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800年以上地域の人々とともに行事を守り伝える古刹

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じんしゃくじ

神積寺

兵庫県神崎郡福崎町

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播磨地方の由緒あるお寺として「播磨六山」の一つに数えられる神積寺。平安時代、慶芳上人の開山より1000年以上の歴史を誇る神積寺の境内には、皇室との強い繋がりを示す文化財や800年以上にわたり地域とともに受け継がれてきた法要など、長大な神積寺の歴史を物語る文化が伝えられています。60年に一度人々の前に姿をあらわすご本尊・薬師如来坐像を中心に貴賤問わず多様な人々が集い、それぞれの時代を示す貴重な文化財が神積寺の信仰空間を形作っています。

巡りポイント

ご本尊である薬師如来坐像だけでなく、本堂には様々な仏さまがおまつりされています。また、神積寺を代表する追儺式は鎌倉時代の創立より鬼子と呼ばれる地域の人々の手により伝えられてきました。現在も鬼子の人々により行われている追儺式は必見です。

ご本尊・秘仏薬師如来坐像(国指定重要文化財)

60年に一度姿をあらわす霊験あらたかなお薬師さま

神積寺のご本尊は薬師如来坐像である。比叡山を中興した第18代天台座主慈恵大師良源の弟子であった慶芳上人(けいほうしょうにん)が諸国を巡礼していた際、この土地の近くで文殊菩薩があらわれ『東の方向に薬師如来をおまつるするように』とお告げをした。その際に造立された薬師如来坐像であると伝えられている。平安時代に造立された仏さまと考えらえており、国の重要文化財に指定されている。60年に一度御開帳されている秘仏とされており、平成26年の御開帳の際にはたくさんの参拝者が訪れた。

感想■平成26年に行われた御開帳の際にはたくさんの人々が訪れて、ご住職も驚いたとお話しされていました。お寺の方にご本尊さまのお話を伺うと地域の人々からとても親しまれている仏さまであることが感じられました。また、神積寺が火災にみまわれた際には、今も本堂の右側に残る井戸の中にご本尊を避難し守ったと伝わっているとお聞きし、いかに大切な仏さまとしておまつりされているかがわかりました。
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本堂(福崎町指定文化財)

  • 本堂(福崎町指定文化財)
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安土桃山時代に建立された堂々たる建物

神積寺の中央に建つ本堂は、天正15年(1588)有馬法師の寄進により再建された建物である。建物内は外陣と内陣に分けられ、外陣の屋根裏には御開帳の際に使用された角塔婆が置かれている。本堂の部材には様々な精緻な彫刻で彩られている。本堂の内陣の右奥には火をおこす炉がある部屋があり、追儺式ではそこで松明に火がつけられ本堂内の壁や柱に松明をたたきつける。そのため、本堂にはその焦げ跡が無数につけられている。

感想■階段を登った先にある本堂は重厚感にあふれ、迫力ある外観をしていました。内部に入ると巨大な柱や梁に圧倒されました。壁面に残る焦げ跡は追儺式のときに付けられたものとお聞きし、本堂内を鬼たちが練り歩く迫力ある追儺式をいつか参列したいなと思いました。

文殊菩薩騎獅像(福崎町指定文化財)

  • 文殊菩薩騎獅像(福崎町指定文化財)
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神社におまつりされていた「田原文殊」

文殊菩薩騎獅像は本堂内部の須弥壇左側におまつりされている。角ばったお顔や体躯・衣文の様子、寄木造で体部前面の部材の地付部に像心束(ぞうしんづか)を彫り残していることから、南北朝時代~室町時代にかけての院派仏師によるお像であると考えられている。当初は神積寺の鎮守社である岩尾神社におまつりされていたが、明治の神仏分離により神積寺にておまつりされるようになった。獅子の台座も含めて当初の部分を多く残されていると考えられ、福崎町指定の文化財に指定されている。

感想■文殊菩薩像や獅子、蓮台には鮮やかな彩色が残っており、その荘厳な姿に息をのみました。特に獅子の表情は非常にリアルで、口を開け非常に愛らしい姿でした。この文殊菩薩さまは明治までは岩尾神社におまつりされていたとお聞きし、神仏習合の信仰の一端を感じさせるほか、神積寺の開山の際に文殊菩薩が慶芳上人にお告げしたというお話も感じさせ、この地が文殊菩薩と深い縁があることを実感しました。

