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「出羽一佛」と呼ばれる千手観音様をおまつりする

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きちじょういん

吉祥院

山形県山形市

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「出羽国」と称され、様々な信仰や文化が花開いた東北地方西部。出羽国の一部である山形県山形市に、奈良時代より1300年以上信仰を集め、「出羽一佛」と称される御仏がおまつりされる古刹・吉祥院が伽藍を構えています。病に苦しむ出羽国の人々のため聖武天皇の勅命にしたがい行基菩薩が創建したと伝えられている吉祥院には、大らかで優しさ溢れる御本尊・千手観音様を中心に薬師如来様、阿弥陀如来様をはじめとする仏様たちがおまつりされ、人々により1000年以上大切に守り伝えられています。

巡りポイント

「出羽一佛」と呼ばれ古来より信仰を集める御本尊・千手観音様を中心に、1000年以上にわたり様々な仏様が大切におまつりされ、伝えられてきた吉祥院。境内には最上家により再建された本堂(観音堂)や源義経公お手植えの義経桜、藤原秀衡公とゆかりの深い日輪・月輪の板碑、季節の花々が彩る庭園が整えられ、奈良時代から中世、近世、近代、現代と連綿と伝承されてきた力強く大らかな祈りが境内に満ち溢れています。

本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)

  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
    本堂(観音堂)
  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
    お前立・千手観音菩薩立像
  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
    吉祥院の由緒を描いた絵馬
  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
    算額
  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
    天井絵
  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
    本堂(観音堂)厨子(現在は奥之院へ遷座)
  • 本堂及び宮殿(観音堂とも、山形市指定文化財)
    最上義光公による御詠歌額
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最上家により建立された堂々たる建築

吉祥院の中心の建物である本堂は観音堂とも呼ばれる建物。木造方三間、宝形造の建物で、もともとは茅葺の建物であったが昭和46年の改修工事の際に、現在の銅板葺の建物となった。

 

古記録には、延文5年(1360)、斯波兼頼(しばかねより)公により再建されたと残り、現在の建物は室町時代の応永年間(1394~1427)に最上満家(もがみみついえ)公による再建後、天文12年(1543)に最上義守公による改修の際の建築様式に復元修理された建物である。

 

本堂の堂内には、御本尊様をはじめとする仏様をおまつりする最上義光公寄進の厨子が安置されていたが、明治36年(1903)に旧古社寺保存法により御本尊様が「国宝」に指定されたため、大正時代に本堂の後ろに防火・盗難防止のための専用の建物(奥之院)を設け遷されている。

 

最上義光公寄進の厨子は、桁行五尺八寸、梁間三尺七寸五分、入母屋造、杮葺の厨子で、慶長年間(1596~1615)に義光公が老母の供養のために寄進したものと伝えられている。厨子の下り棟に元和5年(1619)7月吉日の墨書銘が確認されている。厨子正面には、最上義光公自筆と伝えられている慶長8年銘の最上三十三カ所巡礼の御詠歌を記した扁額が掲げられている。

 

なお、現在の本堂の堂内中央にはお前立の千手観音様がおまつりされるほか、吉祥院の由緒を描いた絵馬や算額、極彩色の天井絵などが堂内を飾る。また、本堂の後ろ側の戸を開けると、本堂の内陣越しに奥之院に遷った御本尊様を拝めるように改築されている。

感想■本堂と厨子の姿は堂々としており、室町時代から戦国時代にかけて武勇を轟かせた最上家歴代の方々の姿を象徴しているようでした。また、御本尊様がおまつりされる奥之院は神聖な祈りの場所であり、奥之院に直接入らず本堂からお参りする地域の方々が多いと伺い、地域を見守る仏様として1000年以上大切に守り伝えられてきた祈りの伝承に触れ、自然と背筋が伸びる感覚を覚えました。

御本尊・木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財)

  • 御本尊・木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財)
  • 御本尊・木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財)
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  • 御本尊・木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財)
  • 御本尊・木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財)
    足釧(そくせん)
  • 御本尊・木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財)
    三条実美卿揮毫「出羽一佛」
  • 御本尊・木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財)
    本堂(観音堂)に掲げられている扁額
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「出羽一佛」と呼ばれる霊験あらたかな観音さま

奥之院の厨子内部中央におまつりされている御本尊様。ケヤキの一木造で内刳を施さない構造をとる。現状は両肘以下が失われてしまっているが、肩や肘に他の腕が接合する枘穴が複数個所確認されることから、もともと複数の腕を広げる千手観音様のお姿をとっていたと考えられている。

 

膨らみのあるひだと鋭いひだを交互に配する文様である翻波式(ほんぱしき)衣文が見られるが、全体的に浅くなっているため、10世紀頃に造立された仏様であると考えられている。足首の飾り「足釧(そくせん)」を身に着ける点や裙(くん)と呼ばれる身にまとう衣の表現も独特であるという。

 

