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お薬師様の霊地に人々が集う

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るりじ

瑠璃寺

長野県下伊那郡高森町

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瑠璃寺は、長野県下伊那郡高森町に伽藍を構える寺院です。国指定重要文化財である薬師三尊像を御本尊としておまつりし、その守護神である日吉神社が同じ敷地内におまつりされる神仏習合のお寺としても親しまれています。 南信州の飯田・下伊那地方では大きな幌を被った屋台獅子という形態の獅子舞が親しまれていますが、瑠璃寺に伝えられている大島山の獅子舞はその礎であるといいます。1000年近い歴史を誇る瑠璃寺では多様な文化が育まれています。

巡りポイント

瑠璃寺の御本尊様は、平安時代に造立された薬師如来様。霊木から仏が姿を現わさんとする所を、あえて木の節を残すことで表現した「化現仏信仰」を伝える仏様として注目されています。この特徴は、瑠璃寺を創建した観誉僧都が山中でお薬師様と出会ったという創建時の逸話を表しているかのよう。お薬師様に対する1000年の祈りが紡がれています。

本堂(薬師堂、高森町指定文化財)

  • 本堂(薬師堂、高森町指定文化財)
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  • 本堂(薬師堂、高森町指定文化財)
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戦乱からの復興を象徴する瑠璃寺中心の建物

瑠璃寺は、天永3年(1112)に比叡山で修行をしていた観誉僧都(かんよそうず)により創建された。創建当初は、現在地から4 kmほどの場所にある不動滝のふもと(後の奥の院)に伽藍を構えていたという。その後、文治2年(1186)に現在地に移転したと伝えられている。

 

瑠璃寺が伽藍を構える地は、近隣に東山道が通り古代より交通の要衝として人々の往来が多い場所。そのため、戦国時代、武田家や織田家をはじめとする大名たちがしのぎを削った地でもあった。天正10年(1582),当地を織田信長の軍勢が侵攻し瑠璃寺は焼討ちされ全山焼失してしまった。御本尊様や瑠璃寺に伝えられている寺宝、記録は瑠璃寺の僧侶が創建の地である奥の院へ逃がしたと伝えられている。

 

焼討ちから約100年間、瑠璃寺の僧侶たちは復興に向けて尽力し、江戸時代の寛文12年(1672)、ついに現在地に本堂(薬師堂)が復興された。

 

中央の厨子には、平成元年まで御本尊様がおまつりされていたが、現在は防火・防犯上のために収蔵庫(瑠璃光殿)へとお移りになられており、現在はお前立の薬師如来様がおまつりされている。厨子の周囲には薬師如来様の眷属である十二神将様がおまつりされている。

感想■本堂の中に入ると、十二神将立像をはじめ、多くの仏様が安置されており、仏様がおわす祈りの空間に圧倒されました。本堂の向拝部分の彫りも美しく、戦乱がありながらも大事に守ってきた仏さまたちをこれからも大切におまつりしていこうとした当時の人々の思いが詰まっているようにも感じました。

御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)

  • 御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)
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  • 御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)
    中尊:木造薬師如来坐像
  • 御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)
    中尊:木造薬師如来坐像
  • 御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)
    中尊:木造薬師如来坐像
  • 御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)
    脇侍:木造月光菩薩立像
  • 御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)
    脇侍:木造月光菩薩立像
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    脇侍:木造月光菩薩立像
  • 御本尊・木造薬師三尊像(国指定重要文化財)
    脇侍:木造日光菩薩立像
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    脇侍:木造日光菩薩立像
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霊木から今まさに姿を現した姿を表す

瑠璃寺の御本尊様は平安時代に造立された薬師三尊様。定朝様にのっとった穏やかな作風の像で、ヒノキ材を用いた素地仕上げの割矧(わりはぎ)造りによって造像されている。木肌そのものを生かすため、漆や金箔は用いない素地仕上げが用いられている。向かって右には日光菩薩様、向かって左側には月光菩薩様を配している。日光菩薩様と月光菩薩様は、薬師如来様を中心とした三尊で均衡が取れるように体を少し傾けて造立されている。

 

