

寶光院の本堂は、畳のへりと柱の位置がぴったり合うように建てられている。これは、書院として使われていた江戸時代、役職や身分などにより着座の位置が明確に決まっていたため、着座する畳を基準として建物の内部空間が決められていたためであるという。

 

また、本堂内左奥の部屋はお殿様が坐る上段の間であり、書院として使用されていた時代は、お殿様が謁見するための場所として使用されていたという。お殿様の視点で座ると、視線に柱が入らないように工夫がされている。上段の間は安永3年(1774)に護摩道場として改築されていたが、近年の修復に伴い、移築前の書院としての内部空間に修復・復元された。

感想■ご住職のお話の中で、「昔の人は数百年先まで見て建物を建てていた。」というお言葉が印象的でした。どのように建物が使われるのか、地震などの天災による被害をどのように免れるか、建物を構成する木材と向き合う情熱とその情熱を具現化する高い技術力に圧倒されました。

駕籠・江戸幕府歴代将軍の御位牌

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    駕籠
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    江戸幕府歴代将軍の御位牌
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江戸幕府との深い繋がりを伝える

本堂の堂内には、江戸時代に実際に使用された駕籠が伝えられている。

 

江戸時代の寶光院は、最上家のお家騒動の後に山形城に入城された徳川譜代の大名家の方々や徳川幕府と深い繋がりがあった。寶光院は、江戸上野の寛永寺の直轄末寺となり、江戸時代の寶光院の歴代住職は、寛永寺を構成する子院の住職が兼ねていた。そのため、重要な行事が行われるときのみ寛永寺より住職が寶光院へ赴いていたという。現在伝えられている駕籠は、そのときに住職を乗せた駕籠であると考えられている。

 

また、上段の間には、徳川幕府の歴代将軍の位牌がまつられている。

感想■実際に使用されていた駕籠や寛永寺の直轄末寺としての由緒を伺い、江戸時代の寶光院の格式の高さを実感しました。また、山形県内のお寺をまとめる「中本寺」の一つとして、江戸時代の行政機関としての寶光院の姿を伺い、祈願や布教と並行して行政機関としても暮らしを支えていた寶光院の歴史に興味を抱きました。

御本尊・木造釈迦三尊坐像

  • 御本尊・木造釈迦三尊坐像
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    木造釈迦如来坐像
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    木造文殊菩薩坐像
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    木造普賢菩薩坐像
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秘められた寶光院の歴史を伝える

寶光院の御本尊は、釈迦如来様を中心として左右に文殊菩薩様・普賢菩薩様を配する釈迦三尊坐像。造立された時代は不明であるが、最上義光公により現在地に移転される以前からの仏様であると伝えられている。

 

おまつりされている須弥壇には菊の御紋と葵の御紋が彫られており、皇族が住職をつとめる門跡寺院として栄えた寛永寺(輪王寺門跡)と徳川幕府の双方と深い結びつきがあった寶光院の歴史を伝えている。

感想■御本尊様の穏やかな眼差しには、激動の歴史を潜り抜けてきた力強さが含まれているように感じました。現在地に移される以前の歴史は分からないことが多いと伺いました。記録には残っていないけれど、御本尊様をはじめ寶光院を未来へ伝承しようとされた先人たちの存在がある、その先人たちの力強さを御本尊様のお姿から感じました。

【非公開】木造聖観音菩薩坐像(山形市指定文化財)

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凛々しい表情をうかべる端正な観音さま

本堂におまつりされている聖観音菩薩様は、右手に蓮の花を持ち、頭上に宝冠を乗せるお姿をされている。造立時代や由緒などの詳細は不明であるが、凛々しい表情と写実的な衣の表現が特徴的な観音さまである。

感想■美しく気品の感じられるお姿に息をのみました。詳しい来歴などは不明と伺いましたが、その端正なお姿から、数百年もの間大切に信仰され、守り伝えられてきた歴史を感じました。

【非公開】木造不動明王立像(山形市指定文化財)

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天海大僧正との繋がりを伝える

本堂の厨子内におまつりされている不動明王様は、もともと上段の間に設けられた護摩道場の本尊としておまつりされていた仏様。

 

右手に剣を持ち、左手に人々を救い取る働きを象徴する羂索という縄を持つ。岩を模した台座に両足で立ち、背面に火焔で表された光背を配置する。

 

台座には銘文が残されており、慈眼大師(天海大僧正)が弟子の天英(寶光院が現在地へ移った後の初代住職)に授けたことや江戸の仏師により造立されたことが記されていた。

感想■目をカッと見開き牙で唇を噛む様子は勇ましく、不動明王様と相対していると、自然と背筋がピンと伸びる迫力を感じました。

【非公開】木造阿弥陀如来坐像

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精悍な顔立ちが特徴の阿弥陀さま

本堂内におまつりされている阿弥陀如来様は、境内を接する六椹八幡宮でかつておまつりされていた仏様であるとも伝えられている仏様。江戸時代に造立された仏様であると考えられている。

