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祈りの音が絶え間なく山々に響く

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かぶさんじ

神峯山寺

大阪府高槻市

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大阪・高槻市の街並みを見下ろす山中に、日本を代表する霊山の一つとして多くの信仰を集めた古刹・神峯山寺が伽藍を構えています。『日本最初毘沙門天』として時代を問わず多くの信仰を集めた神峯山寺の境内には、いつ何時も祈りの声が響き渡ります。

巡りポイント

日本を代表する霊山の一つとして知られる神峯山には、毘沙門天に対する信仰だけでなく、龍神に対する信仰や阿弥陀さまに対する信仰など様々な仏さま・神々の信仰が息づいています。

本堂とご本尊・毘沙門天

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姿が異なる3体の毘沙門天さまをご本尊としてまつる

江戸時代に建立されたとされる本堂には、神峯山寺の本尊である3体の毘沙門天がおまつりされている。本堂の内陣中央の厨子の内部には、奥様にあたる吉祥天女、お子様に当たる善膩師童子(ぜんにしどうし)とともに『毘沙門天』が、中内陣には2つの体を持つ『双身毘沙門天』が、内内陣中央の厨子の内部には『兜跋毘沙門天』がおまつりされている。第一の本尊は家内安全や子宝子授などの信仰を、第三の本尊は戦勝祈願や商売繁盛など現世利益の福の神としての信仰を集める。第二の本尊である『双身毘沙門天』は、非常に霊験の強い毘沙門天のため、絶対秘仏であり限られた修行僧しか拝むことができない。双身毘沙門天は人間がもつ正義と闇の両方を持って拝むことで強靭な力が発揮されるが、強い願いをかけるのであれば必死になって拝まないと拝む者自身の命を取られてしまう恐れがあるという。兜跋(とばつ)とはチベット地方に存在していた兜跋国ということを示すことから、兜跋毘沙門天は兜跋国の毘沙門天という意味であり、通常地天女に支えられる姿をしているが、第三の本尊『兜跋毘沙門天』は第一の本尊『毘沙門天』の姿と似ているという。これは、当初兜跋毘沙門天としてまつられていた像は消失し、新たに造られた像だと考えられている。大阪の大商人である鴻池善右衛門も信仰し、大阪からの参拝ルートである三島江から神峯山寺参道にかけて石造の道しるべを建立したという。その道しるべは現在も残されている。なお、第一の本尊である『毘沙門天』は、寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に毘沙門天が舞い降りてきたという伝説があるため、12年に一度寅年に、第三の本尊である『兜跋毘沙門天』は毎年11月23日の秋のお祭りの際にご開帳される。

感想■お寺のご本尊さまはお寺につき1体の仏さまという固定概念があったので、お寺のご本尊さまが3体おまつりされているということに驚きました。それぞれの毘沙門天さまごとに姿やお名前が異なり、それぞれ異なるご利益があるとご住職にお聞きし、仏さまの多様さにも心惹かれました。

木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)・観音菩薩像・勢至菩薩像

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1000年間、人々を救済し続ける阿弥陀さま

内々陣におまつりされている阿弥陀如来坐像は、平安時代後期頃に造立されたと考えられているお像。今より約1000年前、神峯山の麓に住んでいた豪族・橘輔元(たちばなのすけもと)は不治の病を患っていた。その病魔に蝕まれた身体で神峯山寺を訪れ、阿弥陀如来の前で一心不乱に念仏を唱え続けたところ、病気は全快したという。その後、橘輔元は良忍(りょうにん)のもとで出家し融通念仏の第二祖および神峯山寺当山36代座主良恵(りょうけい)となり、阿弥陀如来(来生)と毘沙門天(現世)の信仰に重きをおいた『現世も来生も安泰』という神峯山寺独自の信仰を広めたという。この阿弥陀如来坐像は橘輔元が祈りをささげていた阿弥陀如来像と伝えられている。阿弥陀如来坐像の両脇には脇侍である観音菩薩立像と勢至菩薩立像が安置されている。

感想■1000年前に生きた歴史上の偉人が実際に拝んだ仏さまを自分も拝むことのできることに感動しました。ご住職によると、この阿弥陀さまは橘輔元だけでなく、その後に生きた人々の祈りを受け止め続けているとお聞きし、阿弥陀さまを介しかつて阿弥陀さまの前に進んだ先人たちの息遣いに触れた心地がしました。また、橘輔元が融通念仏の第二祖であることから、神峯山と融通念仏宗とのつながりが今日まで続いているとお聞きし、阿弥陀さまを中心に人々の縁が広がっていくことがすばらしいと思いました。

