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名工たちの情熱が満ちる上総国屈指の古刹

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ぎょうがんじ

行元寺

千葉県いすみ市

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千葉県の南東部に位置するいすみ市に、歴史上の偉人の名をいただく名刹・行元寺が伽藍を構えています。慈覚大師が創建した無量寿寺を起源とする行元寺は、中世その復興に尽力した二階堂行元公の名をいただき、行元寺という寺号となりました。 慈覚大師による創建以来1000年以上の歴史を有し、様々な偉人たちと深い関係を築いた行元寺には、御本尊・阿弥陀如来様を中心に様々な仏様や文化財が守り伝えられています。
  • 山門
  • 本堂の欄間彫刻《高松又八作》
  • 旧書院の欄間彫刻《武志伊八郎信由(波の伊八)作》

巡りポイント

行元寺には、名工たちが技術の粋を集めて彫刻した様々な欄間彫刻が伝えられています。「幻の名工」と呼ばれる高松又八による極彩色の本堂の欄間、「波を彫らせては天下一」とうたわれる初代伊八が手掛けた躍動感あふれる客殿の欄間。名工たちの息づかいがこもる彫刻がお参りの方々を魅了しています。

山門(いすみ市指定文化財)

  • 山門(いすみ市指定文化財)
  • 山門(いすみ市指定文化財)
  • 山門(いすみ市指定文化財)
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行元寺の悠久の歴史へ誘う極彩色の門

参道を進み最初にたどり着く建物である山門は、江戸時代の享保20年(1735)に建立された建物。上層と下層の二層からなる三間一戸の建物で、下層の左右にはにらみを利かせる仁王像をおまつりしている。仁王像の1体は行元寺の末寺であった96カ寺による寄進、もう1体は井下田惣左衛門夫婦による寄進により、江戸の京橋に工房を構えた慶山友寿及び現在の勝浦市に住んでいた須藤忠兵衛と弁藤善兵衛により造立された。

 

極彩色の彩色が施された彫刻が特徴的な建物で「慈雲閣」とも呼ばれている山門は、石橋伊織佐正利を棟梁、江沢弥五右衛門を木挽棟梁として建立され、漆や彩色などを渡辺図書により施されたという。

 

正面の蟇股には瑞雲の中を翔る2棟の麒麟が彫刻されるほか、他の蟇股には鳳凰や龍、寅、兎などが彫刻されている。もともとは茅葺であったが、昭和50年より実施された改修工事の際に銅板葺きとなり、平成19年より実施された工事により極彩色が施された往時の姿に復元された。

感想■木立の間に建つ堂々たる姿に息をのみました。木々の葉の緑色と山門の朱色が調和することで、周囲の空間に重厚感を生み出しているように感じ、自然と背筋が伸びるような緊張感を抱きました。

本堂(いすみ市指定文化財)

  • 本堂(いすみ市指定文化財)
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
    本堂に架かる扁額「無量寿院」
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
    内陣と外陣の境にある組物
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
    本堂内の「葵の紋」
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
    雲竜図《狩野行信筆》
  • 本堂(いすみ市指定文化財)
    本堂天井の違い《左:格天井、右:竿縁天井》
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多くの僧侶が学んだ荘厳な大堂

行元寺の本堂は、間口が十三間四尺にもなる房総半島屈指の大堂である。天正14年(1586)6月、現在の内陣部分が建立され、江戸時代の元禄年間から宝永年間にかけて現在の外陣部分が増築された。この増築は、行元寺が僧侶たちが学ぶ場所である檀林であったため、多くの僧侶が建物に入り学ぶことができるようにするためであったという。この歴史を示すように、外陣と内陣の境には通常堂内に施されることがない組物が正面に3つ残されている。創建当初は茅葺の建物であった。

 

内陣及び外陣の中央部の天井は格子状の格天井、外陣の左右の間は竿縁天井となっている。本堂で学ぶ僧侶たちは、竿縁天井である外陣左右の間にて学んでいたという。現在の本堂内部には、当時の僧侶たちが使用していた机と書物が伝えられている。

 

本堂内部には、鉱物を原材料とした岩絵の具と漆により豪華絢爛な空間が広がっている。内陣と外陣を隔てる柱や壁、組物には、吉祥を表す「青海波(せいがいは)」や「卍くずし」、「唐草文様」などの様々な文様が施されている。さらに中央に立つ2本の柱には、増築時に江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉公より特別に使用を許された「葵の御紋」と建築に使用されることは珍しい毘沙門天の鎧の文様「毘沙門亀甲」が施されている。

 

向かって左には、慈恵大師がおまつりされており、「厄除大師」として信仰を集めている。

感想■本堂の巨大さに驚きました。この左右に大きく広がる大きさは、本堂が多くの僧侶たちが学びを深める場所であるが故に講義の声が端まで届くように、そして仏様の教えが場所によらず平等に届くことを表すためであると伺い、建物の見た目に秘められた先人たちの工夫に心が動きました。また、極彩色の様々な吉祥文様からは私たちの気持ちも前向きにさせてくれる力を感じました。

