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人々の喜びが多いお寺を目指して

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きたいん

喜多院

埼玉県川越市

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古き良き街並みが残され、小江戸と呼ばれる川越。そのような川越の街中に慈覚大師により創建された古刹・喜多院が伽藍を構えています。中世には天台の教えを学ぶ僧侶が多く集まり、関東地方における天台宗の学問所の一つとして大いに栄えました。さらに江戸時代には天海僧正が住職となったことで、徳川家からの保護をうけ、さらに発展していきます。そのような1000年以上の歴史を誇る喜多院には、その歴史を今に伝える仏さまや文化財が伝えられています。

巡りポイント

喜多院の境内には魅力ある仏さまや建物が数多く伝えられています。徳川家光公や春日局が実際に使用した部屋が残る客殿や書院、庫裏、慈恵大師がまつられる雄大な本堂、ユニークな表情をうかべる500人の羅漢さんたち。様々な仏さまや文化財が参拝者を迎えます。

本堂(埼玉県指定文化財)

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川越大師として親しまれるお大師さまをおまつりする

境内中央に建立されている本堂は中央に慈恵大師をおまつりし、慈恵堂とも、また広い堂内にて耳を澄ますと潮の満ち引きの音が聞こえたことから潮音殿とも呼ばれている。桁行9間・梁間6間の入母屋造の巨大な建築で、喜多院の伽藍のほとんどを焼失させた川越大火の後、寛永16年(1639)に一番最初に再建された建物である。中央におまつりされる慈恵大師の両脇には喜多院を開いた慈覚大師、中興した尊海僧正のお姿がおまつりされる。また、左右には不動明王像がおまつりされ毎日護摩祈祷が行われている。さらに、堂内にはだるまが多数安置される。なお、喜多院の本尊は客殿におまつりされる阿弥陀さまであるが、明治維新以降主要な行事をこの慈恵堂でおこなっているため、この建物が本堂としての機能をもつようになった。また、内部にかけられている梵鐘は正安2年(1300)の銘文が刻まれている梵鐘で、国の重要文化財に指定されている。

感想■境内にそびえたつ巨大な本堂。本堂に近づくと大きな太鼓の音が響いています。この太鼓の音色は祈願の時に鳴らされるもので、本堂では毎日祈願をされる方々がお参りに訪れるそうです。たくさんの方々のお参りのためにこれほど大きいお堂が建てられ、大火の後も一番最初に再建されたのだとお聞きし、感動しました。

客殿・仏間(国指定重要文化財)

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ご本尊・阿弥陀如来像をおまつりする

江戸城紅葉山の御殿を移築した建物である客殿には、喜多院のご本尊・阿弥陀如来像をおまつりする仏間がある。17畳の仏間には、ご本尊をはじめ阿弥陀如来像が複数おまつりされるほか不動明王像や毘沙門天立像など様々な仏さまがおまつりされている。仏さまの背後には江戸城にこの建物が建っていた当時に描かれていたと考えられている桐や鳳凰の壁画が描かれている。また、仏間には天海僧正のお姿が複数おまつりされている。華やかな法衣をみにつけるお姿は晩年のお姿、黒色のお姿は若いころのお姿と考えられている。

感想■大きな桐や鳳凰の壁画を背に金色に光り輝く阿弥陀さまのお姿は神々しく、その美しいお姿に心を奪われました。また、天海僧正のお姿が同じ場所に複数おまつりされていることは珍しいそうで、いかに天海僧正が尊敬されていたのかが伝わりました。

客殿・徳川家光公誕生の間(国指定重要文化財)

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徳川家光公が誕生した歴史的な部屋が残される

12畳半の1室は上段の間と呼ばれ、客殿が江戸城内にあった際、この部屋で徳川家光公が誕生したと伝わる。このことからこの部屋は『家光公誕生の間』と呼ばれている。この部屋には違棚や床が設けられ、天井は花々が描かれている81面の格天井絵に、部屋全体は狩野探幽により描かれたとされる山水図により彩られている。また、上段の間の裏手には風呂と厠が残されている。風呂は現在のサウナのような蒸し風呂であったという。また、江戸時代に将軍が実際に使用していたときは、毎日厠にて将軍の体調管理が行われていたという。