寺伝では、当初は両脇の伝阿弥陀如来立像と伝薬師如来立像とともに3体の千手観音様としておまつりされていたという。しかしながら、出羽国での修験道の隆盛に伴い、現在の和歌山県の熊野でまつられている熊野三所権現の思想が行者によって山形に入ってきたとき、熊野三所権現のそれぞれの本地仏である千手観音(那智)・阿弥陀如来(本宮)・薬師如来(新宮)を吉祥院の3躯の仏様に割り当て、現在のような千手観音様・阿弥陀如来様・薬師如来様の三尊形式となったという。

 

明治時代に山形県を訪問した三条実美卿が吉祥院を参拝し、「出羽一佛」と揮毫された掛軸が伝えられている。この文字が額に写され、本堂に掲げられている。

感想■ご真言をご住職とともに唱え蝋燭の灯に照らされている御本尊様と向き合うと、どのような願いも優しく受け止めてくださるような包容力を強く感じました。山形に暮らす人々を1000年以上変わらず見つめるその穏やかな眼差しに見惚れました。

木造伝阿弥陀如来立像(山形県指定文化財)

  • 木造伝阿弥陀如来立像(山形県指定文化財)
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口元をきゅっと結ぶ阿弥陀如来さま

厨子の内部、向かって左側におまつりされている阿弥陀如来様。目鼻などの表現や衣の浅い彫りの表現から、御本尊様より少し遅れた10世紀末から11世紀はじめ頃の造立と考えられている。

 

複数の腕を接合していた痕跡が見られることから、もともとは千手観音様としておまつりされていたと考えられている。寺伝では、後の時代に熊野三所権現を構成する本宮の本地仏である阿弥陀如来様へと割り当てられたという。

感想■御本尊様に比べてお顔が小さく、凛々しさを感じる仏様でした。時代の移り変わりにより、求められている仏様のお姿が異なっていたのかなと想像の翼を広げました。

木造伝薬師如来立像(山形県指定文化財)

  • 木造伝薬師如来立像(山形県指定文化財)
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小さなお顔と豊かなお身体が特徴的なお薬師さま

厨子の内部、向かって右側におまつりされている薬師如来様。一木造の仏様で、衣の浅い彫りの表現から11世紀頃の造立と考えられている。

 

御本尊様や阿弥陀如来様と同様に、お身体に複数の腕を接合していた痕跡が見られることから、もともとは千手観音様としておまつりされていたと考えられている。寺伝では、後の時代に熊野三所権現を構成する新宮の本地仏である薬師如来様へと割り当てられたという。

感想■小さなお顔に対してどっしりとしたお身体である点が印象的でした。お身体を大きく表すということは、吉祥院の縁起にある悪疫の消除や救済など、体の健康の祈りを先人たちが重視していたのかなと想像しました。

木造伝勢至菩薩立像(山形県指定文化財)

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亀に乗る平安時代の仏様

伝勢至菩薩立像は、平安時代に造立された仏様。左右の眼に加え額に第三の眼があり亀に乗るお姿であることから、水天であると考えられている。

 

吉祥院に伝来している天部立像(伝毘沙門天立像)や吉祥天立像などと千手観音様の眷属である二十八部衆を構成していたと推測されている。

感想■亀に乗る仏様を初めてお参りしました。近くでお参りさせていただくと、額にも眼があり、すらりとした立ち姿と合わせて、精悍さを感じさせる仏様でした。

木造伝毘沙門天立像(山形県指定文化財)

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眼をギロリと見開く雄々しい仏様

伝毘沙門天立像は、平安時代に造立された仏様。甲冑を着用し、腰を左側へとひねっている。残念ながら両肩より先は失われているが、顔の両側に指先が残り、もともと両手で面を剥ぐお姿をされていたことが想像される。この独特なお姿は、千手観音様の眷属である二十八部衆のうちの散脂大将(散支大将とも、さんし/さんじ たいしょう)のお姿であるとも考えられている。

感想■甲冑を着た勇ましいお姿から、四天王様のいずれかであると思っていたのですが、顔の両側に両指が残っており、珍しいお姿をとられていた仏様であると伺いました。面を剥ぐというお姿にどのような意味が込められているのか、興味を抱きました。

木造吉祥天立像(山形市指定文化財)

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にこりと微笑む女神様

吉祥天様は、平安時代に造立されたと考えられている仏様。長い髪を中央で左右に分け、山型にまぶたを細め口角をわずかに上げる表情が特徴的な女神様である。

 

吉祥天様として信仰を集めているが、両手先を胸前に集め、膝を軽く曲げるお姿から、千手観音様の眷属である二十八部衆のうちの和羅女(神母女とも)のお姿であると推測されている。

感想■山型にまぶたを細めて、軽く膝を曲げる独特なお姿に心惹かれました。お参りする方々をあたたかく出迎えてくださるような心地を抱き、親しみを感じる仏様でした。

木造子安観音菩薩立像

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出産の無事の祈りを受け止めてこられた”撫で仏”

行基菩薩の造立と伝承されている子安観音様。お顔は摩耗し、お身体の表面全体が滑らかになっている。

 