木造聖観世音菩薩(国指定重要文化財)

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平安時代に造立された2体の観音さま

内内陣におまつりされている2体の聖観音菩薩立像は、向かって右側の1体が11世紀中ごろ、左側の1体が12世紀ころに造立されたと考えられているお像である。11世紀中ごろに造立された聖観音立像は、頭頂部から足元までヒノキの一材で造立され、彫眼、古色である。この像は、滋賀県栗東市の大野神社にておまつりされる十一面観音立像と法量や技法が共通し、同一の工房にて造立されたお像であると指摘されている。12世紀に造立された聖観音立像は、ヒノキ材の一木造で、右足を少し前に出す点が特徴である。昭和7年(1932)に修理された際の修理銘が台座裏に貼り付けられている。

感想■2体のお像を拝すると似ている感覚を覚えましたが、注意深く拝すると衣の様子やお顔の様子など異なっていることに気が付きました。特に、それぞれのお像が身にまとう衣の表現の美しさに心惹かれました。様々な仏さま・神々がおまつりされる神峯山において聖観音さまに対してどのような信仰空間が広がっていたのか、さらに近江国を代表する霊場として著名な金勝山の山麓にある大野神社に似ているお像がおまつりされているとお聞きしたことから、大阪と滋賀といった離れた土地にどのような信仰的繋がりがあるのか興味を持ちました。

開成皇子像

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神峯山を整備した皇子

内内陣には、神峯山を整備した開成皇子像がおまつりされている。開成皇子は光仁天皇の皇子で平安京を整備した桓武天皇の庶兄である。開成皇子は北摂地域に数々のお寺を創建・整備し勅願所とし、神峯山寺も天皇家の菊の紋や毘沙門菊甲紋をいただいたという。神峯山寺におまつりされる開成皇子像は両手を胸の前で交差する独特なポーズをしている。調査により、ヒノキ材の寄木造、桃山時代(16世紀後半)に造立されたお像であると考えられている。

感想■開成皇子は神峯山寺だけでなく、現在の高槻市や茨木市一帯に数多くの寺院を創建・再興し、人々の祈りの場所を整えていったとお聞きしました。1200年以上の年月を経てもそのお名前が伝えられていることから、開成皇子がいかに人々に慕われていたのかが伝わりました。また、開成皇子像の独特なポーズがどのような意味を持っているのか気になりました。

イコン(聖教画)

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国境を越えても変わらない祈り

内内陣には、イコンが掲げられている。イコンとはキリスト教、主に正教会で用いられる聖像画である。神峯山寺にまつられているイコンは、かつてセルビア大使を務めていた方から寄進された画という。セルビア中東戦争が深刻化していた際、セルビアで日本大使をされていた方が、セルビアを離れる際にセルビアの人々からお礼として渡されたという。このイコンには、「戦争を早く終わらせてください。」という人々の願いが込められ、大使をされていた方は神峯山寺とも深くご縁がある方でもあり、祈りの場所におまつりしてほしいと寄進されたという。

感想■ご住職のお話の中で『たとえ仏教ではないキリスト教のイコンだとしても、仏像と同じく人々の思いがこもった信仰の対象です。』という言葉が印象深く残っています。その言葉の根底には、『すべてのものが仏になる』という仏教の教えがあると教えていただき、混迷を極める今の時代に大切な考え方だなと感銘を受けました。

本堂におまつりされる様々な仏さま

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多様な仏さま・神々がおまつりされる

内内陣におまつりされる第三の本尊のお厨子の前には胎蔵界の大日如来坐像が、その前には神仏習合の歴史を今に伝える鏡が置かれ、神峯山の神である金毘羅飯綱大権現( こんぴらいいづなだいごんげん)がおまつりされている。神峯山の麓の村では、川の氾濫を鎮めるために水の神様を勧請したという逸話や神峯山の峰を龍の背になぞらえ、山全体が村を見守る龍神として信仰が今に伝えられている。第一の本尊のお厨子の周囲には四方を守る四天王像が、厨子の背後には中世に造立されたと考えられている千手観音菩薩坐像がおまつりされている。さらに内陣の左右の壇には宇賀神弁財天や如意輪観音像、大黒天像、天台大師像など様々な仏さまがおまつりされている。

