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ご由緒
嘉祥2年(849)、慈覚大師により現在の大多喜町の伊東大山に創建されたと伝えられている。寺伝によると、慈覚大師が唐への帰国後に東国で最初に開山した寺院であることから「東頭山」という山号となり、東頭山三学院無量寿寺と称して隆盛したと伝えられている。
戦乱や天災により伽藍が焼失してしまったが、平安時代の末、平重盛公により再興されたと伝えられている。しかしながら、再度兵火による被害を被ったために、二階堂行元公と冷泉大納言の尽力により再興されたと伝えられている。このとき、多大な尽力をされた二階堂行元公の名をいただき、無量寿寺から行元寺へと寺号を改めたという。
中世以降になると、房総半島における天台教学を学ぶ場所として隆盛し、地元領主などの信仰を集めるとともに多くの僧侶が修学に励んだという。天正14年(1586)6月には、舜海法印により現在の場所に移ったと記録に残る。
江戸時代には、天海大僧正の弟子であり、将軍家や大名の師でもあった亮運大僧正(厳海)と関係が深く、幕府からの庇護を受け、末寺を96カ寺も有する大寺院として知られていた。僧侶たちが学ぶ檀林としても隆盛したと伝えられている。