阿弥陀如来坐像(福崎町指定文化財)

  • 阿弥陀如来坐像(福崎町指定文化財)
  • 阿弥陀如来坐像(福崎町指定文化財)
  • 阿弥陀如来坐像(福崎町指定文化財)
  • 阿弥陀如来坐像(福崎町指定文化財)
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「鬼子」の人々の回向の本尊

阿弥陀如来坐像は本堂の須弥壇右手側におまつりされる。近年修復が行われた際の調査では平安時代中期(10世紀)に造立されたことが考えられている。膝部を含めた一木造で内刳はなく、厚く量感のある体部をしている。両手先は江戸時代の後補であるが腕の部分は膝部と同材であることから、定印を結ぶ阿弥陀如来の古例の一つとして貴重である。神積寺では、追儺式に携わる13の家の人々である「鬼子(おにこ)」の回向の本尊としてまつられてきた。そのため、追儺式の最初にこの本尊に対し「鬼子」の人々の回向法要が行われるという。

感想■今より1000年以上昔に造立された阿弥陀如来像が伝えられていることに感動しました。像高30センチほどの小さい像でありながら、目鼻立ちがはっきりとしているお顔からは迫力を感じました。800年近くの歴史をもつ鬼子の方々との繋がりをお聞きし、このお像に秘められている歴史の重厚さに圧倒されました。

本堂におまつりされる仏さま

  • 本堂におまつりされる仏さま
    お前立像
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    お前立像
  • 本堂におまつりされる仏さま
    日光菩薩・月光菩薩立像
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    日光菩薩・月光菩薩立像
  • 本堂におまつりされる仏さま
    十二神将立像
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    十二神将立像
  • 本堂におまつりされる仏さま
    十二神将立像
  • 本堂におまつりされる仏さま
    僧形坐像
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須弥壇上に多様な仏さまがおまつりされる

本堂の須弥壇上の厨子の左右には日光菩薩立像、月光菩薩立像、十二神将立像、僧形坐像がおまつりされている。それぞれのお像の造立時代は不明であるという。僧形坐像はびんずる尊者としておまつりされ、参拝者の方々に撫で仏として親しまれていたという。通常のびんずる尊者とお姿が異なることから開山の慶芳上人や他の高僧の肖像ではないかと指摘されている。また、厨子の前にはお前立の薬師如来坐像、厨子の左右には文殊菩薩像と毘沙門天像が脇侍としておまつりされている。

感想■それぞれの仏さまは様々な彩色が施され色彩豊かな空間が広がっていました。それぞれのお像の彩色は造立当初に施された彩色とされているとお聞きし、これらの仏さまが大切に守られてきたことが感じられました。また、びんずる尊者としておまつりされてきた僧形坐像のお顔は長い年月撫でられてきたことにより摩耗していましたが、穏やかな表情をしていることが伝わってきました。長い年月、たくさんの参拝者の方に愛されてきたお像であると感じました。

仁王門・弁天堂・奥の院・鐘楼・石灯籠(福崎町指定文化財)

  • 仁王門・弁天堂・奥の院・鐘楼・石灯籠(福崎町指定文化財)
    仁王門
  • 仁王門・弁天堂・奥の院・鐘楼・石灯籠(福崎町指定文化財)
    仁王門
  • 仁王門・弁天堂・奥の院・鐘楼・石灯籠(福崎町指定文化財)
    仁王門
  • 仁王門・弁天堂・奥の院・鐘楼・石灯籠(福崎町指定文化財)
    弁天堂
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    石灯籠(福崎町指定文化財)
  • 仁王門・弁天堂・奥の院・鐘楼・石灯籠(福崎町指定文化財)
    鐘楼
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    奥の院
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江戸時代にかけて整備された神積寺境内

