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ご由緒
天長元年(824)、慈覚大師によって創建された。慈覚大師が留学した長安の大慈恩寺の風景と似ていることから、慈恩寺と名付けられた。創建以来、観音さまの聖地として信仰が篤く、坂東三十三霊場の第12番札所となっている。また、玄奘三蔵のご遺骨がおまつりされていることでも有名で、国内外から数多くの参拝者が訪れる。
玄奘三蔵のご遺骨が眠る
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じおんじ
埼玉県さいたま市岩槻区
観音さまの霊地として数多くの巡礼者が参拝する雄大な本堂。そして、日本人だけでなく全世界の人々が参拝する玄奘塔。開創1200年を誇る慈恩寺にはいつの時代も人々が集い、数多くの人々の拠り所となっています。
慈覚大師により創建され、坂東三十三霊場の第12番札所として大いに信仰を集める慈恩寺。現在の本堂は、天保14年(1842)に再建された建物で、平成27年から平成28年に70年ぶりの修復工事が行われ、建立当初の威風堂々とした雄大な本堂の姿がよみがえった。内部の天井には江戸時代の絵師、狩野寿信による天井画のほか、様々な時代の絵師の手による鮮やかな天井画が描かれている。
本堂にはご本尊の千手観音菩薩をおまつりする。慈覚大師が造立したと伝わる千手観音菩薩像は、江戸時代の寛永11年(1634)に本堂とともに焼失してしまったが、天海僧正により比叡山から千手観音菩薩像が寄進され、現在もおまつりされている。坂東三十三霊場の札所本尊である千手観音菩薩像は現在も数多くの巡礼者の祈りを受け止めている。千手観音菩薩像の両脇には、眷属である二十八部衆像がおまつりされるほか、閻魔大王像や奪衣婆像、鎌倉時代に造立されたと考えられている広目天立像がおまつりされている。
本堂内陣には、人の背丈ほどある巨大な獅子頭が安置されている。この獅子頭はかつて慈恩寺を構成していた塔頭の一つである幡ヶ崎坊に所属していた僧侶が越後から伝えたものと伝えられ、この獅子頭を用いる獅子舞は関東ささら獅子舞の元祖とされている。かつては秋季大祭の際にこの巨大な獅子頭を担いで檀家をまわっていたという。
本堂の前には天正17年(1589)に岩付城主である北条氏房の家臣である伊達房実により寄進されたという鉄灯籠が残されている。この灯籠には『蝋付け』と呼ばれる技法により文字が鋳られており、当時の貴重な歴史を物語る貴重な文化財である。
本堂の正面向かって右手側におまつりされている銅造の阿弥陀如来坐像。天和2年(1682)に発生した江戸の大火『八百屋お七の振袖火事』の被災者追悼のために造立されたと伝わる。
昭和17年、南京市郊外で西遊記のモデルとなった中国の高僧・玄奘三蔵の遺骨が発見された。その際、中国より日本の仏教会にご遺骨の一部が分骨された。その後、玄奘三蔵とゆかりの深い長安にある大慈恩寺と風景が似ていることにちなみ歴史が始まる慈恩寺にてご遺骨がおまつりされることとなった。塔の外観は伊藤忠太氏、ご遺骨がおさめられている壺は朝倉文夫氏により制作された。
学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年
ご由緒
天長元年(824)、慈覚大師によって創建された。慈覚大師が留学した長安の大慈恩寺の風景と似ていることから、慈恩寺と名付けられた。創建以来、観音さまの聖地として信仰が篤く、坂東三十三霊場の第12番札所となっている。また、玄奘三蔵のご遺骨がおまつりされていることでも有名で、国内外から数多くの参拝者が訪れる。
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