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5メートルを超える巨大な仏像に囲まれて

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かんぜおんじ

観世音寺

福岡県太宰府市

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かつて日本の玄関口を守った大宰府には、西日本のお寺の中心となる寺院が築かれました。そのような歴史をもつ観世音寺の境内に足を踏み入れると、訪れた者を圧倒する巨大な仏の世界がありました。最大5メートルを超える巨像のほとんどが、今から1000年以上昔に造られた仏像です。観世音寺でしか体感できない圧倒的な迫力の仏の世界へ歩みを進めていきましょう。

巡りポイント

宝蔵の内部に足を進めると、巨像が林立する圧巻の光景が広がります。日本の玄関口として世界各国の人々が訪れたという太宰府を象徴するように、個性豊かな表情をするお像たちが参拝者を出迎えます。

宝蔵

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観世音寺に伝わる巨像をまつる名建築

宝蔵の内部には観世音寺に伝わる16躯の巨像が林立している。観世音寺は康平7年(1064)と康治2年(1143)に火災に見舞われたことにより、現在観世音寺に伝わる仏像はそれ以降の像が大部分を占めるという。宝蔵は、観世音寺に伝わる貴重な文化財を守るために、各地に名建築を残した建築家である伊藤要太郎の設計により1959年に建立された建物である。

感想■ご住職によると、観世音寺の宝蔵は日本国内で最初期に建立された寺内にある収蔵施設だそうです。内部にある巨像群が注目されがちですが、どこか異国風な雰囲気を漂わせ威風堂々とした立ち姿を私たちに見せる宝蔵の建築美にも注目してみてください。

馬頭観音立像(国指定重要文化財)

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忿怒の表情をする5mにもなる巨像

宝蔵の中央におまつりされる馬頭観音立像は、1126年から1130年に大宰大弐藤原常忠により造立されたと伝わる巨像である。像高503cmにもなり、桧材の寄木造で造立されているという。日本国内で最大の馬頭観音像である。馬が草を食べるように諸悪の根源を食べ、人々の苦しみを取り除くという。

感想■最初に像の前に立ったとき、馬頭観音の忿怒の表情から発せられる圧倒的な威圧感に言葉を失いました。しかしながら、忿怒の相のなかにもどこか穏やかであたたかい雰囲気を感じました。この独特な雰囲気は、この像が造立された平安時代の終わり頃の当時の流行をつぶさに表しているのかなと想像しました。

不空羂索観音立像(国指定重要文化財)

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像内から奈良時代の仏像の一部が発見された巨像

馬頭観音立像の向かって右側に安置される木造不空羂索観音立像。像高517cmにもなり、樟材の寄木造で造立された本像の像内からは、観世音寺が建立された当時の本尊像の一部とされる心木と顔面部断片が発見された。像内には「貞応元年八月十四日、行事良慶、大仏師僧琳厳」の造立銘が記されており、1222年に造立されたことがわかる。

感想■3つの目を持ち6本の腕を持つ巨像の姿は、巨像ゆえの迫力がありながらも凜々しく美しさも感じられました。創建時の本尊が1221年に倒れ破損し、その翌年には今に伝わる巨像が造立されたことをご住職から伺い、なんとしてでも本尊である不空羂索観音立像を再興しようとした当時の人々の熱意に触れた心地がしました。

毘沙門天立像(国指定重要文化財)

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凜々しい立ち姿をみせる勇ましい毘沙門天立像

像高160cmで樟の一木造の古様を示す像である。雲の上に2匹の鬼と毘沙門天を支える地天を従わせる、いわゆる兜跋毘沙門天の様式をとる。衣の彫刻の様式や姿勢の様子より観世音寺に伝わる仏像群の中でも最古とされる10世紀頃の造立だと考えられている。

感想■体をわずかにくねらせ、バランスのとれた長身の姿は凜々しく、口元を真一文字に結ぶ様子からは力強さを感じました。兜跋毘沙門天は王城国土の守護神とされたとのことで、日本の玄関口で多くの人々が訪れた太宰府の街をこの勇ましい姿で守っていたのかと思いを馳せました。

