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ご由緒
六所宝塔が建てられていた宝満山の麓に、1987年、比叡山開創1200年を記念して、高さ5メートルを超える傳教大師最澄像が造立され、妙香庵が創建された。また、傳教大師最澄が横大路家に灯した火が妙香庵に移され、「蓮華のともし火」として信仰を集めている。
最澄と源四郎の出会いから1200年灯り続ける灯火
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みょうこうあん
福岡県太宰府市
かつて傳教大師が1年以上滞在した宝満山一帯。傳教大師とゆかりの深いこの地に妙香庵は建てられました。妙香庵や宝満山を巡ると、1200年前の出来事とは思えないほど、たくさんの傳教大師の足跡が伝えられていることに気がつきます。
宝満山は、今からおよそ1200年前の延暦23年(804年)、中国へ渡る船を待つ傳教大師が1年3ヶ月の間航海の安全を祈った場所である。高さが5m80cmにもなる傳教大師の巨像は、昭和62年(1987年)11月15日、比叡山開創1200年を記念し、傳教大師37歳のときの雄姿をイメージして建立された。
中国での求法の旅を終え、九州へ戻ってきた傳教大師。布教の拠点となる場所を探していた時、源四郎という1人の猟師に出会う。傳教大師の布教活動を支えたお礼として源四郎に「横大路」という姓と自刻の毘沙門天立像、天台山より持ち帰った「法理の火(ほうりのひ)」を源四郎に授けたという。それらが、1200年以上、横大路家よって護られてきた。2011年、横大路家の「法理の火」が傳教大師とゆかりのある妙香庵に移され、今もなお灯り続けている。
中国より帰国した傳教大師は、日本全国に6箇所の宝塔を建立することを計画した。傳教大師の計画をうけ、比叡山に2箇所、栃木県、群馬県、大分県、福岡県各1箇所ずつ建立された。そのうち福岡県の宝塔は、宝満山に建立された。宝満山麓の妙香庵から宝満山山中に足を進めると、かつての宝塔の遺構が現在も残っている。
妙香庵の本堂正面には、明治時代の神仏分離令の折、岐阜県郡上八幡の宮司様が隠しお護りされていたという御本尊・華香救世観世音菩薩(かこうくぜかんぜおんぼさつ)がおまつりされる。廃仏毀釈の難をくぐり抜け、50年ほど前に妙香庵に迎えられた。1170年頃の造立と伝えられ、像内には造像の由来が記された巻物などが納められている。御本尊の右側の壇には、朝鮮半島で造立されたと伝えられる観音菩薩立像や海中(玄海灘)から漁師により引き上げられた薬師如来座像、浪切不動明王として勇ましい姿をほこる不動明王立像がおまつりされている。
延暦23年(804年)、傳教大師最澄が渡唐の折、ここ宝満山麓に逗留された時、お試しの薬師仏1体と、七仏薬師をお彫りになる(筑前風土記による)。それから、身丈6尺の檀像薬師仏(善名称吉祥王如来)を4体お造りになられた(叡山大師伝による)。 傳教大師1200年大遠忌を記念し、身丈6尺の檀像薬師仏(善名称吉祥王如来)、日光菩薩、月光菩薩、十二神将、四天王など、一連の造像を決定する。 傳教大師尊像建立35周年法要(2022年11月)のある2022年2月、宝満山中堂安置の薬師仏(廃仏毀釈で行方不明になり、宝満山麓の民家にて隠し護られていた)が、120年の時を越えて、傳教大師堂にお入りになられた。 2023年12月、檀像薬師仏(善名称吉祥王如来)一連の仏像が傳教大師堂にお座りになられ、開眼法要が執り行われた。
学生レポート
立命館大学生命科学部4年
ご由緒
六所宝塔が建てられていた宝満山の麓に、1987年、比叡山開創1200年を記念して、高さ5メートルを超える傳教大師最澄像が造立され、妙香庵が創建された。また、傳教大師最澄が横大路家に灯した火が妙香庵に移され、「蓮華のともし火」として信仰を集めている。
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