中尊の薬師如来様の背面には、木の大きな節が2つむき出しになっている。お像に彩色を施さない点と木の節をあえて残している点から、”神が宿った霊木から仏がまさに今姿を現わさんとする所”を表した「化現仏信仰」を伝える仏様ともいわれている。

 

古来より61年に一度の御開帳(江戸時代以降は30年に一度の中開帳があった)で御開扉される秘仏であったため、造立当初のお姿を伝えている。2026年には14年ぶりの御開帳が執り行われた。

感想■「中尊の薬師如来様に両脇の日光菩薩様と月光菩薩様を寄せていくと蓮の花が開くような配置になっている」というご住職のお話が印象深かったです。三尊が揃ってはじめて全体の調和がとれるように造立されていると伺い、当時の仏師の方々の工夫と配慮に感動しました。

木造聖観音菩薩立像(長野県宝)

  • 木造聖観音菩薩立像(長野県宝)
  • 木造聖観音菩薩立像(長野県宝)
  • 木造聖観音菩薩立像(長野県宝)
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蓮のつぼみに右手を添える柔和な観音さま

もともと境内の観音堂におまつりされていた聖観音菩薩様は、平安時代に造立されたと考えられている仏様。左手に開いていない蓮のつぼみ(未敷蓮華、みぶれんげ)を持ち、右手を未敷蓮華に添えている。

 

穏やかな表情を浮かべる大きな頭部と大きく張る肩、大きく絞る腰回りの表現が特徴的な観音様で、右ひざを若干曲げて立つことにより、硬直感を出さず柔らかい雰囲気を醸し出している。

感想■以前お参りした比叡山の横川中堂におまつりされている観音様のお姿に非常に似ているように思いました。瑠璃寺の近くを通る東山道を多くの人々が往来していたために、当地では多様な文化交流が行われてきたとご住職より伺い、横川の観音様と秘められた繋がりがあるのかなと想像の翼を広げました。

木造地蔵菩薩立像

  • 木造地蔵菩薩立像
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穏やかな眼差しが特徴的な大きなお地蔵さま

瑠璃光殿(収蔵庫)におまつりされている地蔵菩薩様は、もともと境内の地蔵堂におまつりされていた仏様。左腕を曲げて手のひらに宝珠を持ち、右手には錫杖を持っている。穏やかな表情や大らかな衣の表現から、平安時代の終わり頃に造立された仏様であると考えられている。

感想■衣に施された文様と紅の唇が印象に残っています。これらの彩色は後の時代に施されたものと伺いましたが、丁寧で細やかに彩色されており、平安時代に造立されてから時代を越えて大切におまつりされてきたことが感じ取れました。

猫神様(瑠璃の里会館)

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瑠璃寺が伽藍を構える地は養蚕が盛んであった。そのため、古来より、蚕をネズミから守ってくれる猫は神様としておまつりされているという。

 

瑠璃の里会館におまつりされている猫神様は、瑠璃寺の御本尊様のお姿をもとに造立されたお像。防火・防犯の瑠璃光殿におまつりされ、なかなか拝観できない御本尊様の代わりに皆様がお参りできるようにとの願いが込められている。

 

 こうした縁により、瑠璃寺では保護猫活動が行われている。毎月1回、境内にて保護猫活動を行う人々の援助する目的で「猫神様縁日」が開催されている。

 

また、神出鬼没の瑠璃の里会館・館長と副住職・みゃぁ坊が参拝者の皆さんを出迎えている。

感想■元々あった蔵をリノベーションして作られた猫神様は、とてもかわいらしかったです。また、月に一度行われる縁日では保護猫活動も行われており、ご住職の柔軟な考え方に、自分自身も学ぶべき点が多いと感じました。

日吉神社

  • 日吉神社
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先人たちの知恵で守られた神仏混交の祈り

日吉神社は瑠璃寺の本堂の右手に位置する。現在は瑠璃寺の本堂も日吉神社も東側を向いているが、江戸時代には日吉神社の社殿は南側、瑠璃寺の本堂がある方角が正面であった。

 

これは、明治時代の神仏分離令の影響によるため。神仏分離令により境内を共にしていた寺院と神社の多くが明確にされ、さらに廃仏毀釈運動に身を投じる人々も現れたために、お寺に関係する仏像や宝物が失われた地域もあった。

