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ご由緒
貞観年間(859 - 877)、清和天皇の勅願により慈覚大師が創建した。その後伽藍が焼失してしまうが、花山天皇の勅により明観上人が再興した。明石西国霊場や神戸十三仏霊場の札所として知られているほか、境内のカキツバタは「こうべ花の名所」として数えられ多くの参拝者に親しまれている。ご本尊は秘仏・毘沙門天立像。
声明とカキツバタが境内を彩る毘沙門さまの聖地
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たもんじ
兵庫県神戸市垂水区
平安時代に造立され優しい眼差しを参拝者に向ける3躯の仏さまの美しい姿は必見です。また、穴太衆積で整備される境内には職人さんの遊び心も隠されており、探し出す楽しさもあります。
江戸中期の正徳2年(1712)に建立された本堂中央の厨子には、ご本尊・毘沙門天立像がおまつりされる。ご本尊は慈覚大師円仁が一刀三礼により自作した毘沙門天像と伝わり、その胎内に境内の池より湧出した金銅造の毘沙門天像を安置したという。通常秘仏としておまつりされ、住職一代につき一度の御開帳とされる。ご本尊の左右には平安時代に造立された日光菩薩立像と月光菩薩立像がおまつりされている。それぞれ寄木造のお像で国の重要文化財に指定されている。阪神淡路大震災の際、須弥壇から床に落ちてしまい大破してしまったが、修復の結果以前の姿に戻ったという。また本堂内にはお前立の毘沙門天立像など様々な仏さまがおまつりされている。
阿弥陀堂の中央におまつりされる阿弥陀如来坐像は、平安時代に造立され国の重要文化財に指定されている。この阿弥陀如来坐像は下品中生印を結ぶ珍しいお像である。像高87センチで、寄木造のお像である。脇侍として右に千手観音立像を左に地蔵菩薩立像をしたがえる。
本堂の前に築かれている石垣は穴太衆積の石垣である。古来より受け継がれている技術を用いて、一つ一つの石を積み上げて石垣を造立しているそう。完成した石垣の中には動物の姿をかたどった石があるなど職人の遊び心が隠されているという。石垣が囲む池にはカキツバタが群生している。このカキツバタはかつて慈覚大師が唐より持ち帰ってきたという伝承がある。5月頃には数千輪のカキツバタの花が池を埋め尽くすという。
多聞寺の境内では修復と再建が行われている。本堂前に建てられている鐘楼は天保14年(1843)に再建された建物である。平成10年には落雷の被害にあったが修復が完了し往時の姿を取り戻している。また鐘楼にかけられていた梵鐘は太平洋戦争中の金属供出により失ってしまったが、昭和37年(1962)に再鋳造された。境内の入口に建つ仁王門は天明4年(1784)に再建された建物であるとされ、もとの場所から2度の移転の結果現在の場所建つ。平成2年(1990)に仁王像ともに改修が行われた。鎌倉時代から室町時代にかけての造立と伝えられる仁王像を造立当初の姿に戻すことを計画中であるという。仁王門前の道をはさんで反対側に建てられている不動堂は、平成24年にコウヤマキを使い再建されたお堂である。内部には不動明王像がおまつりされている。
学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年
ご由緒
貞観年間(859 - 877)、清和天皇の勅願により慈覚大師が創建した。その後伽藍が焼失してしまうが、花山天皇の勅により明観上人が再興した。明石西国霊場や神戸十三仏霊場の札所として知られているほか、境内のカキツバタは「こうべ花の名所」として数えられ多くの参拝者に親しまれている。ご本尊は秘仏・毘沙門天立像。
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