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大宰府政庁初代長官が創建した筑紫野市の古刹

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ぶぞうじ

武蔵寺

福岡県筑紫野市

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福岡県筑紫野市に位置する「武藏寺」は、7世紀半ばに大宰府政庁の初代長官である蘇我日向臣身刺によって建立された寺院です。菅原道真が無罪を訴えた天拝山や経塚があり、多くの人々が篤く信仰し、現代にまで積み重なりながら受け継がれている寺院であることを感じることができます。

巡りポイント

大宰府政庁初代長官が創建した筑紫野市の古刹、武蔵寺。この場所は菅原道真が無実を訴えた天拝山のある場所でもあります。仏像や経塚、縁起等の文化財も多く残っています。このお寺を無くしてはいけない、壊れたものも直し私たちの支えとしたいという数多の人々の力も感じられます。

本尊・薬師如来像

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虎麿によって彫られた薬師如来

厨子の中に秘仏である、約1.8ⅿの薬師如来像をまつる。薬師如来像は、虎麿が射った椿の木から彫りだしたという伝承が残り、大きな木であったため、その周りの12本の枝から十二神将像を彫ったとされている。ご開帳は藤祭りが行われる4月、二日市温泉が発見されたとされ瓜封じの法要が行われる7月の土用の丑の日、一年間のお経を埋める経筒埋納法要が行われる11月第一日曜日の年に3日間ある。

感想■本尊は秘仏であり、本尊と十二神将像が一本の木からできた絵を拝観させていただきました。薬師如来の周りに生える枝一本ごとに十二神将ができている姿は、この薬師如来の特殊な力を表しているようで、神々しさを感じました。

十二神将立像(筑紫野市指定文化財)

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薬師如来を彫った木の枝から造られた伝承がある十二神将像

虎麿が射った椿の大木は十二枝を伸ばしており、幹から薬師如来、枝から十二神将像を彫ったという伝説が残る。平安時代末期に造られた十二神将像で、動きは落ち着き抑揚が抑えた表現がされる像である。

感想■十二神将像の体躯は細く、力強さも感じながらも落ち着き優しさ、柔らかさも感じることのできる十二神将像であると感じました。薬師如来を彫った木の枝からできた十二神将像という伝承を聞き、細身な体躯は時代的な要素とともに、この伝承の影響を受けてのものであるように感じました。

本堂と長者の藤(筑紫野市指定天然記念物)

お経に囲まれた空間を表す本堂

本堂は400年前ほどの建物で、平成5年に改修が行われた。祈願寺であったため小さいお堂であり、改修の際に広げられた。その広げられた部分には、多くの人々に般若心経を書いていただいた板を天井にはめている。それによりお堂に入ることでお経に守られ、仏教に守られ、お薬師さんに守られ、お堂入っただけで心が清まる空間作りが行われている。 元の堂宇の部分は以前のまま残され、そこには詩が書かれている。修理が行われたときに、江戸時代の落書きが見つかり「小工」と記されていた。 また、本堂前に『長者の藤』という大きな藤が繁茂している。武蔵寺縁起によれば、お寺を開いた藤原虎麿が「堂塔の盛衰は、この藤の栄枯にあらん」と誓って植えたという。伝説では1300年以上の樹齢だが、実際には700年ほどの樹齢であるという。慶応元年(1865)には、八月十八日の政変によって太宰府に下った東久世 通禧(ひがしくぜみちとみ)がこの長者の藤を題材に「藤なみの はなになれつつ みやひとの むかしのいろに そてをそめけり」と詠んだ。

感想■改修が行われた部分の天井には般若心経、江戸時代の部分の天井には詩が書かれていることを伺いました。このお堂に入ることで般若心経に包まれ、江戸時代に書かれた詩にも包まれることのできる稀有なお堂であるのだと思いました。また、実際に長者の藤が咲いている時期の写真を見せていただくと、大きく広がる枝全体に紫色の藤の花の房が垂れ下がっており、まさに圧巻の光景でした。いつか、長者の藤が満開の時期に訪れたいと思っています。
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武蔵寺経塚群出土品(筑紫野市指定文化財)

