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穏やかな大海を望む神仏習合の古刹

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かんみょうじ

観明寺

千葉県長生郡一宮町

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房総半島の東部に位置する一宮町は、古代より人々の営みが育まれてきた歴史・文化のある地です。そのような一宮町に伽藍を構える観明寺は、今から約1300年以上むかしに行基菩薩により創建されたとの伝承が残る古刹です。古来より上総国の一宮である玉前神社と関りの深い観明寺では、神様と仏様をともにまつる神仏習合の祈りが今日まで伝承され、一宮町が誇る古代以来の悠久の歴史を伝えています。
  • 金毘羅堂
  • 本堂

巡りポイント

古代以来の悠久の歴史を伝える観明寺には、それぞれの時代に育まれた多様な信仰を伝える様々な仏様や建物、寺宝が伝えられています。旧本堂を飾っていた躍動感に溢れる地獄極楽欄間や鮮やかな朱色が特徴の金毘羅堂、精緻な龍の彫刻が彩る水屋など、見る者を圧倒する魅力ある建物や仏様が大切に守られています。

四脚門(一宮町指定有形文化財)

  • 四脚門(一宮町指定有形文化財)
  • 四脚門(一宮町指定有形文化財)
  • 四脚門(一宮町指定有形文化財)
    蟇股の彫刻(沢瀉)
  • 四脚門(一宮町指定有形文化財)
    蟇股の彫刻(沢瀉と卍)
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質実剛健な印象を感じさせる一宮町現存最古の建物

観明寺の入口に建つ四脚門は、江戸時代初期頃に建立されたと考えられており、一宮町の中で最古であると考えられている建物。2本の本柱の前後にそれぞれ2本ずつ(全体で4本)の控柱がある四脚門の形式をとり、開いた本を逆さまにしたような形の切妻屋根が特徴である。もともとは茅葺であり、現在よりも海側に建てられていたが、近年観明寺の近くへ移築されるとともに、銅板葺に改められた。

 

カエルが足を広げているような形状の部材である蟇股(かえるまた)には、様々な意匠が施されている。正面の蟇股には、現在の一宮町周辺を支配していたという領主・堀氏の家紋である沢瀉(おもだか)が彫られているほか、背面の蟇股には寺院を表す卍と玉前神社の神紋の一つであるという巴紋が彫られている。

感想■寺院を表す卍と玉前神社を表す巴紋が表裏に施されている点に興味を抱きました。御住職より観明寺は古来より神仏習合の歴史が深いと伺い、神仏習合の祈りの歴史を四脚門の蟇股がひっそりと伝えているように感じました。

本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像

  • 本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像
  • 本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像
    「玉崎山」山号扁額
  • 本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像
    御本尊・木造十一面観音菩薩立像
  • 本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像
    御本尊・木造十一面観音菩薩立像
  • 本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像
    木造子安地蔵菩薩立像
  • 本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像
    御住職の奥様が製作されたステンドグラスの子安地蔵様
  • 本堂及び御本尊・十一面観音菩薩立像
    仏頭
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神仏習合と隆盛した歴史を伝える大堂

四脚門から石段を登った高台に建つ本堂は、昭和43年(1968)に再建された建物。以前の本堂は、江戸時代に建立された九間四面の茅葺の大堂であったと伝えられているが、太平洋戦争時に艦砲射撃の攻撃目標になるとして解体されてしまった。

 

本堂の中央には、御本尊として2躯の十一面観音菩薩様がおまつりされている。手前の十一面観音菩薩様は、穏やかなお姿が特徴的で平安時代頃に造立されたと考えられている仏様。その背後におまつりされる十一面観音菩薩様は凛々しい立ち姿が特徴的な江戸時代に造立された仏様である。もともとは、3躯の十一面観音菩薩様が横並びにおまつりされていたと伝えられている。

 

