「歴史を繋いだ想いを未来へつなげる」日本文化の魅力交流ポータル

  • Instgram
  • facebook

古代より水戸の人々と歴史を紡ぐ桓武天皇の勅願寺

いいね 0

やくおういん

藥王院

茨城県水戸市

  • 行きたい
  • 行った
水戸市の中心部にほど近い場所に伽藍を構える藥王院。約1200年前の平安時代に創建されて以来、水戸の歴史を見守り続けています。公家や武士、一般庶民から幅広く信仰を集めた藥王院には、水戸の歴史を体現する仏様や文化財が大切に伝えられています。

巡りポイント

藥王院の伽藍の中心である本堂は、室町時代の享禄3年(1530)に完成した堂々たる大堂。令和6年に銅板屋根葺替保存修理事業が完了し、往時の姿がよみがえりました。

 

防犯上のため、現在本堂内の拝観を停止しております。ご理解ご協力をお願い致します。

本堂(国指定重要文化財)

  • 本堂(国指定重要文化財)
  • 本堂(国指定重要文化財)
  • 本堂(国指定重要文化財)
  • 本堂(国指定重要文化財)
  • 本堂(国指定重要文化財)
  • 本堂(国指定重要文化財)
  • 本堂(国指定重要文化財)
    棟札
  • 本堂(国指定重要文化財)
    貞享五年銘棟札
  • 本堂(国指定重要文化財)
    下:寛永七年銘棟札、上:貞享四年銘棟札
  • いいね

水戸を治めた江戸氏によって建立された室町時代を代表する大堂

本堂は、桁行七間・梁間五間の建物。大永7年(1527)6月に以前の本堂が焼失したため、藥王院の外護者であった水戸城主藤原通泰公のもと復興が進み、享禄2年(1529)8月に棟上げ、享禄3年(1530)10月8日に入仏式が行われ、再建された。

 

天正7年(1579)には江戸重通公による修復が、貞享5年(1688)には水戸藩主・徳川光圀公によって大規模な修復及び改築が施された。徳川光圀公による改修では本堂の向きが南向きから、参道を街道に設ける東向きに変更された。これは、水戸徳川家の権威を暗示する光圀公の思いが示されていると考えられる。

 

堂内は内陣・中陣・外陣と分かれ、江戸時代までは役職や身分によって位置が決められていたという。現在の姿は、昭和43年に実施された全面解体復元大修理事業により、再建当初の姿に復元されたもの。昭和の大修復以前は禅宗様式の土間敷の建物であった。

感想■巨大で迫力ある姿に圧倒されました。建立されてから約500年間水戸を見守り続ける本堂の姿は、水戸の歴史を象徴する偉容を誇り、多くの人々の心の拠り所となっているのだということを強く感じました。また、太平洋戦争時には本堂周辺に鬱蒼とした境内林が広がっていたことで空襲による被害から逃れることができたとお聞きし、文化財を伝えることの難しさと伝えられていることの凄さを感じました。

【非公開】秘仏御本尊・薬師如来坐像(茨城県指定文化財)

  • 【非公開】秘仏御本尊・薬師如来坐像(茨城県指定文化財)
  • 【非公開】秘仏御本尊・薬師如来坐像(茨城県指定文化財)
    不動明王立像
  • 【非公開】秘仏御本尊・薬師如来坐像(茨城県指定文化財)
    不動明王立像
  • 【非公開】秘仏御本尊・薬師如来坐像(茨城県指定文化財)
    毘沙門天立像
  • 【非公開】秘仏御本尊・薬師如来坐像(茨城県指定文化財)
    天女図
  • いいね

お薬師さまを中心とする仏様の世界が広がる

藥王院のご本尊は薬師如来坐像。大きな肉髻(にっけい)や丸いお顔などの表現から、11世紀後半から12世紀前半頃に造立されたと考えられている。杉材から頭部と体部を造立している一木造。ご本尊は秘仏であるが、1年に1度、毎年5月に執り行われる薬師如来示現会の際に御開帳される。

  

ご本尊をおまつりする宮殿の左右には、脇侍である日光菩薩立像と月光菩薩立像が立ち、左右の壁面には不動明王像と毘沙門天像、上方には天女像など極彩色の壁画が描かれている。壁面の不動明王像と毘沙門天像などの壁画は本堂建立当初に描かれたと思われる。

感想■お写真を見せていただいたご本尊様の姿からは、威厳と力強さを感じました。切れ長のまぶたや張りのある頬、力がこもっているように見える口元などが印象的でした。現世利益の仏様であるお薬師さまに先人たちはどのような願いを託したのか、想像の翼を広げました。

【非公開】木造十二神将立像(茨城県指定文化財)

  • 【非公開】木造十二神将立像(茨城県指定文化財)
  • 【非公開】木造十二神将立像(茨城県指定文化財)
  • 【非公開】木造十二神将立像(茨城県指定文化財)
  • 【非公開】木造十二神将立像(茨城県指定文化財)
  • 【非公開】木造十二神将立像(茨城県指定文化財)
  • 【非公開】木造十二神将立像(茨城県指定文化財)
  • いいね

慶派の仏師が手掛けたとされる躍動的なお像

ご本尊がおまつりされる須弥壇上には、十二神将立像が左右にそれぞれ6躯ずつおまつりされている。造立時代は鎌倉時代とも南北朝時代ともいわれ、慶派の仏師たちが造立に携わっていると考えられている。身にまとう鎧に施された彩色は、造立当初に施された部分も多く残されているという。各像ともヒノキ材を用いた寄木造で造立されている。

  

