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ご由緒
寺伝では長保2年(1000)に性空上人が草庵を建てたのが起源とされ、時の花山法皇も弥勒寺に行幸したという。 南北朝時代に播磨・備前・美作三か国の守護を務めた赤松義則が本堂を再建し、その建物が今に伝えられている。
性空上人が晩年を過ごした、書写山圓教寺の奥之院
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みろくじ
兵庫県姫路市
円教寺の奥之院として知られる彌勒寺には、書写山を開き、この地を終の住処とした性空上人ゆかりのお堂が並びます。 境内には性空上人の祈りが満たされています。
播磨・備前・美作守護、赤松義則によって天授六年(1380)に建立された建物で、国の重要文化財に指定されている。 繊細な格天井には唐様模様が施され、当時の最先端の様式が多く取り入れられている。また、堂内には建物を建立した赤松氏の家紋・巴紋と赤松氏と密接な関係であった足利家の家紋・二引紋が施されている。
本堂内部の左手には、平成3年の台風の際に、本堂内部に飛び込んできた巨石「撫で石」がおまつりされている。
深夜に山から転がり落ちてきた巨石は、本堂脇の溝を飛び越えて本堂内部に飛び込んできたそう。
不思議とこの巨石によって境内やご本尊様に被害はなく、現在、この巨石を撫でると御利益があるとして信仰を集めている。
木造弥勒三尊像は、長保元年(999)に性空上人の仏師、弟子として知られる安鎮によって造立されたお像。中央に弥勒仏坐像、両脇には大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)立像と法苑林菩薩(ほうおんりんぼさつ)立像が立つ。近年の修復の際、江戸時代に施された彩色が除去されたほか、弥勒仏坐像の左手が下向きで触地印(そくちいん)又は降魔印(ごうまいん)を結ぶことが判明し、平安時代に造立された当初の姿に修復された。兵庫県下で年代が確定している最古の仏様ということで、平成10年(1998)に国の重要文化財に指定された。
開山堂には彌勒寺を開いた性空上人がおまつりされている。おまつりされている性空上人坐像は彩色されており、あたかも目の前に性空上人が座っているかのような感覚を覚える。 性空上人をおまつりしている厨子は、扉の金具に刻まれた銘文から慶長16年(1611)に造立されたことがわかり、兵庫県の文化財に指定されている。厨子の扉には、性空上人を守護したという乙天護法童子、若天護法童子が描かれている。 開山堂は、享保年間(1716-1736)に建立された建物で、慶応3年(1867)と昭和60年(1985)に修理された。 上人像は、毎年正月の三が日にのみ一般にご開帳される。
開山堂の前に並び建つ2棟の建物は、性空上人を守護し、修行を助けたという乙天護法童子・若天護法童子をおまつりしている護法堂である。建物を構築する部材には精緻な細工が施されている点が特徴。宝永8年(1711)に建立された建物であるとされている。
彌勒寺の布袋様は高さが約5メートル、重さが約130トンにもなる日本最大の布袋様。彌勒寺が伽藍を構える夢前町の町おこしの一環で平成6年(1994)に造立された。布袋様は中国に実在した人物。彌勒寺の御本尊である弥勒仏の化身であると伝えられていることから、彌勒寺の境内に造立された。毎年11月3日にほていまつりの舞台となる。
開山堂の前に建つ石造の供養塔は、鎌倉時代後期に造立されたと考えられている供養塔である。基壇の部分には『奉納』と刻まれている他、文字が刻まれているが風化のため詳細は不明である。塔身には扉や梵字などが彫られている。
また。本堂内にまつられている石幢は、幢身が六面からなっており、その各面に経文や銘文が刻まれている。風化のため詳細は不明であるが、元弘二年に造立したこと旨が銘文中に記されていることが判明している。
学生レポート

立命館大学 博士課程
学生レポート

京都大学大学院文学研究科修士2年
ご由緒
寺伝では長保2年(1000)に性空上人が草庵を建てたのが起源とされ、時の花山法皇も弥勒寺に行幸したという。 南北朝時代に播磨・備前・美作三か国の守護を務めた赤松義則が本堂を再建し、その建物が今に伝えられている。
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