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ご由緒
元正天皇の勅願寺として、開山に定恵をむかえ、霊亀2年(716)に藤原宇合が伽藍を整備した。創建時の伽藍は弘安8年(1285)に焼失してしまうが、その後に再建された建物が現在も数多く伝えられている。南北朝時代には南朝勢力の拠点として多くの人々が集い、数多く伝えられている文化財がその遺風を今に伝えている。神戸十三仏霊場や新西国三十三箇所など様々な霊場の札所として多くの参拝者が集うほか、境内周辺に原生林が残り「太山寺風致地区」として親しまれている。
雄大な姿の国宝・本堂と巨大な阿弥陀さまが参拝者を迎える
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たいさんじ
兵庫県神戸市西区
鎌倉時代に再建された巨大な国宝・本堂の姿は圧巻です。また、人の背丈の何倍もの像高である阿弥陀如来坐像やそびえ立つ三重塔の美しさも必見です。
境内中央に建つ本堂は、弘安8年(1285)に以前の本堂が焼失した後に建てられた建物である。桁行7間、梁間6間の巨大仏堂であり、内陣と外陣を格子で分ける。全体的に和様の建築手法により構成されているが、木鼻や西半分の肘木に禅宗様の特徴が見られる点が特徴である。内部の厨子には弘安元年(1278)の銘が記されている。昭和34年より解体修復が行われ昭和39年に完成した。
本堂中央の厨子には太山寺のご本尊である薬師如来像がおまつりされている。太山寺に伝わるところによると、明石の浦で形部定国という翁が釣りをしていたところ、きれいな雲がたなびき音楽が流れ始めたという。そのとき、海中より薬師如来像が出現したという。その後、藤原鎌足の孫である藤原宇合が付近の温泉で療養中に霊夢を見て、この薬師如来像を本尊にお寺を創建したという。薬師如来像は秘仏とされている。薬師如来像の左右には四天王立像がおまつりされている。阪神淡路大震災の際に被害を受けたが、修復され神戸市指定文化財となっている。さらに、厨子の背後には十二神将立像がおまつりされている。かつては四天王立像と一緒にご本尊の厨子の両脇におまつりされていたという。なお、内陣の厨子の上には懸仏がかけられている。
本堂の左手には丈六の阿弥陀如来坐像をおまつりする阿弥陀堂が建てられている。建物は貞享5年(1688)の再建である。内部におまつりされる阿弥陀如来坐像は平安時代末期頃の流行を残す鎌倉時代の造立と考えられている。阿弥陀如来坐像の周囲には徳川将軍家の位牌がおまつりされている。5月には阿弥陀如来と二十五菩薩が来迎する様子をあらわした練供養が行われ、多くの参拝者を集める。阿弥陀堂前には太山寺門前に一時期住んでいた熊沢蕃山を顕彰する石碑がたてられている。
本堂の右手には、貞享5年(1688)に再建された三重塔が建つ。塔内には中央に大日如来坐像がおまつりされるほか、四隅に四天王立像がおまつりされている。内部は彩色されている。もともとお釈迦さまの遺徳を示すために塔は建てられるが、太山寺では牛馬安全の祈願をこめる人々が多いという。昭和39年に大幅な修復が行われた。屋根の四隅の組み物には部材を支える邪鬼が置かれている。
太山寺の入口に建つ仁王門は、室町時代中期に移築された建物であると考えられている。昭和28年に解体修理が行われ、もとは重層の楼門形式であったことが判明した。このことを踏まえてどのような構造であったのかを示す模型が門の裏側に設置されている。また仁王門から続く参道の敷石はかつて神戸市電で使用されていた敷石であるという。
本堂の右手後ろに釈迦堂と羅漢堂は建つ。釈迦堂の前に建つ羅漢堂の内部には四天王立像、十六羅漢像、釈迦の四大弟子像がおまつりされている。天井には草花が色鮮やかに描かれている。建立時代の詳細は不明ではあるが、天明年間に建てられたと伝わる。羅漢堂の背後の釈迦堂には釈迦三尊像がおまつりされ、もとは講堂と呼ばれており、享和年間に再建された建物であるという。
本堂の右手に建つ観音堂はもともと鎮守社の建物で、明治の神仏分離以降は等身大の聖徳太子立像と熊野権現、白山権現、蔵王権現の三権現の御神像がおまつりされている。現在の建物は元禄7年9月に建立された建物であるという。観音堂の前には三好長慶が太山寺に陣を構えた時に奉納した石灯籠が現存している。本堂の左手には護摩堂が建つ。護摩堂には不動明王と二童子、毘沙門天、大黒天がおまつりされ、年に一度護摩堂前にて採燈大護摩がとりおこなわれる。護摩堂も元禄年間に建てられたと伝えられている。三重塔より川沿いへつながる道を進むと、奇岩に囲まれた奥の院にたどりつく。奥の院には地蔵菩薩像がおまつりされる地蔵堂が建てられている。
学生レポート
立命館大学生命科学研究科3年
ご由緒
元正天皇の勅願寺として、開山に定恵をむかえ、霊亀2年(716)に藤原宇合が伽藍を整備した。創建時の伽藍は弘安8年(1285)に焼失してしまうが、その後に再建された建物が現在も数多く伝えられている。南北朝時代には南朝勢力の拠点として多くの人々が集い、数多く伝えられている文化財がその遺風を今に伝えている。神戸十三仏霊場や新西国三十三箇所など様々な霊場の札所として多くの参拝者が集うほか、境内周辺に原生林が残り「太山寺風致地区」として親しまれている。
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