神積寺参道の入口に建てられている仁王門は江戸時代頃に造立されたと考えられており、両脇に仁王像がおまつりされ参拝者ににらみをきかせている。仁王門から参道を進むと、池の中の小島に弁天堂が建てられている。この弁天堂は天保7年(1836)12月に吉田村、田尻村の大工によって建てられた。弁天堂内部には江戸時代に造立されたと考えられている弁財天像と十五童子像がおまつりされている。弁天堂より参道を進むと、本堂の前に一対の石灯籠が設置されている。この石灯籠には北山田村(現姫路市)の助左衛門が両親の菩提を弔うために、天和3年(1683)に寄進したことが銘文として刻まれている。このことから福崎町の文化財に指定されている。また、参道の石段は助左衛門とその子孫により寄進された。石灯籠の近くには寛文3年(1663)に建立された鐘楼が伝えられている。本堂の北東方向に奥の院と呼ばれる建物が建てられている。奥の院には神積寺を開いた慶芳上人がおまつりされている。

感想■神積寺の現在の境内の様子は江戸時代に整えられたとお聞きしました。それぞれの建物を建立した人や寄進した人の名前が伝えられており、人とお寺とのつながりを大切にする文化が神積寺にはあるのだと感じました。また、先人たちが神積寺を整備したからこそ私たちが今参拝できるということを改めて実感しました。

三十三所観音巡り

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本堂背後に広がる観音巡礼の道

本堂の背後の妙徳山には西国三十三カ所を模した巡礼道が整備されている。それぞれの札所の観音さまを模した石仏がおまつりされ、豊かな自然を楽しみながら巡礼することができる。また、巡礼道の最初には役行者をおまつりする行者堂が建てられている。

感想■ほどよい山道を進みながら気軽に観音さまを巡礼することができました。それぞれの観音さまのお顔はとても可愛らしく、次はどのような観音さまにお会いできるかわくわくしながら巡礼しました。春頃には巡礼道にツツジが咲くとお聞きし、美しい花々を楽しみながら巡礼することができそうです。

妙徳山古墳(福崎町指定史跡)

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お寺に残る古墳時代後期の古墳

参道から東に進むと古墳時代後期に築かれた妙徳山古墳が見えてくる。この古墳は円墳で、直径20メートル、高さ3メートル、南側に玄室への入口が開かれている。玄室の内部に入ると人の背丈の数倍以上の空間が広がっている。内部から遺物は発見されておらず、被葬者の詳しいことは判明していない。

感想■玄室の内部に入ると、入口からは想像できないほど巨大な空間が広がっていました。玄室を構築する一つ一つの石が人の背丈ほどあり、この古墳に埋葬された方がいかに地域にとって大切な人であったのかが伝わってきました。

阿弥陀種字板碑(兵庫県指定文化財)

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皇室との関係を今に伝える巨大な板碑

参道脇にある阿弥陀種字板碑は高さ194センチ、幅82センチ、厚さ18センチにもなる巨大な板碑である。この板碑は神積寺に滞在した後堀河天皇の中宮・安喜門院の百箇日供養に伴い造立された板碑である。正面中央には、阿弥陀如来をあらわす種字を刻み、下方に造立の由来を示す銘文が刻まれている。

感想■人の背丈以上ある巨大な板碑の迫力に圧倒されました。中央に刻まれた種字は刀で切ったように思えるほど鋭く彫られており、その字姿が非常にかっこよくしばらく見とれました。より天皇や皇族から信仰を集めた神積寺の往時の姿を垣間見ることができました。

悟真院

  • 悟真院
    唐門(福崎町指定文化財)
  • 悟真院
    薬師三尊像
  • 悟真院
    善光寺式阿弥陀如来像
  • 悟真院
    降魔大師像
  • 悟真院
    降魔大師像
  • 悟真院
    石造宝塔残欠(福崎町指定文化財)
  • 悟真院
    石造宝塔残欠(福崎町指定文化財)
  • 悟真院
    石造宝塔残欠(福崎町指定文化財)
  • 悟真院
    ふれ愛観音
  • 悟真院
    悟真院境内
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近年再建された多様な人々が集う場所

参道沿いにある悟真院は、神積寺を構成する子院の一つである。祈願をする場所である本堂とは異なり、檀家さんの回向を行うための祈りの場所である。中央には薬師三尊像、その脇には善光寺式阿弥陀如来像、左の壇には香川の妙法寺に伝わる降魔大師をもとに松本明観師が造立した降魔大師像が、右の壇には福崎町の文化財に指定されている石造宝塔残欠がおまつりされている。石造宝塔残欠は基礎の部分と塔身のみが残る石造宝塔で、塔身に阿弥陀如来と思われる仏像が彫られている。火災の際に燃えてしまい一時バラバラとなってしまったが、火災前の姿に修復された。悟真院の境内には西村公朝師による「ふれ愛観音」をまつる「ふれ愛観音堂」のほか、入口には福崎町指定文化財である唐門が建てられている。近年再建され多様な人々が訪れやすいようにバリアフリーに配慮された建物に生まれ変わり、コスプレ撮影会など多様な催しが開催されている。

