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ご由緒
『如意寺旧記』によると、大化元年(645)、法道仙人が多聞天の教化により櫨(はぜ)の木に地蔵菩薩と毘沙門天を刻み、安置したことにはじまるという。大化5年(649)には孝徳天皇の勅願寺となり、堂塔伽藍が整備され多くの僧侶が集った。仁寿元年(851)には慈覚大師が文殊堂を建立したが荒廃したため、正暦年間(990 - 995)願西尼(安養尼)により中興されたと伝わる。中世には国役を免除され、現在に伝えられている文殊堂や三重塔など堂塔伽藍が整備された。天文8年(1539)に本堂等を火災で焼失してしまうが、当時の院主であった一条院泉範により浄財が集められ復興された。寛文7年(1667)には東叡山寛永寺の末寺となり、広大な寺領を有していた。明石西国霊場や神戸十三仏霊場の札所として知られている