長岳寺は、中国残留孤児の肉親捜しを始めた寺院として知られている。肉親捜しを始めたのは第27世住職を務めた山本慈昭師である。
山本慈昭師は、昭和20年、開拓移民の子どもたちの学校の先生としてご家族とともに大陸へ渡った。しかしながら、ソビエトの参戦にともない、逃避行中に家族と離別しシベリアに抑留された。山本師は2年間の抑留後に日本へ帰国することができたが、家族との再会を希望に帰国した山本師を待っていたのは、奥さんと子供たちが亡くなったという情報だった。
当時、山本師のご家族以外にも日本に帰国できずに大陸で多くの方々が亡くなったとされていた。しかしながら、亡くなったとされていた多くの方々が大陸で存命であることが判明し、両親と離れ離れとなった子供たち(中国残留孤児)が生きているという事実が判明した。
この事実を知った山本師は、私財を投じて日本国内に加えて中国でもテレビやラジオ、新聞を使って情報提供を呼びかけ、中国に残る子供たちの肉親捜しに奔走した。当時の山本師は、少しでも情報を得るために、東京まで最短でも往復16時間かかる道のりを1か月に何度も往復するという壮絶な生活をしていたという。
このような山本師の活動が日本や中国の多くの人々に広がり、多くの子供たちが肉親に再会することができたという。肉親に再会できていない子供たちにも、「本当の親はまだ見つかっていないけれど、一人、親はいるよ。私がいるからね、何かあったらいつでも連絡しなさい。」と言葉をかけて子供たちに寄り添い続けた山本師は、いつしか「中国残留孤児の父」と呼ばれるようになった。
長岳寺では、先の戦争によりどのようなことが起こったのか、これからの日本のためにどのようなことが私たちにできるのか、お参りの方々が考えるきっかけになればとの想いで、山本師の活動をお話ししている。
感想■子供たちの肉親捜しの活動について伺い、山本師の気持ちを考えました。厳しいシベリア抑留をも経験したとのことで、私には想像もつかないほど苦しまれたと思います。それでも、子供たちと家族を再開させたいとの一心で東奔西走し、実行に移した山本師は立派なお人だと思いました。