観明寺は玉依姫命をおまつりする玉前神社の別当職を古来より務めており、十一面観音菩薩様は玉依姫命の本地仏として信仰を集め、神仏習合の歴史を伝えている。

 

正面向かって右側には、金色のお身体が特徴的な大きな子安地蔵菩薩様がおまつりされている。観明寺には子供が生まれた際に健やかな成長を願いお分けする子安地蔵様のお札が伝承されている。その図像をご住職の奥様が写した美しいステンドグラスのお地蔵さまがおまつりされている。さらに、往時は大きなお身体をされていたことを感じさせる仏頭など様々な仏様がおまつりされている。

感想■本堂はかつて九間四面という巨大な建物であったと伺い、十一面観音菩薩様に対する篤い信仰の歴史に圧倒されました。昭和43年に鉄筋コンクリートで再建された理由を、「これから先火災によって本堂が失われる事がないようにという願いのため」と語る御住職の言葉に込められた先人たちの想いに心が動かされました。

地獄極楽欄間(一宮町指定有形文化財)

  • 地獄極楽欄間(一宮町指定有形文化財)
  • 地獄極楽欄間(一宮町指定有形文化財)
  • 地獄極楽欄間(一宮町指定有形文化財)
  • 地獄極楽欄間(一宮町指定有形文化財)
  • 地獄極楽欄間(一宮町指定有形文化財)
  • 地獄極楽欄間(一宮町指定有形文化財)
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地獄と極楽の様子が躍動的に表される

本堂上部には、太平洋戦争中に解体されてしまった旧本堂の堂内を飾っていた地獄極楽欄間が掲げられている。この欄間は、井上円徹により手掛けられたと伝えられているが、井上円徹という人物は存在せず、近隣の寺社に作品を残す島村圓徹による作ではないかと考えられている。恐ろしくも親しみやすい表現が特徴的な欄間である。

 

彫刻されている内容は、仏教で説かれている6つの世界(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の様子。火焔が渦巻く地獄では、亡者たちを裁く迫力ある閻魔大王や亡者を責める恐ろしい鬼たちの姿が表されている。一方、極彩色の雲の中では、子供たちを救う慈悲深い地蔵菩薩様のお姿が表現されている。

感想■登場している人物の表情の多様さに見惚れました。欄間をじっくりと眺めていると、地獄の熱気や宴会の華やかさ、極楽の清らかさを実際に感じているような心地になり、あたかも六道が目の前に広がっているような臨場感を感じました。

経堂

  • 経堂
  • 経堂
  • 経堂
    石造釈迦如来立像
  • 経堂
    石造釈迦如来立像
  • 経堂
    太東崎へ通じるとの伝承が残る井戸(赤い井桁)
  • 経堂
    経堂
  • 経堂
    銅造地蔵菩薩坐像(一宮町指定有形文化財)
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海へとつながるとの伝承が残る井戸が残る

本堂の近くに建つ三間四面のお堂である経堂は寛文6年(1667)に建てられた建物だったが、近年老朽化が激しく、一宮町在住の遠藤満津夫氏の発願により、平成5年に改築された。堂内中央に石造の釈迦如来様がおまつりされている。「経堂」という名前の通り、堂内に多くの経典を納めていたと伝えられている。

 

正面向かって右側には、井戸が伝えられている。かつて、人々は経文を刷った紙をこの井戸に投げ入れ祈願したと伝えられており、この井戸は地中深くで海へつながり太東崎まで通じているとの伝承が残されている。

 

また、毎年3月15日には涅槃会に伴う経堂祭が行われ、境内に露店や植木市が並ぶ。

 

また、近くには宝永2年(1705)に造立された銅造地蔵菩薩坐像(一宮町指定有形文化財)がおまつりされている。右手に錫杖を、左手に宝珠を持つお姿をされており、地蔵菩薩様が座る台座には造立の際に結縁された方々のお名前が彫られている。