髙橋又八の欄間彫刻

  • 髙橋又八の欄間彫刻
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幻の名工の作品が仏様を荘厳する

本堂の内陣と外陣を隔てる部分に極彩色の彩色に彩られた欄間彫刻が掲げられている。この欄間彫刻は、江戸幕府の公儀彫物師を務めた高松又八邦教が手掛けた欄間彫刻であり、本堂が現在の規模へ増築された時期である江戸時代の宝永3年(1706)の刻銘が刻まれている。

 

高松又八邦教の出生などの詳細は不明であるが、又八の父とされる蜷川佐右衛門は上州沼田城主である真田家に仕える武士であったという。又八は、彫工・島村俊元の弟子となり、様々な彫刻を手掛け、後に幕府お抱えの彫刻師として江戸城や将軍廟、日光などの彫刻に携わったと記録に残る。しかしながら、後の時代の大火や戦災などで作品のほとんどが焼失してしまい、「幻の名工」と呼ばれている。

 

行元寺の欄間彫刻は、中央に瑞雲と波涛の間を飛ぶ龍の姿を、左右に牡丹と雌雄の錦鶏(きんけい)の姿を表す。左右の牡丹の彫刻に注目すると、牡丹の花の一部が裏側を向いていることに気がつく。これは、牡丹の花が御本尊様に対する供物であることを表しているためであるという。

感想■牡丹の花の裏側を表す欄間彫刻は初めて見ました。その理由が、御本尊様へ花の正面が向くようにという工夫であると伺い、正面からの見栄えだけでなく、仏様がおまつりされている空間全体を意識しながら彫刻を完成させた又八の思慮深さに心が動きました。

御本尊・木造阿弥陀如来立像(千葉県指定有形文化財)

  • 御本尊・木造阿弥陀如来立像(千葉県指定有形文化財)
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気品溢れる凛々しい阿弥陀さま

本堂内陣中央に御本尊・阿弥陀如来様がおまつりされている。御本尊様は、平安時代に造立されたと考えられている阿弥陀如来様で、平安時代の終わりに行元寺(当時は無量寿寺)を再興したと伝えられている平重盛公の守り本尊であったと伝えられている。

 

像高は約97cm、ヒノキの一木造の仏様。左手を下げ、右肘を曲げ、左右それぞれの手のひらをこちらに向け、親指(第1指)と人差し指(第2指)で輪をつくるような印相(来迎印)を結ぶ。

 

穏やかなお顔の表現や柔らかな衣の表現が特徴の仏様で、中央で造立された仏様であると推測されている。

 

左右には脇侍である観音菩薩立像と勢至菩薩立像がおまつりされるほか、中世に造立されたと考えられている毘沙門天様と不動明王様をおまつりしている。不動明王様の胎内からは、安土桃山時代の天正17年(1589)に修復された墨書銘が発見されている。

 

また須弥壇の前には、行元寺(無量寿寺)を創建した慈覚大師や天正14年(1586)に行元寺を現在地に移し中興の祖と仰がれる舜海法印がおまつりされている。

感想■御本尊様の気品溢れるお姿に息をのみました。訪問前にお姿の写真を見ていたのですが、想像以上に大きな仏様で、穏やかさとともに力強さも感じられる仏様であると思いました。

客殿(千葉県指定有形文化財)

  • 客殿(千葉県指定有形文化財)
  • 客殿(千葉県指定有形文化財)
    茅葺屋根の葺き替えが完成したときの客殿の姿
  • 客殿(千葉県指定有形文化財)
    土岐の鷹図《五楽院等随筆》
  • 客殿(千葉県指定有形文化財)
    三国志屏風《堤等琳作》
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穏やかな屋根の曲線が人々を魅了する

客殿は本堂の向かって右手に接続している建物。江戸時代の享和2年(1802)に建立された建物であり、建立当初は茅葺の建物であった。

 

客殿内部は複数の部屋に分かれているが、襖や柱を取り除くことができ、1つの大きな広間としても使用できるという。

 

客殿内には、初代伊八が手掛けた欄間彫刻が掲げられている他、葛飾北斎とは兄弟弟子にあたる五楽院等随による杉戸絵「土岐の鷹」、葛飾北斎と五楽院等随の師匠である堤等琳が手掛けた「三国志屏風」が展示されている。

感想■本堂の急峻で堂々たる屋根とは対照的に、穏やかで柔らかな印象を与える客殿の屋根の表現に魅了されました。また、部屋を区切る柱を取り除き1つの大きな部屋としても使用できると伺い、先人たちの工夫に秘められた技術力の高さに圧倒されました。

