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星降る里にて伝教大師の志を伝える

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しなのひえいこうじょういん

信濃比叡 廣拯院

長野県下伊那郡阿智村

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急峻な山々が並び立つ岐阜県と長野県の県境。人々を寄せ付けぬ自然の厳しさが漂う当地には、東西を結ぶ古代の官道の一つ東山道が通り、たくさんの人々が困難を伴いながらも往来してきました。約1200年前に東国へ布教のためにこの地を訪れた伝教大師は、東山道随一の難所であるこの地を往来する人々の安寧を祈り、岐阜県側に廣済院(こうさいいん)を、長野県側に廣拯院(こうじょういん)を整備しました。現在、神坂峠の長野県側の山麓には信濃比叡廣拯院が復興され、伝教大師が設けた廣拯院の歴史を伝えています。

巡りポイント

信濃比叡廣拯院は伝教大師とゆかりの深いお寺ということから、大きな伝教大師のご尊像が立ち、不滅の法灯が分灯されています。昼には青空のもと穏やかで優しい空気に満たされ、夜には「日本一の星空」が境内を照らしています。雄大な自然とともに伝教大師の志や想いが境内の随所に表れています。

伝教大師最澄ご尊像

  • 伝教大師最澄ご尊像
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東西を行き交う人々を見守る最澄様

平成8年に造立されたお像である。伝教大師は神坂峠を越えて東国へ教えを広めるために巡錫されたため、東の方角を向いて建立されている。

 

比叡山の特別許可のもと、比叡山の峰道に立つ伝教大師像と同じ鋳型を用いて造立され、日本全国で比叡山と信濃比叡廣拯院にしかないお像。しかしながら、まったく同じお姿ではなく、廣拯院のお像の方が1メートルほど高いお姿であるという。これは、廣拯院のお像を造立する際、峰道のお像を造立する際に使用した鋳型の足先を壊し始めしまっていたため、新たに足先を作り直したためであるという。

感想■青空や星空のもと東の方向を見守る凛とした最澄様のお姿が印象的でした。古代には東山道を行き交う人々が往来し、現代では中央自動車道が眼下に通り人々が往来する神坂峠。難所を往来する人々のためを想う最澄様の想いが御尊像に込められているように感じました。

根本中堂(本堂)

  • 根本中堂(本堂)
    花天井
  • 根本中堂(本堂)
    花天井
  • 根本中堂(本堂)
    根本中堂(本堂)
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信濃比叡廣拯院の伽藍の中心となる根本中堂。2000年に『信濃比叡』の称号が認められた後、2006年にこの根本中堂(本堂)が落慶された。

 

堂内天井には、京都にある芸術大学の学生や信濃比叡廣拯院にご縁のある方々の手により描かれた花々が描かれている。多様な美しさを見る者に与える天井画は参拝者の方々の人気を集めている。

感想■一つ一つ非常に細かく繊細な花天井の美しさが印象的でした。花の種類ごとに画のタッチが違い、決して飽きることのない素晴らしい天井画だと思いました。

御本尊・薬師三尊像と不滅の法灯

  • 御本尊・薬師三尊像と不滅の法灯
    御本尊・薬師三尊立像と不滅の法灯
  • 御本尊・薬師三尊像と不滅の法灯
    御本尊・薬師三尊立像
  • 御本尊・薬師三尊像と不滅の法灯
    伝教大師坐像
  • 御本尊・薬師三尊像と不滅の法灯
    大日如来坐像
  • 御本尊・薬師三尊像と不滅の法灯
    観音菩薩立像
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神坂峠を行き交う人々を照らす灯

根本中堂の中央には、御本尊である薬師三尊像がおまつりされている。中央に薬師如来様、左右に脇侍である日光菩薩様と月光菩薩様がおまつりされている。

 

御本尊様の前には、比叡山より分灯された「不滅の法灯」が金色の灯篭内に灯されている。伝教大師にゆかりが深い地として2005年に分灯され、大切にまつられている。

 

また、根本中堂の堂内には、伝教大師坐像をはじめ、観音様や大日如来様など様々な仏様がおまつりされている。

感想■分灯されてから絶えることのなく灯され続けている不滅の法灯をお参りし、比叡山という場所を越えて灯が脈々と受け継がれてきたことの凄さを実感しました。静かに灯る灯が、法灯を守り伝えられてきた方々の志や想いを表しているように感じました。

木造北辰妙見菩薩像

  • 木造北辰妙見菩薩像
  • 木造北辰妙見菩薩像
  • 木造北辰妙見菩薩像
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日本一の星空のもとで人々を見守る星の仏様