 

ここ瑠璃寺では、廃仏毀釈運動の被害を免れるため、瑠璃寺の本堂の方角へ伸びていた日吉神社の参道の石段を取り外し、社殿を東側に向け変えた。これにより瑠璃寺と日吉神社はたまたま隣同士だったというように見せ、神仏混交の祈りを伝承したと伝えられている。

感想■先人たちの工夫の結果、日吉神社は、他所へ移ることなく、今も瑠璃寺を守る鎮守として、寺とともに歴史を歩んでおり、先人たちの信仰の力の深さに、改めて圧倒されました。

源頼朝公寄進の枝垂れ桜

  • 源頼朝公寄進の枝垂れ桜
  • 源頼朝公寄進の枝垂れ桜
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滝のように咲き誇る桜の名木

寺伝によると、建久8年(1196)、善光寺をお参りした源頼朝公が瑠璃寺を参拝し、3本の桜を寄進したと伝えられている。

 

この3本の桜とは、本堂前の枝垂れ桜、瑠璃の里会館横の彼岸桜、鐘楼横の地主桜を指す。頼朝公が寄進された桜から数回代替わりを経て歴史を伝えている。春には美しい花を咲かせ、瑠璃寺の名所として、多くの人々に親しまれている。

感想■頼朝公から寄進された桜の木は、代替わりを重ねながらも大切に守られてきたことを感じました。桜が満開となる時期に再びお参りしたいと思いました。

大島山の獅子舞(長野県無形民俗文化財)

  • 大島山の獅子舞(長野県無形民俗文化財)
    獅子舞の様子
  • 大島山の獅子舞(長野県無形民俗文化財)
    獅子舞で用いられる面や獅子頭
  • 大島山の獅子舞(長野県無形民俗文化財)
    獅子舞で用いられる面や獅子頭
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大阪・関西万博でも披露された迫力ある獅子舞

長野県飯田下伊那には50団体の屋台獅子があり、瑠璃寺に伝わる「大島山の獅子舞」はその源流であるとされ、舞台系屋台獅子として長野県無形民俗文化財に指定されている。

 

巨大な胴体の中に太鼓や笛などの囃子方が入ることが特徴の獅子舞であり、日吉大社の御祭神の使いである「神猿(まさる)」や善と悪の双方を象徴する「鬼」、獅子を曳く「宇天王」などが登場する。毎年4月第二土日曜日に行われる春の祭典で奉納されているほか、御本尊様が御開帳されるときのみ披露される「獅子乗り」という舞もある。

 

瑠璃寺には、獅子舞で用いられてきた様々な仮面や面が伝えられている。

感想■拝見させていただいた面は、髪や牙の表現には素材の質感が活かされ、迫力と存在感を放ちながらも舞台での躍動を想起させる力強さを強く感じました。大阪・関西万博で披露された際の映像も見せていただき、いつか実際に見たいと強く思いました。

【非公開】瑠璃寺の寺宝

  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    聖衆来迎図(高森町指定文化財)
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    武田信玄公による条目(豪盛僧正宛、複製)
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    鶏香炉 武田信玄公寄進
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    焼討ちの痕跡が残る花瓶(天正十年正月銘)
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    両界曼荼羅
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    右:布袋図《豪盛僧正の弟子 豪海による賛と伝わる》、左:神仙図
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    釈迦三尊及十六善神図
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    紺紙金字摩訶般若波羅蜜多心経(高森町指定文化財)
  • 【非公開】瑠璃寺の寺宝
    茶釜《大西浄林作》
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戦乱を潜り抜けて大切に伝えられてきた宝物

古代より交通の要衝であった地に伽藍を構える瑠璃寺には、様々な寺宝が伝えられている。

 

瑠璃寺に伝えらえている仏画の一つである聖衆来迎図(高森町指定文化財)は、お亡くなりになられた方の元へ阿弥陀如来様をはじめとする仏様がお迎えに来迎する様子が描かれた仏画である。通常の作例とは異なり、左側に大きく描かれている阿弥陀如来様と対面するように右側に大きく釈迦如来様が描かれている点が特徴で、これは釈迦如来様が亡くなった方を送り出し、阿弥陀如来様が迎える「発遣(はっけん)」という考え方を表しているという。この類例は、瑠璃寺と四国の寺院が伝えている2例のみであり、貴重な仏画である。