「波の伊八」の欄間彫刻

  • 「波の伊八」の欄間彫刻
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    欄間に刻まれた銘文
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波を彫らせては天下一 「波の伊八」の名作

客殿には、「波を彫らせては天下一」といわれる江戸時代の名工・「波の伊八(本名:武志伊八郎信由)」が手掛けた欄間彫刻が掲げられている。これらの欄間彫刻は、江戸時代の行元寺の住職・栄長の求めに応じて手掛けられたものである。

 

初代伊八は、現在の鴨川市打墨で名主を代々務めた武志家の出身で、幼少の頃より彫刻をはじめ、房総半島の自然から影響を受けながら様々な作品を彫刻したという。

 

特に、波をモチーフにした作品が得意であったとされ、躍動感にあふれる波の彫刻作品が房総半島を中心に伝えられている。このことから初代伊八は「波の伊八」と呼ばれ、「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめたという。初代伊八が手掛けた波のモチーフの作品は、葛飾北斎が描いた「神奈川沖浪裏」へ影響を与えたとも考えられている。

 

客殿に掲げらえている初代伊八の多くの欄間には、初代伊八が得意とした波のモチーフが彫刻されている。「波の宝珠」の欄間には、大きくうねる横波の波間に宝珠が彫刻されている。一説には、絶えず形が移り変わる波の姿が、仏教で説かれる「無常」や「空」の考え方を表しているという。

 

梅や松を表した欄間の裏側には、行元寺第37世住職を務めた栄長の代である文化6年(1809)4月に初代伊八と弟子の久八が欄間を彫刻した銘文が刻まれている。

感想■初代伊八の欄間彫刻は、波間に引き込まれるような感覚を覚えるほど躍動的で立体感に富んでいました。また、光のあたり方、影のあたり方によって欄間彫刻の表情が移り変わり、その移り変わる様は雄大な波が実際に目の前でうねっているように思えるほどでした。

report

学生レポート

立命館大学 3年

様々な神社仏閣で欄間等の彫刻をみるのですが、彫刻を注視することはなかったので、当代随一とされた作者の彫刻から、どのような技術、また構図が当時、評価されたものであるかを教えていいただき大変勉強になりました。

紹介いただいた、「伊八の波」の彫刻は、止まっている作品が本物の波として動いているように感じられて、とても迫力を感じました。

また、実際に手で触らせていただいた彫刻作品は、人間の顔の、とても微妙な、小さな凹凸が彫刻で表現されていたり、見る角度によって見え方が大きく異なるなど、絵画に類似している部分もありながら絵画とは違って立体作品であるという彫刻の魅力をとても感じました。

history

ご由緒

嘉祥2年(849)、慈覚大師により現在の大多喜町の伊東大山に創建されたと伝えられている。寺伝によると、慈覚大師が唐への帰国後に東国で最初に開山した寺院であることから「東頭山」という山号となり、東頭山三学院無量寿寺と称して隆盛したと伝えられている。

 

戦乱や天災により伽藍が焼失してしまったが、平安時代の末、平重盛公により再興されたと伝えられている。しかしながら、再度兵火による被害を被ったために、二階堂行元公と冷泉大納言の尽力により再興されたと伝えられている。このとき、多大な尽力をされた二階堂行元公の名をいただき、無量寿寺から行元寺へと寺号を改めたという。

 

中世以降になると、房総半島における天台教学を学ぶ場所として隆盛し、地元領主などの信仰を集めるとともに多くの僧侶が修学に励んだという。天正14年(1586)6月には、舜海法印により現在の場所に移ったと記録に残る。

 

江戸時代には、天海大僧正の弟子であり、将軍家や大名の師でもあった亮運大僧正(厳海)と関係が深く、幕府からの庇護を受け、末寺を96カ寺も有する大寺院として知られていた。僧侶たちが学ぶ檀林としても隆盛したと伝えられている。

info

参拝情報

名称
東頭山 無量寿院 行元寺
(とうずさん むりょうじゅいん ぎょうがんじ)
所在地
千葉県いすみ市荻原2136
googleMAP
参拝時間
◆欄間彫刻(堂内)拝観
 土曜日・日曜日の午後1時00分より午後3時30分(令和8年4月より)。
 ※平日・祝日は公開いたしません。
 ※7月~9月末日まで一般公開は休止となります。

◆堂外での参拝(ご自由にお参りください)
 午前10時00分~午後04時00分
拝観料
大人:500円(お一人あたり)
団体:300円(お一人あたり)
宗派
天台宗
御本尊
阿弥陀如来
宝物殿
アクセス
■公共交通機関
◦JR外房線『茂原駅』よりタクシーで約25分
◦JR外房線『上総一ノ宮駅』よりタクシーで約20分
◦いすみ鉄道『国吉駅』よりタクシーで約8分

■車
◦市原鶴舞ICより約25分
◦茂原長南ICより約30分
駐車場
あり
Webサイト
http://www.gyoganji.or.jp/