寶光院の本堂は、江戸時代初期に建立された建物であると考えられている。天台宗の寺院の本堂の様式とは異なり、住宅風の様式が特徴の建物である。これは、かつて山形城を構成していた建物のうちの書院を移築して、お寺の本堂として改築したためであると伝えられている。山形城を構成していた建物のほとんどは失われており、寶光院の本堂が現存唯一の建物であると考えられている。
堂内には、書院であった痕跡が多く残されている。
寶光院の本堂は、畳のへりと柱の位置がぴったり合うように建てられている。これは、書院として使われていた江戸時代、役職や身分などにより着座の位置が明確に決まっていたため、着座する畳を基準として建物の内部空間が決められていたためであるという。
また、本堂内左奥の部屋はお殿様が坐る上段の間であり、書院として使用されていた時代は、お殿様が謁見するための場所として使用されていたという。お殿様の視点で座ると、視線に柱が入らないように工夫がされている。上段の間は安永3年(1774)に護摩道場として改築されていたが、近年の修復に伴い、移築前の書院としての内部空間に修復・復元された。
感想■ご住職のお話の中で、「昔の人は数百年先まで見て建物を建てていた。」というお言葉が印象的でした。どのように建物が使われるのか、地震などの天災による被害をどのように免れるか、建物を構成する木材と向き合う情熱とその情熱を具現化する高い技術力に圧倒されました。