感想■建物の内に井戸がある点に驚くとともに、その井戸が地中を通って海へと通じているという伝承があると伺い、興味をかきたてられました。人々とって身近な井戸に伝承やストーリーが秘められていることから、人々の祈りの拠所となってきた観明寺の歴史を体感することができました。

金毘羅堂(一宮町指定有形文化財)

  • 金毘羅堂(一宮町指定有形文化財)
  • 金毘羅堂(一宮町指定有形文化財)
  • 金毘羅堂(一宮町指定有形文化財)
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  • 金毘羅堂(一宮町指定有形文化財)
    【非公開】秘仏・木造不動明王坐像(一宮町指定有形文化財)
  • 金毘羅堂(一宮町指定有形文化財)
    鳥居の柱 天保八年銘
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金毘羅大将をまつる極彩色の建物

経堂に隣接する金毘羅堂は、金毘羅大将をまつる建物。江戸時代中期、一宮町上宿に住んでいた斉藤伝九朗という人物が、海難守護・大漁祈願のために讃岐の金毘羅大将の分霊を勧請したことに始まるという。伝九朗は最初は自宅の神棚に金毘羅大将をおまつりしていたが、後に愛宕山安養寺というお寺におまつりしたという。江戸時代の終わりごろには、玉前神社の境内のお堂におまつりされていたが、明治時代の神仏分離令に伴い現在地へ移された。明治12年(1879)には現在の規模のお堂に改修され、翌13年には、正面に向拝が取り付けられ現在の姿の建物となった。もともとは茅葺の建物であったという。

 

鮮やかな朱色と迫力ある彫刻に彩られる建物で、桁行3間・梁間4間の入母屋造の建物。平成6年~平成7年(1995~1996)に実施された解体修理において、「延享五年建立」と記された墨書が発見されたことから、延享5年(1748)に建立された建物の部材が失われることなく用いられていると考えられている。

 

堂内中央の厨子の内部には、秘仏である金毘羅大将をおまつりしている。右手に剣を持ち、左手に経巻を持つお姿であり、背中に大きな翼を広げているという。

 

また、金毘羅堂には秘仏・不動明王坐像(一宮町指定有形文化財)がおまつりされている。右手に勇ましい宝剣を、左手に羂索を持ち、背後には燃え上がる大きな火焔を表す。

 

像内に「大永七年」や「七条大佛所 法印 康乗 康隆作」との墨書が記されていることから、室町時代の大永7年(1527)に中央で活躍した仏師たちにより造立されたと考えられているお不動さまである。

 

また、金毘羅堂へ続く石段の左右には、かつて鳥居を構成していた2つの石の柱が立っている。柱には天保8年(1837)の銘が刻まれている。明治時代の神仏分離令に伴い観明寺に移した際、神道の意味合いが強い鳥居をそのまま移設することは難しいということから、鳥居の上部の笠木などの横方向の部材を外したとされている。

感想■遠く離れた地である讃岐と上総の繋がりに興味を抱きました。海上での安寧のために、上総から遠く離れた讃岐まで赴き仏様をお迎えしたと伺い、ついつい私たちは先人たちの行動範囲が今よりも狭いと先入観で考えてしまいますが、私たちの想像以上に遠く離れた地との繋がりがあり、文化や宗教などの多様な交流があったのだと実感することができました。

水屋(一宮町指定有形文化財)

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生き生きとした龍が柱に巻きつく

金毘羅堂の近くの覆屋の中に建つ水屋は、安永8年(1779)9月に建立された建物。金毘羅堂とともに明治12年に現在地に移築されたという。

 

4本の柱には、浮彫の昇龍と降龍が彫刻されている。以前は、瓦葺となっていたが、平成8年に実施された改修により、建立当初の杮葺に戻された。

感想■人の背丈と同じくらいの大きさの建物ですが、それぞれの柱に表された龍の彫刻などの細やかさと躍動感に見惚れました。造立した職人の名前は不明とのことでしたが、細部まで妥協しない職人の熱意を感じる魅力的な建物でした。

