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人々の心を惹きつける姫路の古刹

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しょうみょうじ

正明寺

兵庫県姫路市

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姫路城のすぐ近く、寺町として多くの寺院が軒を並べる場所に正明寺は伽藍を構えています。姫路城がそびえ立つ姫山に伽藍があったという正明寺の歴史を紐解くと姫路城との繋がりを体感することができます。また、住職の小林恵俊さんはYoutubeやTikTokで幅広い世代から支持を集めるお坊さんです。正明寺では様々な催しがおこなわれ、宗派を問わず多様な人々が集います。

巡りポイント

境内には姫路城との繋がりを示す板碑が伝えられています。また、年に数回姫路城で法要も執り行うなど姫路城と密接なつながりがあります。正明寺で催される坐禅会や法話会なども魅力的です。

ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま

  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    如意輪観音坐像
  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    如意輪観音坐像
  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    如意輪観音坐像
  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    聖観音菩薩立像
  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    聖観音菩薩立像
  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    聖観音菩薩立像
  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    厨子の彫刻
  • ご本尊・阿弥陀如来像と本堂におまつりされる仏さま
    厨子の彫刻
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ご本尊の前に様々な人々が集う

正明寺のご本尊は阿弥陀如来立像である。金色に光り輝く厨子の内部におまつりされている。厨子の前には如意輪観音菩薩像、向かって右手には聖観音菩薩像。太平洋戦争の際の空襲で正明寺は焼失したが戦後に復興が続き、おまつりされているご本尊の阿弥陀如来像と如意輪観音菩薩像は戦後に寄進された仏さまであるという。ご本尊がおさめられている厨子にはネズミとブドウの彫刻が緻密に施されており、見るものを圧倒させる。

感想■姫路は近くに工場があったため太平洋戦争の際に戦火にみまわれ、正明寺も焼失したとお聞きしました。その後、ご本尊や仏さま、本堂などが人々の寄進により再興されたそうです。ご本尊さまや仏さまにお参りしていると戦火や移転に巻き込まれながらもお寺を今に伝えた人々の篤い気持ちに触れた心地がしました。

正覚坊道邃坐像

  • 正覚坊道邃坐像
  • 正覚坊道邃坐像
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正明寺を開いたお坊さんの姿

本堂の正面向かって左手には、正明寺を開いた正覚坊道邃(しょうがくぼうどうずい)の坐像がおまつりされている。正覚坊道邃は、現在の姫路市北部に伽藍を構えている随願寺の僧侶で、念仏道場として正明寺を開いたという。仏の名前を唱える「称名(しょうみょう)」という言葉からもとは「称名寺」という寺号であった。

感想■念仏道場であるからこそ、仏の名前を唱える「称名」という言葉をお寺の名前にしたということをお聞きしました。普段何気なく見聞きしている言葉には裏支えする意味があることを改めて気が付きました。

板碑(兵庫県指定文化財)

  • 板碑(兵庫県指定文化財)
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正明寺の由来が記された南北朝時代の石碑

本堂の左手の覆屋の内部には人の背丈を超える大きな板碑がおまつりされている。この板碑は凝灰岩製で、上部に蓮華に乗る阿弥陀如来像が刻まれている。また、貞和2年(1346)に造立されたことが蓮華の下に刻まれているほか、明治9年(1876)姫路城内から正明寺に移されたことが最下部に追刻されている。赤松貞範が姫山に櫓を建築する際に城下へ移転した際にこの板碑を造立したと考えられている。

感想■赤松貞範が正明寺を移転したという事実を裏付ける当時の文化財が伝えられていることに感動しました。板碑に近寄ると当時刻まれた文章がはっきりとみることができ、当時の人々と相対しているような感覚を覚えました。また、明治頃までは姫路城内にあり手水鉢として使われていたとお聞きし、驚きました。

お寺で催される様々な行事

  • お寺で催される様々な行事
    姫路城にて行われる五輪塔供養の様子
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宗派を超えて人々が集う

正明寺ではお寺の法要だけでなく、坐禅や法話など様々な催しが行われている。毎年春と秋のお彼岸とお盆の時期に姫路城で供養法要が執り行われる。この法要はもともと、正明寺が姫路城の建立されている土地にあり、姫路城の石垣に多数の石仏や墓石が使用されていたことから行われているという。また、正明寺では月に1回ほどのペースで坐禅会や写経・法話会が催されており、宗派を超えて様々な人々が集い親しまれている。

感想■姫路城の石垣に石仏や墓石が多数使われていたことに驚きました。姫路城には何度も訪れていますが、石垣にそのような歴史が秘められていることを知りませんでした。そのような歴史が礎にあるからこそ姫路城が現在まで受け継がれているということを痛感しました。また、正明寺では坐禅会や法話会などが催されているとお聞きしました。天台宗の信徒の方だけでなく、様々な人々が訪れるとお聞きし、いつか参加したいと思いました。

正明寺法嗣・小林恵俊師による「サメに説法」

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幅広い世代から親しまれる言葉の力

正明寺法嗣である小林恵俊師は、YoutubeやTikTok、X、InstagramなどのSNSで天台の教えを幅広く発信している。サメのぬいぐるみとともに出演する「サメに説法」では、画面の向こうの人々に語り掛ける姿がたくさんの人々から共感を集め、幅広い世代の人々から親しまれている。

感想■Youtubeで小林恵俊さんの「サメに説法」の動画を視聴しています。優しく穏やかな口調で語り掛ける小林恵俊さんの言葉は、自分の中にスッと入ってくるような優しい言葉で親しみやすいです。今回実際にお会いしてお話しているとお話の中で様々な発見があるとともに、また正明寺に参拝して小林恵俊さんとお話ししたいなと感じました。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年

正明寺の歴史を深く見ていくと姫路の歴史を追体験しているようでした。信仰の山でもあり戦から人々を守るための山である姫山の変遷の歴史は非常に興味深かったです。また、YoutubeやTikTokで発信している小林恵俊さんとのお話では新しい発見の連続であったとともに、穏やかでゆったりとした時間を過ごすことができまるで実家に帰ってきたような安心感を抱くとともに楽しい時間を過ごすことができました。正明寺では様々な催しが行われているとお聞きしたので、また正明寺に参拝し坐禅会や法話会に参加してみたいなと感じました。

history

ご由緒

康治2年(1143)、正覚坊道邃により念仏道場として創建されたという。もともとは現在の姫路城がある姫山に伽藍を構え、仏の名前を唱える『称名』という言葉をとり、『姫道山称名寺(きどうさんしょうみょうじ)』という寺号であった。建長年間には後嵯峨天皇の勅願所となり大いに栄えたが、正平元年(1346)赤松貞範が姫山に櫓を築城するため城下に移転した。その後、天正年間の黒田職隆による姫路城の築城、慶長年間の池田輝政による姫路城の築城の際に移転し現在地に伽藍を構えた。

info

参拝情報

名称
姫路山正明寺
(ひめじさんしょうみょうじ)
所在地
兵庫県姫路市五軒邸2-88
googleMAP
参拝時間
9:00~17:00
※堂内参拝は事前連絡
拝観料
志納
宗派
天台宗
御本尊
阿弥陀如来
宝物殿
アクセス
・JR播但線京口駅から直線約470m、徒歩約11分、車で約2分
・JR山陽本線・JR神戸線・JR姫新線・JR播但線姫路駅から直線約1.42km、徒歩約34分、車で約7分
駐車場
有り(25台)
Webサイト
https://himejisan.com/
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