感想■誰もが知っている徳川家光公が実際に使用していた部屋が現在まで伝えられていることに感動しました。水墨画や花々に彩られる部屋は美しく、時間を忘れずっとこの場所で過ごしていたいと感じました。レプリカではなく当初の絵画を近くで鑑賞できることにも感動しました。さらに、江戸時代に実際に使用されていたお風呂やトイレが現在のものと変わらないことに驚きました。また、将軍の体調管理のお話もお聞きし、将軍はすさまじい生活スケジュールを行っていたのだと驚愕しました。

書院(国指定重要文化財)

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春日局が過ごした建物

桁行6間・梁間5間、寄棟造で杮葺の書院には8畳の部屋が2室、12畳の部屋が2室あり、一部に中二階が設けられている。8畳の部屋は徳川家康公の乳母である春日局が生活した部屋と伝えられ『春日局化粧の間』と親しまれている。

感想■書院に入ると客殿に比べて天井が低いことに気が付きます。ご住職によると当時の身分や役職の違いを視覚的に示しているのだそう。当時の社会や習慣を考えながら建築をみてみると新しい発見があることにおもしろさを感じました。

慈眼堂(国指定重要文化財)

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喜多院を整備した天海僧正をまつる

境内の小高い丘の上に慈眼堂が建てられている。桁行3間・梁間3間、宝形造の本瓦葺の建物で、内部に慈眼大師坐像をおまつりしている。慈眼大師坐像は頭巾をかぶり法衣を着て曲ろくの上に坐っている。檜の寄木造で玉眼で両目があらわされ、墨書で寛永二十年に造立されたことが記されている。令和3年から令和4年に修復が行われた。なお慈眼堂が建立されている丘は6世紀後半から7世紀初頭にかけて造立された古墳であると考えられている。また、慈眼堂の背後には歴代住職の墓所があり、中世に建立された板碑などがまつられる。

感想■堂内におまつりされる慈眼大師像を拝すると、まさにそこに慈眼大師が座っているような迫力を感じました。現在の『喜多院』という寺号は天海僧正が定めたといいます。その理由としては様々考えられるそうですが、戦国時代を通して荒廃した人々の心を『喜びの多い』心に移り変わってほしいという天海僧正の願いによるものではないかとお聞きしました。この慈眼大師坐像からは、そのような天海僧正の信念を感じました。

庫裏(国指定重要文化財)

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江戸城内から移築された僧侶の生活の場所

客殿や書院と同様に江戸城から移築された建物の一つ。桁行10間・梁間4間の母屋、東の桁行が4間・西の桁行が3間・梁間3間の食堂、玄関、広間から構成される建物で現在は拝観者入口として使用されている。

感想■拝観者入口としてたくさんの方々が使用する庫裏。知らず知らずのうちに貴重な建築を使用していることに驚きました。

山門(国指定重要文化財)・番所(埼玉県指定文化財)

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川越大火で焼け残った喜多院最古の建物

境内の入口に立つ大きな山門は、寛永9年(1632)に天海僧正により建立された門である。4本の柱の上に屋根が乗る四脚門の形式で、かつて後奈良天皇の宸筆による山号の額が掲げられていたという。また、山門の右側には番所とよばれる詰所の役割を担う小さな建物が接続している。江戸時代中期頃に建てられたと考えられている建物で、埼玉県内唯一残る番所の建築例であるという。

感想■大火を乗り越えた貴重な建築が残されていることに感動しました。ご住職によると喜多院をはじめ川越のまちは数多くの戦乱や災害に巻き込まれたそうです。400年以上昔に建立された建物が今も伝わることは、400年間大切に伝えていこうという人々の存在がいたということであると気がつきました。

鐘楼門(国指定重要文化財)

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迫力ある彫刻に彩られる元東照宮の門

2階に梵鐘を吊るす桁行3間・梁間2間、入母屋造で本瓦葺の建物。1階には袴腰とよばれる囲いが設けられ、2階には龍や鷹の彫刻がはめられている。かつては東照宮の門であったと考えられており、山門とともに川越大火を免れた建物であるとも考えられている。内部の梵鐘には元禄15年の銘が残り、国の重要美術品に指定されている。

感想■2階にはめられた龍や鷹の迫力ある姿に心躍りました。近くでみると目力があり、非常にかっこいい彫刻だと感じました。

多宝塔(埼玉県指定文化財)

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現在の場所に復興された優美な多宝塔

かつて山門と日枝神社の間にあった古墳上に寛永16年(1639)に建立されたという。その後、明治43年(1910)に本堂と庫裏を結ぶ渡り廊下の中央に移築された。老朽化のため、建立当初の姿を失っていたが、昭和48年(1973)に現在地にて復元復興された。