極楽往生を願い地面に経典を埋める

このお寺には経塚が発見されている。経塚は武藏寺の山の頂上にあり、出土した経筒には寛治八年(1094)の銘が書かれているものも含まれていた。経筒の数点には母の供養のためと書かれ、髪の毛が入っているものもあった。経塚から出土したものは今は筑紫野市歴史博物館へ寄託されている。

感想■このお寺の経塚から出土した経筒の数点には母の供養のためと書かれ、髪の毛が入っているものもあったそうです。経筒の中に今も髪の毛が残っていることは、それを大切に経塚に納め供養を行なった埋設者の母に対する、冥福を祈る篤い気持ちが表れているためであるのだと感じました。
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武蔵寺縁起(福岡県指定文化財)

武蔵寺の来歴を人々に伝える

武藏寺縁起(絵図)として、江戸時代前期から中期ぐらいに定應という僧侶が書き写したとされているものが、県指定の文化財として残されている。縁起の一幅目には武蔵寺の当時の様子を描き、二幅目からは武藏寺の縁起としての物語が表される。縁起の中では、名が藤原虎麿として伝説が残されている。蘇我氏が滅び藤原の時代になったときに蘇我氏の名が憚られたことにより藤原虎麿として名を変えられ、由来が残ったであろうと思われる。

感想■武蔵寺の縁起が綺麗な姿で残り、現在に伝わっていることを知りました。武蔵寺の伝統・伝説をどうにかして守り伝えていきたいという思いがあったからこそ、このような縁起が作られ、今も大切に守られてきているのだと感じました。
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report

学生レポート

奈良大学文学部文化財学科4年

武蔵寺の創建が7世紀の蘇我日向臣身刺まで遡る歴史を持っていることを聞き、驚きました。また平安時代後期の経塚から多くのモノが出土していることを聞き、この地が多くの人々に長い間脈々と信仰され続けてきた年月を感じることができ考え深かったです。
ご住職に武蔵寺を案内していただき、様々なお話をお伺いしている中で、武蔵寺の縁起にある火の玉は悪いことであったのが、よいことに変わっていく。自分の守る民を助けようとしなければ、薬師如来との縁はなかった。どんな人に出会うか・どんな場面で会うのか・出会ったときにその人が素晴らしいと感じられるかは縁によるものであり、その縁を結ぶには自分自身が高めていく必要があるとおっしゃっていました。本堂の中の十二神将像を拝見させていただくと、古い十二神将像が修理を加えられながらもこれだけきれいに現代に伝わっていることに驚かされました。武蔵寺に行き、お薬師さまや仏教の教えと縁を結びたいという人々が長い間とだえることなくいたからこそ、武蔵寺が栄え多くのモノが大切に守られてきたことを感じられるとともに、お寺と参拝に来られる人々を繋ぐ武蔵寺のご住職の皆様の人柄によってより多くの人々が縁を結ぶことができていたのだと感じました。

history

ご由緒

武藏寺は大宰府の長官であった蘇我日向臣身刺によって、蘇我氏の氏寺として建立されたとされている。大宰府政庁は、大化5年(649)に蘇我日向臣身刺が初代の長官として大宰帥に任じられたことに始まるとされており、武藏寺もその頃の7世紀中頃の創建である。武藏寺という名は、身刺(みさし)から付けられている。このお寺は「今昔物語集」や「梁塵秘抄」にも出てきており、それだけ大きく栄えていたことがうかがえる。

info

参拝情報

名称
椿花山武藏寺
(ちんかざんぶぞうじ)
所在地
福岡県筑紫野市武蔵621
googleMAP
参拝時間
9:00~17:00
拝観料
無料
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
なし
アクセス
【公共交通機関】西鉄バス
二日市温泉から徒歩約15分
【自動車】九州自動車道
筑紫野ICから約5分、JR二日市駅から約10分、西鉄二日市駅から約10分
駐車場
有り

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