【非公開】木造十一面観音菩薩立像(千葉県指定有形文化財)

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    【非公開】かつて本地堂でおまつりされていた秘仏
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4つの腕を持つ珍しいお姿の観音様

十一面観音様とゆかりの深い観明寺には、4つの腕を持つ珍しいお姿の十一面観音様がおまつりされている。

 

像高が151 cm、カヤ材を用いた寄木造の仏様で、像内に残る墨書から弘長3年(1263)に蓮上という人物により造立されたと考えられている仏様。それぞれの手には数珠や水瓶、蓮の花を持つ。

 

かつて境内に存在していた本地堂のお前立仏としておまつりされていた。4つの腕を持つお姿にどのような由緒や意味が込められているか、詳細は不明であるが、近隣の寺院に同様のお姿をされる観音様がおまつりされていることから、霊験あらたかな十一面観音菩薩様として信仰を集めてきたことが推測される。

 

なお、観明寺には、本地堂に秘仏としておまつりされていた仏様も大切に守り伝えられている。伝承では、直接そのお姿を目にすると目がつぶれてしまうと伝えられているため、御簾の内におまつりされている(非公開)。

感想■初めて4つの腕を持つ十一面観音様にお会いしました。そのお姿にどのような信仰や伝承があるのか非常に興味を持ちました。今回の訪問では、笠森寺や清水寺など4つの腕を持つ観音様に多くお会いしたので、この地域独特の信仰があったのかなと想像の翼を広げました。

report

学生レポート

龍谷大学 2年

ご案内いただいた中でも、特に本堂が強く印象に残っております。鉄筋コンクリート造の本堂は⽐較的珍しく、維持管理にも多⼤なご苦労があることと拝察いたしますが、外観の⾊彩は美しく保たれ、外部の彫刻装飾も⼤変⾒事でした。階段を上りながら徐々に全体が視界に⼊ってくる構成にも趣があり、その美しさが深く記憶に残っております。

また、本堂内に描かれていた地獄極楽図も⾮常に印象的でした。彫刻や絵画は距離を隔てて鑑賞することが多く、細部まで注視する機会は限られますが、今回も遠くから拝⾒したのにも関わらず、強い迫⼒を感じ、深く印象に残りました。さらに、境内の各所に神仏習合の痕跡が残されており、とりわけ⿃居の柱が現存している点についてのお話は⼤変興味深く拝聴いたしました。

history

ご由緒

天平6年(734)、行基菩薩により創建され、後に慈覚大師により中興されたと伝えられている。平安時代中期頃には、上総国一宮の社格を持つ玉前神社の別当職を担い、江戸時代には徳川幕府より御朱印十二石の領地を与えられ、上総国を代表する寺院の一つであった。

 

江戸時代の宝永6年、観明寺第三十世住職俊栄が六十萬人講を組織し本堂の造営をはじめ、享保3年、観明寺第三十二世住職智海の代に、海岸に漂着した木材を用いて九間四面の大きな本堂を建立したと伝えられている。しかしながら、この本堂は太平洋戦争中に艦砲射撃の標的となるとして取り壊されてしまった。現在の本堂の内部に掲げられている地獄極楽欄間が往時の本堂の姿を伝えている。

info

参拝情報

名称
玉崎山 観明寺
(たまさきざん かんみょうじ)
所在地
千葉県長生郡一宮町一宮3316
googleMAP
参拝時間
9:00-16:00(堂外での御参拝)
拝観料
-
宗派
天台宗
御本尊
十一面観音
宝物殿
-
アクセス
■公共交通機関
JR外房線『上総一宮駅』より徒歩約10分

■車
JR外房線『上総一宮駅』より約3分
駐車場
あり
Webサイト
http://tamasakiyama.com/

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