根本中堂におまつりされている北辰妙見菩薩像は、北極星を神格化した仏様。妙見菩薩様は、中国で生み出された仏様であるとされ、中国の文化を伝える服装が特徴である。また、明王様かと思えるような忿怒の表情を浮かべる点も特徴の仏様である。

 

江戸時代までは、長野県の戸隠にておまつりされていた仏様であると伝えられている。その後、明治時代に勃発した廃仏毀釈運動の影響を逃れるために、飯山市の天台宗のお寺でおまつりされていた。

 

近年、阿智村の星空が「日本一の星空」として有名になり、星空を楽しむ皆様が阿智村を多く訪れるようになった。このことから、北辰妙見菩薩様も阿智村におまつりしたほうが喜ばれるだろうということで、廣拯院にお移りいただいた仏さまである。

感想■「日本一の星空」として有名な阿智村に、北極星を神格化した仏様がおまつりされているという点が素敵だと思いました。妙見菩薩様は忿怒の表情を浮かべる点が特徴であると伺いましたが、廣拯院様の妙見菩薩様はどっしりとした迫力の中にも穏やかな優しさが感じられ、星空のために阿智村を訪れる方々を力強く迎えてくださっているような豪胆さのある仏様であると思いました。

養蚕勢至菩薩像

  • 養蚕勢至菩薩像
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養蚕が盛んな下伊那地域を象徴する仏様

養蚕勢至菩薩様は、養蚕が盛んな下伊那地域を象徴する仏様。白馬にまたがる仏様で、6本の腕には、お蚕さんやその餌となる桑の葉など養蚕に関係する持物を持っている。

感想■下伊那地域には、養蚕勢至菩薩様に加え、養蚕に関係する様々な仏様や神様がおまつりされていると伺いました。養蚕に関係して様々な仏様や神様が共存し大切におまつりされている下伊那地域の祈りの文化が、この世にある全てのものに様々な仏様や神様が宿ると考える”日本らしい”文化・信仰であると感じました。

「一隅を照らす」山門・鐘堂

  • 「一隅を照らす」山門・鐘堂
    「一隅を照らす」山門
  • 「一隅を照らす」山門・鐘堂
    鐘堂
  • 「一隅を照らす」山門・鐘堂
    鐘堂・梵鐘
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伝教大師の志を伝える信者の方々の熱意がこもる

根本中堂へ続く参道に建つ山門は、伝教大師東国巡錫1200年(廣拯院開山1200年)の節目に建立された建物。伝教大師の志を伝える篤信者により建立された。屋根がなだらかな曲線となる唐破風の屋根を持つ堂々たる門で、阿智村の宮大工棟梁・櫻井三也氏により建てられた。

 

鐘堂は山門をくぐり階段を登った場所に建つ建物。根本中堂の落慶にあわせて篤信者の方により寄進された。鐘堂に吊るされている梵鐘には、伝教大師が記された『山家学生式』が表されている。滋賀県東近江市の鋳匠・黄地佐平氏により鋳造された梵鐘であり、広く一般の方も撞くことのできる梵鐘である。

感想■堂々とした姿の山門や山々に厳かな鐘の音を響かせる鐘堂は伝教大師の志を大切にされている方々により建立された建物であると伺いました。1200年以上にわたり心の拠り所となっている伝教大師の志の力に圧倒されました。

止観精舎 禅林堂 (坐禅堂)

  • 止観精舎 禅林堂 (坐禅堂)
    木造釈迦如来坐像
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    木造釈迦如来坐像
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    木造釈迦如来坐像
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    天井に記される経典の一説
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    止観精舎 禅林堂 (坐禅堂)
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坐禅止観・写経を体験することのできる体験道場

坐禅堂は、根本中堂に向かって右側に建てられている建物。廣拯院へお参りいただいた方々が坐禅止観や写経などを体験することのできる体験道場として建立された建物である。

 

堂内中央には、金色に輝く釈迦如来様がおまつりされている。この釈迦如来様は、もともと月見堂でおまつりされていた仏様であるという。

 

堂内天井には、迫力ある力強い文字で経典の一説が墨書きされている。

感想■天井に記された力強い墨書きに息をのみました。修行を体験できる道場として、自然と背筋が伸びるような緊張感があるとともに、ゆったりとした穏やかさが共存する建物でした。いつかこちらの建物で修行体験をしたいです。

如来堂(堂内非公開)

  • 如来堂(堂内非公開)
    如来堂(納骨堂)
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    善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像
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    善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像
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    千手観音菩薩立像
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信者の方々の菩提を弔う

根本中堂に向かって左側に建つ如来堂は、中央に善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)様をおまつりするお堂。信者の方々の納骨堂でもある。

 

