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凜々しい阿弥陀さまが人々を迎える

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とうがくいん

等覚院

埼玉県東松山市

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埼玉県の中心に位置する東松山市。市内には古墳時代や奈良時代の遺跡が確認され、古い歴史を持つ土地として知られています。そんな東松山市の古凍地区に伽藍を構える等覚院には、国重要文化財に指定されている阿弥陀如来坐像がおまつりされています。阿弥陀さまを拝観するために、日本全国から人々が訪れるという等覚院。阿弥陀さまに加え、等覚院に伝わる歴史や文化に触れていきます。

巡りポイント

凜々しい眼差しを私たちに向ける阿弥陀さまの魅力に是非触れてください。本堂におまつりされるご本尊・十一面観音さまや欄間の彫刻にもお参りください。

木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)

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凜々しい表情を私たちに向ける阿弥陀さま

寄木造で金箔が押されている、阿弥陀如来坐像。造立時期は、平安時代とも鎌倉時代ともされている。上品下生の印を結び、蓮華の上に結跏趺坐の姿をとる。昭和26年に行われた修復の際、像内に「奉修理阿弥陀如来像一躰 大仏師定性 塗師▢▢ 建長五年癸丑卯月卅」の銘が記されていることが判明した。伝承では、釜穴と呼ばれる湧水地より出現したとされ、等覚院がある「古凍」地区は「古郡」とされ、郡司の館跡とも考えられることから、この阿弥陀さまは郡司の持仏堂の本尊であった可能性も考えられている。

感想■ふっくらとしていて緩やかな曲線で表現されるお顔や体からは優しい印象を受けるとともに、キリッとした眼差しからは凜々しさを感じました。また、指先まで細かく彫刻されている繊細さに息を呑みました。もみあげに刻まれた渦巻き状の髪の表現も心に残りました。

本尊・十一面観音立像とまつられる様々な仏さま

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小さく愛らしいご本尊と修復され美しい姿となった仏さま

本堂中央の厨子の内部におまつりされている十一面観音立像。像高17㎝ほどの小さなお像である。造立は江戸時代頃と考えられている。同じ厨子内部の両脇には天部立像や日光菩薩立像・月光菩薩立像が脇をかためている。また、ご本尊がおまつりされている須弥壇上には勢至菩薩立像や地蔵菩薩立像がまつられている。東日本大震災を契機におまつりされているお像や厨子の修復を行っている。

感想■本堂内陣には、ご本尊さまをはじめ数々のお像がおまつりされており、仏さまの世界が広がっていました。ご本尊の十一面観音さまは、小さなお像で非常に愛らしく身近に感じさせるお像でした。十一面観音さまの脇には毘沙門天像とどなたかわからない天部立像がおまつりされており、もしかしたら、京都の清水寺におまつりされている観音さまのように、勝軍地蔵さまなのかなと想像の翼を広げました。ご住職によるとお像の修復を進めているそうで、すべてのお像が修復されることが待ち遠しいです。

本堂

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豪華絢爛な彫刻と歴史に彩られる建物

明治年間の火災の後に建てられた本堂内部には、龍などの伝説上の生き物が迫力ある表現で刻まれている欄間彫刻で彩られている。また、昔住職が使用していたという輿が残されている。

感想■立体的に彫刻された龍の欄間彫刻に心惹かれました。丁寧に鱗の一枚一枚まで彫刻されており、当時の大工さんの技術力の高さに圧倒されました。また、時代劇でみるような輿が吊されており、当時の生活の様子も垣間見れました。

板碑

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境内に残る中世の板碑

関東地方で多く造立された板碑(供養として造られた石碑)。等覚院の境内にも伝えられており、中には応永年間(1394~1428)の銘が残るものもある。表面には阿弥陀如来を表わす種字か刻まれている。

感想■関東地方に多く見られる板碑。多くが人々の供養のために造立されたと考えられており、中世の関東地方の人々の生活を示す歴史史料です。等覚院にも500年近く昔の板碑が伝えられていることに驚くと共に、これらの板碑が私たちに、等覚院がいつの時代も人々の祈りの場であったことを教えてくれているのだと感じました。これらの板碑がどのような経緯で造立されたのか気になります。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年

凜々しさとともに包み込むようなあたたかさを感じさせる阿弥陀さまの姿が忘れられません。指先やもみあげの髪の毛の先まで繊細に作り上げる当時の仏師の技術力の高さを感じました。また、像内に記された鎌倉時代の修理銘から、いかにこの阿弥陀さまが地域で大切にされ守られてきたのかがわかりました。等覚院では、東日本大震災を契機に阿弥陀さま以外のお像の修復を進めているとお聞きしました。阿弥陀さまへの拝観をきっかけに他のお像の修復が進んでほしいなと思いました。また、境内に残る中世の板碑からは、等覚院が古来より人々の拠所となっていたことがわかりました。そのような地域の拠所がある文化を未来へつないでいきたいと心より感じました。

history

ご由緒

等覚院はもと西岸山等覚院来迎寺と称され、暦応5年1月に誓信上人により開基され、享保6年に玄海上人により中興されたと伝えられている。昭和44年、本寺であった慈雲寺と合併し、現在の慈雲山等覚院来迎寺となった。その慈雲寺、等覚院、付近の吉祥寺と合わせ古凍三山と呼ばれた。本尊は十一面観音立像。また、国の重要文化財に指定されている阿弥陀如来坐像をまつる。

info

参拝情報

名称
慈雲山等覚院
(じうんさんとうがくいん)
所在地
埼玉県東松山市古凍536-1
googleMAP
参拝時間
要予約
拝観料
志納
宗派
天台宗
御本尊
十一面観音
宝物殿
アクセス
東武東上線東松山駅 バス 15分

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