感想■本堂内には、様々な仏さまがおまつりされており、仏教の仏さまの多様さに圧倒されました。おまつりされている仏さま・神々に地域の人々や神峯山を訪れた人々との逸話や伝説が残り、そのような仏さまや神々を拝するとそうした人々との繋がりを感じることができました。

開山堂

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神峯山の信仰を形づくった役行者をまつる

本堂脇の急峻な階段を登った先にあるお堂。内部には神峯山寺の信仰の礎をつくった役行者とその使いの鬼である藍婆(らんば)と毘藍婆(びらんば)がおまつりされているという。神峯山寺で最も高い場所に建っているという。

感想■急峻な階段を登るとみえてくる開山堂。開山堂にたどり着くまでの厳しい道のりから、役行者が行っていたという山岳修行の厳しさの一端を感じました。

化城院

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絶えることのない護摩の炎

2013年、かつて神峯山寺にあったという化城院が復興・落慶した。現在の化城院は毘沙門不動護摩を毎日焚く護摩道場となっており、2011年より連続祈願をスタートし、2024年11月4日には連続5,000日を達成する。

感想■化城院では10年以上毎日護摩を焚いているとお聞きしました。その背景にある、神峯山寺のみなさんが抱く『いつ何時も神峯山寺が人々に寄り添う祈りの場所でありたい』という気持ちに対し、参拝者の一人としてあたたかさを感じるとともに再び訪れたいと深く思いました。

光仁天皇墓碑と開成皇子断髪塔

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1000年以上の歴史を今に伝える石塔

本堂西側には光仁天皇墓碑と称される十三重石塔が建立されている。石塔内部には神峯山寺を勅願所としたという光仁天皇の遺骨が分骨されているという。光仁天皇墓碑近くの山中には開成皇子断髪塔と称される五重石塔が建立されている。神峯山を整備した開成皇子の髪をおさめているという。

感想■近くで拝することのできる光仁天皇墓碑のみ参拝しました。人の背丈の数倍もある石塔は迫力があり、光仁天皇の願いを祈ったという歴史を追体験することができました。また、石塔内部には光仁天皇のご遺骨が分骨されているとお聞きし、皇室との強いつながりを今に伝えていました。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科3年

今回の訪問では、いつ参拝に訪れてもお経を読む声が聞こえるお寺でありたいというご住職のお話と『拝仏』という考え方が印象深く心に残っています。ご住職のお話の中で、護摩は連続5000日以上、回向は2000日近く毎日行っているということを伺いました。ふとお寺に参拝に訪れても、僧侶の方々と祈りを捧げることができる神峯山寺の空気感に感動しました。また、おまつりされているお像それぞれに秘められたストーリーをお話いただきました。1体1体様々なストーリーが秘められており、そのストーリーを形作る人々の願いや祈り、信仰を『拝仏』という形で向き合うことができることが素晴らしかったです。一般的に宗教離れが進んでいるといわれる昨今ですが、多くの人々が神峯山寺に集うのは、守り伝えられている文化とゆっくりと向き合うことができる空気が神峯山寺に形作られているからなのかなと感じました。

history

ご由緒

およそ1300年前、神峯山を訪れた役行者の前に金毘羅童子(こんぴらどうし)が現れ、1つの霊木から4体の毘沙門天を出現させた。その4体の毘沙門天に役行者が魂を入れると四方に飛んでいき、そのうちの1体が神峯山寺にまつられたと伝わる。その後の774年、光仁天皇が皇子の開成皇子に命じ中興され、山岳信仰や龍神信仰など様々な信仰が息づき「七高山」の一つとして多くの信仰を集めた。

info

参拝情報

名称
根本山神峯山寺
(こんぽんざんかぶさんじ)
所在地
大阪府高槻市原3301-1
googleMAP
参拝時間
9:00~17:00
※本堂内の仏さまを拝する「拝仏」は事前予約が必要です。
拝観料
無料
※紅葉時期のみ、環境保全費400円
宗派
天台宗
御本尊
毘沙門天・双身毘沙門天・兜跋毘沙門天
宝物殿
アクセス
■公共交通機関
JR高槻駅北口バス停1番乗り場から市バス53原大橋行きで約18分、神峰山口バス停下車、徒歩約20分

■自動車
高槻ICから神峯山寺駐車場まで約5km(約8分)、神峯山寺駐車場から徒歩約6分
駐車場
あり(有料)
Webサイト
https://kabusan.or.jp/
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