 

戦国時代、瑠璃寺の住職を比叡山正覚院の豪盛僧正が兼務していた。豪盛僧正は、上杉謙信公や武田信玄公と深い繋がりがあり、謙信公の祈祷依頼や信玄公に天台の教えを授けたとされる。

 

瑠璃寺には信玄公が豪盛僧正にあてた条目が伝えられている。そこには、四度加行(しどけぎょう)や大威徳法を習いたいという旨や今までと変わらず所領を認める旨が記されている。

 

他にも信玄公が寄進したとの伝承のある鶏の姿をかたどった香炉や焼討ちの苛烈さを伝える花瓶などが大切に守り伝えられている。これらの寺宝のうち一部が高森町の指定文化財となっている。2026年の御開帳の際には、高森町歴史民俗資料館「時の駅」で「瑠璃寺の宝物展」が開催され、多くの寺宝が公開された。

感想■拝観させていただいた寺宝は、焼討ちの際に当時の僧侶の方々が必死に守り抜いたと伺いました。そのような先人たちの存在がいたからこそ、私たちがこれらの寺宝を拝観させていただくことができると考えると、守り伝えられてきた方々の強い想いや志が込められているように感じ、1つ1つの寺宝に心を奪われました。

report

学生レポート

立命館大学 4年

「観光寺は目指したくないが、お寺を活動の場にしたい」という言葉が大変印象に残りました。瑠璃寺を訪れる前にホームページを拝見して、地域の活動に力を入れていることに興味を持っていたので、その想いが分かってよかったです。地域活動の場や人々の交流の場として開かれているお寺は多数ありますが、瑠璃寺ほどのお寺は少ないのではないかと思いました。

また、区民会館がお寺の敷地内にあることに驚きました。地域住民がお寺に関わる機会が必然的に多くなるシステムで、これは他地域にも応用すべきだと思いました。私は大学でボランティア活動に力を入れていて、イベントも企画したりしているのですが、活動の場所探しに困ることが多々あります。そんなときに瑠璃寺のような場所があれば、活動もより活発になりますし、世代を超えた交流も促進されるのだろうと思いました。「地域活動の場としてのお寺」という、新たな視点を得ることができました。こんな素敵な場所が増えて残っていったらいいなと思います。

history

ご由緒

天永3年(1112)、比叡山の僧であった観誉僧都(かんよそうず)が創建したと伝えられている。創建地は現在の奥の院堂所と呼ばれる地で、文治2年(1186)に現在の場所に移転が完了したと伝えられている。

 

建久8年(1196)には善光寺を参詣した源頼朝公が瑠璃寺を訪れ、寺領や3本の桜を寄進、戦国時代には上杉謙信公や武田信玄公と関係があり、歴史を示す宝物が伝えられている。天正10年(1582)に織田信長による焼討ちにより伽藍が焼失するも、仏様や寺宝は奥の院堂所に逃れ、焼討ちから約100年後の寛文12年(1672)、現在地に復興を果たしたという。

 

御本尊は薬師三尊像。平安時代に造立されたお像で、国の重要文化財に指定されている。中部四十九薬師霊場第十六番札所。伊那西国観音札所第三十三番札所。

info

参拝情報

名称
大嶋山 瑠璃寺
(だいとうざん るりじ)
所在地
長野県下伊那郡高森町大島山812
googleMAP
参拝時間
9:00~16:00(不定休)
拝観料
■瑠璃光殿(ご本尊収蔵庫)の拝観■
500円(お一人あたり、個人・団体関係なく)
※拝観時間は9:00~16:00。
※事前に瑠璃の里会館(TEL:0265-35-8128)へお申込みください。
※雨天の場合は堂内への湿気侵入を防ぐため拝観はできません。
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
ご本尊収蔵庫
あり(拝観を希望される際は、瑠璃の里会館(TEL:0265-35-8128)へお申込みください。)
アクセス
■公共交通機関
JR飯田線 市田駅よりタクシー約10分

■車
座光寺スマートICより約20分
駐車場
あり
Webサイト
https://ruriji.net/index.html

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