善光寺如来様は、一つの大きな光背のもとに、中央に阿弥陀如来様、左右に観音菩薩様・勢至菩薩様が立つお姿が特徴の仏様である。長野県長野市の善光寺の御本尊様のお姿であると伝えられ、古来より善光寺如来様のお姿が模刻され、宗派を越えて様々な寺院でおまつりされている。

 

また、如来堂の堂内には、愛知県名古屋市の信者の方より寄進された千手観音様もおまつりされている。

感想■如来堂の堂内におまつりされている仏様は穏やかで優しい表情をされており、信者の方々を優しく包み込むように見守っているような印象を抱きました。

月見堂(護摩堂)

  • 月見堂(護摩堂)
    月見堂(護摩堂)
  • 月見堂(護摩堂)
    月見堂の彫刻
  • 月見堂(護摩堂)
    月見堂の彫刻
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    木造不動明王及び二童子立像
  • 月見堂(護摩堂)
    子宝地蔵尊
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伝教大師が設けた廣拯院の歴史を伝えるお堂

東山道一の難所である神坂峠を通る旅人のために伝教大師が建立した布施屋(休憩所)の一つ廣拯院の跡地に建つと伝えられている建物。江戸時代頃に建てられた建物であると考えられている。江戸時代頃に制作された精緻な彫刻が堂内を飾っている。

 

かつて、文人たちがこの場所で仲秋の名月を鑑賞したことから、『月見堂』と呼ばれるようになったという。

 

現在は護摩堂として、中央に不動明王様をおまつりし、不動明王様の御縁日である毎月28日に護摩祈願法要が修されている。

 

また、不動明王様の隣には子宝地蔵様がおまつりされている。右手に錫杖を、左手に宝珠を持ち、真ん丸で可愛らしいお顔が特徴のお地蔵様である。お地蔵様が左手に持つ宝珠を撫でてお参りすると、子宝に恵まれるとされ、信仰を集めている。

感想■月見堂は地域の方々の手により守られてきたお堂であると伺いました。日々の営みとともに祈りや歴史が紡がれてきたからこそ、1200年前にこの地を訪れた伝教大師の想いを現在に生きる私たちが感じ取ることができるのだと、強く感じました。

古代東山道・神坂峠・神坂神社

  • 古代東山道・神坂峠・神坂神社
    古代東山道の一部
  • 古代東山道・神坂峠・神坂神社
    神坂峠に育つ大木
  • 古代東山道・神坂峠・神坂神社
    神坂神社
  • 古代東山道・神坂峠・神坂神社
    万葉集に記載の防人歌 『ちはやふる 神の御坂(みさか)の 幣(ぬさ)まつり 斎(いは)ふ命は 母父(おもちち)がため』
  • 古代東山道・神坂峠・神坂神社
    神坂峠周辺で発掘される石製模造品
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東山道随一の難所・神坂峠の古代以来の歴史を伝える

信濃比叡廣拯院が伽藍を構える園原の里には、古代の官道の一つである東山道が通っている。東山道は近江国から奥州を結ぶ全長約1000 kmの道で、東西を結ぶ大動脈の一つとして様々な人々や物資が往来したという。

 

その道のりの中でも屈指の難所と言われたのが、現在の岐阜県と長野県の境にある神坂峠。海抜1576 mの神坂峠を越えるには、1000 m以上の高低差がある約40 kmの山道を進む必要があり、命を落とす方々も多かったと伝えられている。

 

弘仁8年(817)、伝教大師が東国へ教えを広めるために神坂峠を越え、そのあまりに厳しい道のりから、神坂峠を越える人々のために休憩所である布施屋を岐阜県側と長野県側にそれぞれ1カ所ずつ設け、それぞれ廣済院(こうさいいん)、廣拯院(こうじょういん)と名付けたという。

 

樹齢が数百年から2000年にもなるという大木が林立する神坂峠には、神坂神社が建つ。神坂神社の御祭神は海の神様である住吉三神。江戸時代以前の詳しい歴史が明らかになっていない事から、なぜ山深い神坂峠に海の神様がおまつりされているのか不明であるが、古代東山道の人々の往来との関連が想像される。

 

神坂神社の社殿の近くには、古代東山道を往来した人々が詠んだ歌を刻んだ石碑が建てられている。

 

『ちはやふる 神の御坂(みさか)の 幣(ぬさ)まつり 斎(いは)ふ命は 母父(おもちち)がため』

 

この歌は、防人として九州北部に赴く信濃国の若者の歌として万葉集に載る歌。

 

難所である神坂峠を無事に越えられるように供物を捧げ祈る先人たちの気持ちを表すように、神坂峠周辺では石で作られたお供え物(石製模造品)が大量に出土し、その量は日本でもトップクラスであるという。