これは、無事に出産できるようにと、人々が子安観音様を撫でて祈願したためであると伝えられている(現在撫でることはできません)。

感想■近くでお参りさせていただくと、磨かれたようにつるつるとした質感をされている仏様でした。この質感は、長い年月をかけて人々の出産の無事の祈りを受け止め続けたためであるとご住職より伺い、心より感動しました。また、赤ん坊を抱いているようなお姿も印象的でした。

銅造観音菩薩立像

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高貴な姫君が祈りを捧げていたとされる愛くるしい観音さま

造立された時代は不明であるが、古来、高貴な身分の姫君が日々祈りを捧げていた仏様であると伝承されている。

感想■すらりとした立ち姿に微笑んでいるように見える優しいお顔が印象的な仏様。姫君が毎日拝んでいた仏様であるという伝承を伺い、時空を超えて仏様のお姿に姫君のお姿を垣間見たような心地を抱きました。

義経桜と日輪・月輪の板碑

  • 義経桜と日輪・月輪の板碑
    義経桜
  • 義経桜と日輪・月輪の板碑
    日輪・月輪の板碑
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    日輪・月輪の板碑
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    日輪・月輪の板碑
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    日輪・月輪の板碑
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    日輪・月輪の板碑
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源義経公ゆかりの桜と藤原秀衡公ゆかりの古碑

本堂の向かって右側に育つ桜の大木は、源義経公が奥州へと逃れてきた際に植えられた桜であると伝えられている。

 

また、義経桜の根元には、源義経公を奥州で保護した奥州藤原氏・第3代藤原秀衡公が久安2年(1146)に建立したとの伝承がある日輪と月輪が刻まれた板碑が伝えられている。

感想■本堂前で青々とした葉を広げる桜の大木が義経公とゆかりの深い桜と伺い、驚きました。毎年春にはお参りの方々とともにお花見をするとお聞きし、いつか満開の義経桜を拝見したいと思いました。

吉祥院の庭園

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    中世の板碑
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    石棺
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ご参拝の方々が喜んでいただけるように

吉祥院の境内には、様々な花々が植えられ、四季折々の美しさが参拝の方々に人気である。

 

蓮が育つ池には、「七宝抜苦 福徳息災 延命曼荼羅塔」が整備されている。これは、諸仏が悟りを得た世界を表した曼荼羅を庭園の中に再現し、庭園の散策を通して、参拝者の方々の願いが成就するようにという願いが込められている。

 

また、境内には、付近で発掘された石棺や中世に刻まれた大きな板碑などが伝えられており、古代より交通の要衝として人々が行き交った当地の歴史を伝えている。

感想■四季折々の花々に囲まれる境内は、まるで観音様の浄土のようでした。穏やかな空間の中で吉祥院の皆様とお話しする時間は格別で、いつかまた訪れたくなるような心地を抱きました。

report

学生レポート

立命館大学博士課程

今回の訪問では、ご本尊さまをはじめとする仏さまを守るご住職の覚悟と熱意が印象深く心に残りました。ご住職から仏さまのお話を伺う中で、「ご本尊さまをはじめとする仏さまはこのお寺の生命線だ。火災や盗難などで私の代で絶えてしまっては、今日まで伝えて来ていただいた先人たちに申し訳ない。だからこそ、仏さまをお守りする事を第一に考えている。」との言葉が強烈に印象深く心に残っております。私たちが仏さまにお参りできることは、仏さまを守り伝えた先人たちの存在があるからこそだということを改めて強く感じた言葉でした。

また、お参りに来る皆さんが喜んでいただけるようにと境内を整備されているとお聞きして、ご住職や吉祥院のみなさまの清らかな心と熱意に胸をうたれました。またいつか、花々に彩られる吉祥院さまにお参りしたいと思います。

history

ご由緒

天平9年(737)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山したと伝えらえている。当時の出羽国では悪病が流行・蔓延して人々が苦しんでおり、行基菩薩はその悪病の消除と人々の救済のために3体の千手観音像をまつったという。創建以来、鎮護国家の道場として信仰を集め、最上家をはじめとする当地の領主によって伽藍が整備された。古来より「出羽一佛」と呼ばれ山形の人々から親しまれている。

info

参拝情報

名称
守國山 吉祥院
(しゅこくざん きちじょういん)
所在地
山形県山形市大字千手堂509
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参拝時間
奥之院の堂内参拝は事前にご連絡をお願い致します。
(毎年8月10日の祭礼『四万八千日』万燈会では特別御開帳を行っています。)
拝観料
1000円(奥之院堂内参拝、お一人あたり)
宗派
天台宗
御本尊
千手観音
宝物殿
-
アクセス
■公共交通機関
JR奥羽線 南出羽駅から徒歩約10分、JR漆山駅から徒歩約15分

■車
寒河江インターチェンジより約25分
駐車場
あり(門前に大型・小型とも)
Webサイト
https://dewa-kichijoin.jp/

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