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ご由緒
かつてこの地に大きな池があり、魚がたくさん獲れた。ここに住む農民は、そこに住む魚を食べたり売ったりして生活していた。ある日「河宰」と名乗る人物が現れ、過去に仏が説法した霊地であるにも関わらず、汚れてしまっていると嘆き、池に身を投じると、大蛇が現れ大きな被害が出た。そこで天長六年(829)、淳和天皇が慈覚大師円仁に大蛇の討伐と疫病の回復を命じ、円仁が仏像を造り、念じると大蛇や疫病は亡くなった。そこでこの場所にお堂を整備しできた寺院が泉福寺である。 鎌倉時代に幕府が鎌倉にできるとそれに伴い関東で天台の教えを広めるべく、文暦元年(1234)に信尊上人とその弟子である廣日・海日・廣海・尊海等がこのお寺に来て中興し、関東における天台の学問所とし、関東天台教学の中心地として大いに隆盛した。寛文元年(1243)には、後嵯峨天皇より『東叡山勅願院』の勅額を賜っている。その後、江戸時代になると徳川家より庇護を受け、第14代将軍徳川家茂公までの歴代の御朱印が伝えられている。
