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ご由緒
平安時代の延暦年間、当地を訪れた伝教大師最澄が一刀三礼のもと不動明王像を造立し胎内に直筆の紺紙金泥の法華経寿量品を納め、安置したことに始まると伝えられている。ある時、伝教大師が造立した御本尊様が旱魃に苦しむ人々を救ったことから『水引不動尊』と呼ばれ親しまれている。
平安時代の終わりごろには、長寿寺の近くにそびえ立つ木原山に源為朝公が城塞を築いたと伝えられており、為朝公は長寿寺の御本尊様を篤く信仰したと伝えられている。また、弓の名手として知られていた為朝公が木原山の周囲を飛ぶ鳥をたびたび射たため鳥が木原山を迂回するようになったことから、木原山は『雁回山』と呼ばれ、長寿寺の山号となっている。
中世には源頼朝公や地元領主の信仰を集めるが、戦国時代にキリシタン大名である小西行長公により寺領が没収されてしまう憂目にあう。しかしながら、江戸時代に復興され隆盛した。
その後、明治時代の廃仏毀釈運動による影響を受け無住となってしまうが、地域の人々により大正時代に復興され、今日までたくさんの人々の祈りを受け止め続けている。
