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ご由緒
康治2年(1143)、正覚坊道邃により念仏道場として創建されたという。もともとは現在の姫路城がある姫山に伽藍を構え、仏の名前を唱える『称名』という言葉をとり、『姫道山称名寺(きどうさんしょうみょうじ)』という寺号であった。建長年間には後嵯峨天皇の勅願所となり大いに栄えたが、正平元年(1346)赤松貞範が姫山に櫓を築城するため城下に移転した。その後、天正年間の黒田職隆による姫路城の築城、慶長年間の池田輝政による姫路城の築城の際に移転し現在地に伽藍を構えた。
人々の心を惹きつける姫路の古刹
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しょうみょうじ
兵庫県姫路市
境内には姫路城との繋がりを示す板碑が伝えられています。また、年に数回姫路城で法要も執り行うなど姫路城と密接なつながりがあります。正明寺で催される坐禅会や法話会なども魅力的です。
正明寺のご本尊は阿弥陀如来立像である。金色に光り輝く厨子の内部におまつりされている。厨子の前には如意輪観音菩薩像、向かって右手には聖観音菩薩像。太平洋戦争の際の空襲で正明寺は焼失したが戦後に復興が続き、おまつりされているご本尊の阿弥陀如来像と如意輪観音菩薩像は戦後に寄進された仏さまであるという。ご本尊がおさめられている厨子にはネズミとブドウの彫刻が緻密に施されており、見るものを圧倒させる。
本堂の正面向かって左手には、正明寺を開いた正覚坊道邃(しょうがくぼうどうずい)の坐像がおまつりされている。正覚坊道邃は、現在の姫路市北部に伽藍を構えている随願寺の僧侶で、念仏道場として正明寺を開いたという。仏の名前を唱える「称名(しょうみょう)」という言葉からもとは「称名寺」という寺号であった。
本堂の左手の覆屋の内部には人の背丈を超える大きな板碑がおまつりされている。この板碑は凝灰岩製で、上部に蓮華に乗る阿弥陀如来像が刻まれている。また、貞和2年(1346)に造立されたことが蓮華の下に刻まれているほか、明治9年(1876)姫路城内から正明寺に移されたことが最下部に追刻されている。赤松貞範が姫山に櫓を建築する際に城下へ移転した際にこの板碑を造立したと考えられている。
正明寺ではお寺の法要だけでなく、坐禅や法話など様々な催しが行われている。毎年春と秋のお彼岸とお盆の時期に姫路城で供養法要が執り行われる。この法要はもともと、正明寺が姫路城の建立されている土地にあり、姫路城の石垣に多数の石仏や墓石が使用されていたことから行われているという。また、正明寺では月に1回ほどのペースで坐禅会や写経・法話会が催されており、宗派を超えて様々な人々が集い親しまれている。
正明寺法嗣である小林恵俊師は、YoutubeやTikTok、X、InstagramなどのSNSで天台の教えを幅広く発信している。サメのぬいぐるみとともに出演する「サメに説法」では、画面の向こうの人々に語り掛ける姿がたくさんの人々から共感を集め、幅広い世代の人々から親しまれている。
学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年
ご由緒
康治2年(1143)、正覚坊道邃により念仏道場として創建されたという。もともとは現在の姫路城がある姫山に伽藍を構え、仏の名前を唱える『称名』という言葉をとり、『姫道山称名寺(きどうさんしょうみょうじ)』という寺号であった。建長年間には後嵯峨天皇の勅願所となり大いに栄えたが、正平元年(1346)赤松貞範が姫山に櫓を築城するため城下に移転した。その後、天正年間の黒田職隆による姫路城の築城、慶長年間の池田輝政による姫路城の築城の際に移転し現在地に伽藍を構えた。
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