宝蔵にまつられる他の仏像(国指定重要文化財)

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平安時代から鎌倉時代にかけて造立された巨像群

宝蔵内には、像高498cmにもなる十一面観音立像やもと講堂本尊であったという聖観音菩薩坐像、金堂本尊であった像高220cmの阿弥陀如来坐像がおまつりされる。他にも険しい表情をとる大黒天立像や吉祥天立像、地蔵菩薩立像、四天王立像などお像が林立する。仏像の他にも鎌倉時代に制作されたという舞楽面や三蹟の1人として著名な小野道風が記したという寺号額が展示されている。

感想■国指定重要文化財に指定されている18躯の仏像のうち、16躯のお像がまつられる空間はまさに眼福の空間でした。また、舞楽面や寺号額が展示され、多くの人々が集い交流した観世音寺の長大な歴史の一端を知ることができました。

講堂・金堂(福岡県指定有形文化財)

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黒田家により再興された諸堂

講堂はもとは本堂と呼ばれた建物である。延喜5年にまとめられた観世音寺資財帳に記載された建物の規模からすると2.5分の1ほどに縮小されているという。内部中央には、文武天皇の頃肥前国杵島の沖で漁師に引き揚げられたとの伝承がある聖観音菩薩立像(国指定重要文化財)がおまつりされる。現在の建物は、1688年に福岡藩主黒田光之および天王寺屋浦了夢一族により再建された建物である。金堂は1631年に福岡藩主黒田忠之により再建された建物である。

感想■多くの戦乱に巻き込まれながらも復興が続けられたという観世音寺。現在の建物を建てた福岡藩主の黒田家の方々は特に観世音寺の復興に援助を惜しまなかったとお聞きしました。お寺の歴史がたくさんの人々の手により守り伝えられてきたことを改めて実感しました。

碾磑(てんがい、国指定重要美術品)

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講堂前に残る奈良時代の大臼

碾磑とは大臼のことをいう。観世音寺に残る碾磑は奈良時代に使用されていたもので日本最古と伝えられ、直径1m、上臼の厚さ25cm、下臼の厚さ30cm、重量上下それぞれ400kgにもなるという巨大なものである。牛や馬の力を使い、朱を挽いていたと考えられている。

感想■奈良時代に実際に使用されていたとされる臼がさりげなく境内に置かれていることに驚きました。奈良時代から伽藍を構える観世音寺の歴史の奥深さを実感しました。

report

学生レポート

立命館大学生命科学部4年

5m近い巨像が並び立つ光景はまさに圧巻でした。1躯、1躯個性が際立つお像の数々からは、西日本の玄関口として世界各地から人々が集った様を反映しているようでした。戦乱に巻き込まれながらも20躯近くの巨像が伝えられていることの凄さとその裏に秘められた観世音寺に対する人々の信仰のあつさに圧倒された訪問でした。

history

ご由緒

7世紀後半頃の創建とされる。「続日本紀」には、天智天皇が母である斉明天皇の追善を弔うために発願したとの記述がある。鑑真の来日後、天平宝字5年(761)に戒壇が設けられ、九州の寺院の中心として大いに栄えた。しかしながら、康平7年(1064)の火災により当初の仏像などは損壊してしまい、今に伝える仏像はそれ以降に造立された仏像である。度重なる戦乱や天災に巻き込まれながらも再興され、現在の伽藍は江戸時代に整えられたものである。

info

参拝情報

名称
清水山観世音寺
(せいすいざんかんぜおんじ)
所在地
福岡県太宰府市観世音寺5-6-1
googleMAP
参拝時間
宝蔵開館時間
9:00~17:00
拝観料
大人500円
高大生300円
小中学生150円
宗派
天台宗
御本尊
聖観音
宝物殿
要確認
アクセス
まほろば号 観世音寺前下車すぐ
西鉄太宰府駅下車徒歩20分
西鉄五条駅下車徒歩10分
駐車場
要確認
Webサイト
https://www.kanzeonjihouzou.com/