感想■赤と白、瓦の灰色に彩られる多宝塔は美しく、多宝塔のある境内の風景に感動しました。かつての多宝塔の姿を写した古写真を見たことがあり、もとの姿の復興を目指された方々の熱意に圧倒されました。

五百羅漢(川越市指定史跡)

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ユーモラスな表情の羅漢さんが参拝者をむかえる

川越北田島の志誠の発願により天明2年(1782)から文政8年(1825)にかけて造立された。羅漢のほかに十大弟子や十六羅漢、中央に釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩など合計538体の石像が安置されている。深夜に羅漢の頭をなでると1体だけ温かい羅漢像があり、その顔が亡くなった親の顔に似ているとの言い伝えも残されている。日本三大羅漢の一つに数えられている。

感想■見渡す限りにたたずむ羅漢さんの姿に圧倒されます。どの羅漢さんもユーモラスな表情や体の動きをしており、自然と穏やかな気持ちになりました。羅漢さんの間を通っていると、笑ったり泣いたりしている羅漢さんの話声が聞こえてくるような感覚をおぼえ、いつまでもこの空間にいたいと思える場所でした。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年

今回の訪問では、喜多院をはじめ数々のお寺や場所を整備した天海大僧正の願いや困難な時代に直面しながらも喜多院の歴史や文化を未来へつなげた僧侶の方々の姿が印象深く心に残っています。この活動に参加を通して、天海大僧正という僧侶が、たくさんの戦乱の影響で荒廃した都市や寺社を復興し続けたということを学んでいました。今回のご住職のお話のなかで、その復興の動機の一つが戦国時代という厳しい時代を生き抜いた人々の疲弊した心をなぐさめるためであるということを紹介していただきました。当時の人々の営みを下支えし未来の発展の礎を気づいた天海大僧正の偉大さに圧倒されました。また、ご住職のお話の中で登場した「歴史に名前が残る人々だけでなく、名も無き人々の熱意や努力によって歴史や文化が守られてきた」という言葉が印象に残っています。江戸時代から明治時代へと時代が変革したとき、喜多院の僧侶の方々は街へ出て天台の教えを一般の人々に広めたと聞きました。そして、その教えの繋がりにより喜多院が維持されてきたとお聞きし、人と人との繋がりを大事にして人々の心の拠所として発展していく喜多院の姿に感銘を受けました。

history

ご由緒

天長7年(830)に淳和天皇の勅を受け慈覚大師円仁により星野山無量寿寺が創建された。ご本尊として阿弥陀如来像がおまつりされ、脇侍として不動明王や毘沙門天がまつられた。しかしながら元久年間に戦火を被ったが、永仁4年(1296)に尊海僧正が再興した。このころ、仏蔵坊・仏地坊・地蔵坊の三坊から構成されるようになり、それぞれ地理的条件から北院・中院・南院とよばれた。尊海僧正を慕い多くの僧侶が集い、関東天台宗の学問所・修行所として大いに栄えたという。戦国時代に扇谷上杉氏と後北条氏の戦乱に巻き込まれるが、第27世住職に就任した天海僧正や徳川家の援助により再復興された。境内には江戸城から移築された建築群など様々な文化財が伝えられている。

info

参拝情報

名称
星野山喜多院
(せいやさんきたいん)
所在地
埼玉県川越市小仙波町1-20-1
googleMAP
参拝時間
■3月1日~11月23日
 平日:9:00~16:30、日祝:9:00~16:50
■11月24日~2月末日
 平日:9:00~16:00、日祝:9:00~16:20
※上記の時間は、開門・閉門終了する時間。1月は状況により変更することも有り。
※拝観受付は、閉門30分前に終了。
※ご朱印は、閉門30分前に終了。
※お休み:12月25日~1月8日、2月2日・3日、4月2日~4日、その他、院内行事のある日は拝観を中心する場合あり。
拝観料
■個人
 大人400円、小人(小・中学生)200円
■団体(20名以上)
 大人350円、小人(小・中学生)150円
宗派
天台宗
御本尊
阿弥陀如来
宝物殿
アクセス
【電車でお越しの方】
 ・東武東上線・JR線 川越駅下車 徒歩約20分
 ・東武東上線 川越市駅下車 徒歩約18分
 ・西武新宿線 本川越駅下車 徒歩約15分
【お車でお越しの方】
 ・加熱自動車道 川越ICより約20分
 ・圏央道 川島ICより約19分
駐車場
有り(有料)
Webサイト
https://kitain.net/

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