感想■古代東山道の一部を歩く機会をいただきました。廣拯院が伽藍を構える園原の里の穏やかな空気感と打って変わり、緊張感や厳しさを強く感じました。同年代の若者が生きて帰れないことを覚悟しながら山中を歩く時の気持ちはどのようだったのだろうかと、自分自身と重ね合わせながら思いを馳せました。

帚木(ははきぎ)

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様々なの古典に登場するヒノキの大木

大きなヒノキの切株である帚木。昭和33年(1958)の台風によって倒れてしまう以前は、箒を逆さまにしたような姿が周囲の木々に埋もれることなく遠くから見ることができたという。しかしながら、近づいてみると周囲の景色に溶け込み見つけることが難しかったという逸話を伝える。

 

このことから、「帚木」という言葉が「人の心のうつろいや迷い、不確かなもの」の例えに使用されるようになり、源氏物語の第二帖の題に用いられている。

感想■『源氏物語』第二帖の巻名の由来となった「帚木」のお話も大変興味深く拝聴しました。帚木を訪れた際には、山林の中に足を踏み入れ、目の前に現れた巨木に圧倒されました。雄大な自然と、そこに息づく長い歴史との調和が見事で、深く印象に残っています。

暮白の滝・滝見台

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雄大な自然に向かって願いを込める

夕方になるとほのかに白く見えることから『暮白の滝』と名付けられた。暮白の滝の姿を展望できる滝見台からは、滝に向けて願いを込めたお皿を投げる皿投げ祈願が行われ、人気を集めている。

感想■滝見台の周囲には、日々の日常では決して味わうことのできない格別の風景が広がっていました。青空のもとで鳥がさえずり、穏やかな風に木々の葉が揺れ、遠くに雄大な山並みが広がる園原の里。何度も訪れたくなるような穏やかであたたかい景色に圧倒されました。

report

学生レポート

立命館大学4年

不滅の法灯から分灯した灯を直に見て、さらにろうそくに移した炎でお線香をあげるという貴重な体験をさせていただけたことが、本当に心に残っています。

園原の歴史を学ぶことで、これまでに習った歴史の知識と当時の人々が山を歩かざるを得なかった背景がすっと結びつきました。同年代の若者が生きて帰れないことを覚悟しながら山中を歩く時の気持ちはどのようだったのだろうかと、自然と思いを馳せました。教科書を読むだけでは決してできない体験をしたので、暗記と違って決して忘れません。

事前学習の際に最澄さんは険しい山道を進む旅人が休むため布施屋を作ったということは勉強していました。しかし、実際に訪れて、最澄さんが布施屋を作ったのは、山での事故による死傷者を減らすためだけでなく、旅人や家族の未来を変えるという山を越えた後のもっと長期的な幸福のためでもあったのではないかと考えるようになりました。

history

ご由緒

「信濃比叡 廣拯院」が伽藍を構える地は、弘仁年間(810 - 824)、神坂峠を越える人々のために伝教大師が整備した廣拯院が建っていたと推定されている地。東山道沿いに建つ月見堂(護摩堂)は、廣拯院を起源にもつと考えられているお堂である。近年、伝教大師の遺跡地として復興が行われ、平成8年(1996)に伝教大師の御尊像が建立、平成12年(2000)に「信濃比叡」の呼称の許可、平成17年(2005)には不滅の法灯が分灯され、平成18年(2006)には根本中堂が落慶した。

info

参拝情報

名称
信濃比叡 廣拯院
(しなのひえい こうじょういん)
所在地
長野県下伊那郡阿智村智里3592−4
googleMAP
参拝時間
10:00~16:30
閉堂日:毎週水曜日(繁忙期、祝日、予約を除く)

《団体・ツアーバスの方》
※ 原則予約制となります。本堂にてご案内致します。事前にお問合せ下さい。 ご予約がない際はご案内、参拝対応が出来ない場合があります。

※ 門前屋駐車場利用の場合、門前屋(0265-44-2258)へご連絡下さい。
拝観料
なし
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
-
アクセス
■公共交通機関
<バス>
東京方面からお越しの方は <JR高速バス中央ライナー号名古屋行き>
名古屋方面からお越しの方は <中央高速バス飯田行き>
駒場(中央道昼神温泉郷) 下車 タクシー約20分 

■車
東京からお越しの方 飯田山本ICより約25分
名古屋からお越しの方 園原ICより約5分

※ 大型バスは門前屋駐車場から先は進入不可、マイクロバスサイズのみ本堂近くまで進入可
※ 駐車料金無し
駐車場
門前屋隣接砂利駐車場(大型バス、最大6台、要予約)
Webサイト
https://shinanohiei.com/
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