感想■小さなお身体に丁寧に彩色などが施されており、信仰の対象として大切にされてきたことが伝わってきました。六椹八幡宮との秘められた繋がりも興味を持ちました。

本堂を飾る襖絵・杉戸絵

  • 本堂を飾る襖絵・杉戸絵
    高嶋祥光氏による襖絵
  • 本堂を飾る襖絵・杉戸絵
    高嶋祥光氏の署名
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    高嶋祥光氏の娘さんによる襖絵
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    高嶋祥光氏の娘さんによる襖絵
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    杉戸絵
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    杉戸絵
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    杉戸絵
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    杉戸絵
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    杉戸絵
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穏やかな自然と生き生きとした仙人たちの姿が描かれる

本堂内の襖絵は、山形県出身の日本画家・高嶋祥光氏とその娘さんにより描かれたものである。高嶋祥光氏は、帝展で入選を重ねた日本画家であり、山形県を中心に活躍された方である。上段の間へ続く襖絵を高嶋祥光氏が描き、その他の襖絵を高嶋祥光氏さんの娘さんが描いた。

 

本堂に伝えられている杉戸絵は、山形城より本堂が移築された際に同時に移されたと考えられている絵である。龍などの様々な瑞獣と仙人たち、牡丹などが生き生きと描かれている。

感想■数百年の年月を越えて、一流の画家たちの作品が交わる空間に圧倒されました。近くで拝観させていただくと、一筆一筆丁寧に描かれており、絵筆に込める画家の方々の情熱を感じました。

観音堂・聖天堂

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    観音堂・聖天堂
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    観音堂・聖天堂
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聖観音様と聖天様をおまつりする

観音堂・聖天堂には、聖観音菩薩様と歓喜天(聖天)様がおまつりされている。

 

聖観音菩薩様は、山形市周辺の霊験ある観音さまを巡礼する「山形三十三観音巡礼」の札所本尊の一尊として信仰を集めている。

 

聖観音菩薩様と聖天様をおまつりしている建物は、江戸時代に建てられた土蔵造りの建物である。江戸時代まではこの建物のみであったが、明治時代に、山形市内にかつて存在した名刹・宝幢寺の建物を土蔵造りの建物の前に移築し、神社の拝殿のように前後に並び立つ現在の形になったと伝えられている。

感想■堂内でお参りさせていただくと、三十三観音巡礼を巡礼された方が奉納した巡礼札が目に入りました。時代を越えた祈りを感じることができました。

六面地蔵

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かつて街道を行き交う人々を見守っていた6体のお地蔵さま

観音堂・聖天堂の前に建つ「六面地蔵」は、室町時代に建てられたと考えられている石幢。側面に6体のお地蔵さまが彫られている。

 

かつて街道の辻に建っていたが、嵐によって倒れてしまったために寶光院に移されおまつりされている。

感想■人の背丈よりも大きな「六面地蔵」に刻まれたお地蔵さまのお姿からは、風化でお身体が欠けてしまっていても、穏やかさを感じました。何百年間も街道を行き交う人々の人生を見守ってきたお地蔵様の姿に感動しました。

report

学生レポート

立命館大学博士課程

ご住職は大変謙虚でありながらも、豊富なご知識を惜しみなく分かち合ってくださり、山形の歴史や文化について深く学ばせていただきました。特に、各寺院を訪れる中で、寶光院の政治的・文化的な役割を位置づけてくださったことで、山形への理解が一段と深まり、まるで点が線となるように、歴史がつながっていく感覚がありました。

なかでも、軍事的な背景から寺院が移転されたというお話は、これまでになかった視点から歴史を捉えるきっかけとなり、大変印象に残っています。また、その後の見学では、寶光院がかつて270石を賜ったという隆盛の時代を象徴する、数々の貴重な文化財にふれることができ、その時代の息吹を肌で感じるような感動がありました。

最後にお話しいただいた「地震被害が少なかったのは良い大工さんが適切な木材を使った」ということにも、日本人の暮らしと信仰が、どれほど長い時間軸の上に築かれているのかをあらためて実感し、心から感銘を受けました。

history

ご由緒

寺伝によると慈覚大師により創建されたとされ、もともとは山形城の北西方向の須川沿いにある「中野」や「船町」という地名が残る場所に伽藍を構えていたという。天正2年(1574)、最上義守公と最上義光公の父子が争った天正最上の乱に勝利した最上義光公により現在地へ移ったという。

 

江戸時代には、寛永寺を本寺とする中本寺の一つとして山形のお寺をまとめる立場にあり、寶光院の住職は、寛永寺を構成する子院の住職が兼務という形で寶光院の住職を兼ねていた。その行政的側面を強く持つ歴史を示すように、寶光院の本堂は山形城の書院であったとされる建物が移築されている。

info

参拝情報

名称
妙円山 形照寺 寶光院
(みょうえんざん けいしょうじ ほうこういん)
所在地
山形県山形市八日町2丁目1−57
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参拝時間
堂内でのご参拝は事前にご連絡をお願い致します。
拝観料
志納
宗派
天台宗
御本尊
釈迦如来
宝物殿
-
アクセス
■公共交通機関
〇JR「山形駅」から南に徒歩10分〜15分。
        又はタクシーで約5分。

■車
山形蔵王インターチェンジから約35分
駐車場
あり

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