感想■ご住職より悟真院を再建するにあたり、多様な人々が集う場所に様々な工夫を行ったとお聞きしました。また、檀家さんだけでなく新しい方々にも気軽に来ていただけるように、コスプレの撮影会など様々なイベントを計画されているそうです。悟真院でご住職やお寺の方とお話しする時間は非常に楽しく、時間が経っていることをわすれてしまうほど盛り上がりました。まだまだ悟真院の整備は続くそうなので、これからどのような姿になるのか非常に楽しみです。

文殊会式と追儺式

  • 文殊会式と追儺式
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神積寺を代表する2つの法要

神積寺では、1月の成人の日に追儺式、3月の春分の日に文殊会式が執り行われる。追儺式は鬼追式と呼ばれ、神積寺の本尊薬師如来の使者である「山の神」と家来で文殊菩薩をあらわす「青鬼」、毘沙門天をあらわす「赤鬼」という3種類の鬼が本堂の炉から松明に火をともし本堂を練り歩き邪気を払う所作を行う。鎌倉時代より始まり、天皇陛下の使いである勅使を迎える法要であった。鎌倉時代の創始から現在に至るまで「鬼子」と呼ばれる13の家からなる地域の人々により伝えられている。3月の文殊会式は文殊菩薩を称える法要であり、文殊会式にも勅使が派遣されていたと伝わる。現在は法華八講法要を行っている。

感想■鎌倉時代より地域の人々が連綿と受け継いでいるという歴史に圧倒されました。本堂をよく見ると鬼追いの際についた焦げ跡が無数に残り、鬼追いという神積寺の文化が現在進行形で今に伝えられているということを実感しました。古来、追儺式と文殊会式は天皇陛下より勅使が派遣される重要な法要であるとお聞きし、神積寺と皇室との強い関係性を改めて感じました。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年

今回の訪問では、本堂におまつりされる文殊菩薩さまの美しいお姿と台座の獅子の迫力ある姿に心が奪われました。また、13家の鬼子のみなさまとともに800年続く追儺式のお話が印象深く心に残っています。文殊菩薩さまの前に進むと、光に照らされて金色に光り輝く文殊菩薩像の神々しいお姿と優しいまなざしに心が震えました。さらに文殊菩薩さまに足元に目を向けると、今にもこちらに飛び掛かってくるような感覚を覚える迫力ある獅子の姿がありました。その姿からは勇ましさを感じるとともに愛くるしさも感じ、神々しい文殊菩薩さまと親しみを覚える獅子の姿の対比が非常に印象深かったです。また行事という形のない文化が800年以上お寺と地域の人々の手によって行事が伝えられてきていることに感動しました。火災や争いに見舞われながらも現在まで紡がれている神積寺の文化に圧倒されました。

history

ご由緒

慈恵大師の弟子である内供奉・慶芳上人が諸国を巡錫していた正暦2年(991)3月8日、田原の郷に存在していた辻川有井堂にて文殊菩薩のお告げとその守護を得て、一条天皇の勅により薬師如来を本尊として創建された。その後、近衛天皇の宣旨により播磨六山の1つとなり、大いに隆盛したという。延慶2年(1309)に伽藍が焼失してしまうも復興が続き、現在の伽藍は天正15年(1588)有馬法師の寄進により再建された。

info

参拝情報

名称
妙徳山神積寺
(みょうとくさんじんしゃくじ)
所在地
兵庫県神崎郡福崎町東田原1891
googleMAP
参拝時間
9:00~17:00
※悟真院(開門時間9時~16時)
拝観料
無料
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
アクセス
【公共交通機関】JR姫路駅より播但線「福崎駅」下車、東へ約3.3キロ。タクシーで約10分。または巡回バスで約26分(1回100円日曜運休「神積寺前」バス停下車。
【自動車】中国自動車道福崎インター下車、播但連絡道路に入り「福崎北ランプ」下車2分。
駐車場
有り
Webサイト
http://www.jinshakuji.jp/

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