破損が著しい状態で守り伝えられていたが、本堂大修理事業の後、美術院や西村公朝師をはじめとする東京藝術大学の方々により修復が施され、往時の躍動感のある姿が蘇った。

感想■躍動的な姿に魅了されました。特別に近づいてお参りさせていただくと、身にまとう鎧の立体的な表現や髪の毛や肌表面の起伏などが緻密に表現されていることが印象深く心に残っています。

【非公開】木造平安仏3躯(水戸市指定文化財)

  • 【非公開】木造平安仏3躯(水戸市指定文化財)
  • 【非公開】木造平安仏3躯(水戸市指定文化財)
  • 【非公開】木造平安仏3躯(水戸市指定文化財)
  • いいね

「傳教大師」の墨書が残る平安時代の仏さま

本堂内に安置される3躯の立像。3躯とも針葉樹の材を用いていると考えられている。3躯のうち2躯には、それぞれ「阿弥陀佛 傳教大師自作 大同三年三月 日」、「無量寿佛 傳教大師自作 大同三年三月 日建立」の墨書が残る。木の節などを残している点が特徴的。平成23年に水戸市の文化財に指定された。

感想■伝教大師作との伝承が残り、桓武天皇の勅願寺として歴史を紡いだ藥王院の歴史を体現しているように感じました。木の節を残している点も、吉田神社の神宮寺としての歴史を物語っているように感じられ、神仏習合の祈りを感じました。

【非公開】扁額(水戸市指定文化財)

  • 【非公開】扁額(水戸市指定文化財)
  • いいね

青蓮院門跡との繋がりを伝える貴重な扁額群

藥王院には、青蓮院門跡の門主によって揮毫された扁額が複数伝えられている。そのうち、後柏原天皇(1464 - 1526)の第五皇子で天台座主などを歴任した尊鎮法親王(1504 - 1550)によって「桓武帝勅願所」、「吉田山藥王院」と揮毫された2枚の扁額が伝えられ、これらは令和7年に水戸市の文化財に指定された。 他にも青蓮院門跡の門主によって揮毫された「薬師堂」の扁額や「瑠璃世界」と揮毫された扁額が伝えられている。 これらの扁額は、藥王院が関東で唯一の青蓮院門跡の直末寺であることから、藥王院に伝えられている。

感想■門跡寺院と直接的な関係があるという歴史を今に伝える扁額は、藥王院の悠久の歴史を体現していました。青蓮院門跡の門主を務めた法親王による文字は、威厳と迫力に満ちていました。

仁王門(茨城県指定文化財)・木造金剛力士立像(水戸市指定文化財)

  • 仁王門(茨城県指定文化財)・木造金剛力士立像(水戸市指定文化財)
  • 仁王門(茨城県指定文化財)・木造金剛力士立像(水戸市指定文化財)
  • 仁王門(茨城県指定文化財)・木造金剛力士立像(水戸市指定文化財)
    阿形像
  • 仁王門(茨城県指定文化財)・木造金剛力士立像(水戸市指定文化財)
    阿形像
  • 仁王門(茨城県指定文化財)・木造金剛力士立像(水戸市指定文化財)
    吽形像
  • 仁王門(茨城県指定文化財)・木造金剛力士立像(水戸市指定文化財)
    吽形像
  • いいね

約500年以上にらみを利かせる仁王さま

仁王門は茅葺の寄棟造で建立された建物。左右には阿形と吽形の金剛力士(仁王)立像をおまつりする。藥王院の参道が南向きから東向きに改変された貞享年間(1684~1688)頃に移築されている。

  

仁王門に安置されている金剛力士立像は、杉材を用いた一木造で造立されているお像。身にまとう衣の表現や筋肉の表現から南北朝時代から室町時代にかけて造立されたと考えられている。

感想■金剛力士立像の筋肉の表現やポージングが心に残っています。まるで実際の人間を見ながら造立したかのように思えるリアルな表現は、現在よりも命のやり取りが身近であり現実(いま)を生きることが重要視されたであろう中世の世相を表しているのかなと思いました。

松平亀千代丸墓塔(水戸市指定文化財)

  • 松平亀千代丸墓塔(水戸市指定文化財)
  • 松平亀千代丸墓塔(水戸市指定文化財)
  • 松平亀千代丸墓塔(水戸市指定文化財)
  • いいね

早逝した光圀公の兄を偲ぶ

松平亀千代丸は、水戸藩初代藩主である徳川頼房公の長男(徳川光圀公の兄)で、寛永5年(1628)年11月4日にわずか4歳で早逝したと伝えられている。御遺骸は、後に光圀公により水戸徳川家の墓所である瑞龍山に改葬されたため、五輪塔の形式で建てられていた墓塔は境内の地中に埋められたという。昭和46年、境内を整備した際に地中より発見され、復元された。安山岩製。

感想■五輪塔の塔身に刻まれた蓮華の文様や梵字はのびやかで流麗な曲線で構築されていました。美しくも堂々とした墓塔を見ていると、早逝した松平亀千代丸を偲ぶ先人たちの気持ちが伝わってくるように感じられました。

【非公開】回向堂

  • 【非公開】回向堂
    回向堂
  • 【非公開】回向堂
    四脚門
  • いいね

檀家の方々の祈りの場

境内の北側には昭和8年に建立された回向堂が建つ。回向堂は、檀家の皆さんの回向法要を行う場所であり、皆さんの心の拠り所となっている。

 

回向堂の前には、江戸時代前に建立された四脚門が建つ。四脚門とは、2本の本柱と1本の本柱の前後にそれぞれ1本ずつ、合計4本の控柱から構成される門のことを指す。貞享年間(1684~1687)以降の絵図には確認されているという。

感想■回向堂の内部は天女や蓮の花びらによって美しく荘厳されており、先祖を偲ぶ檀家の皆さんの祈りに満たされた空間が広がっていました。回向堂の前に立つ四脚門は重厚さを感じさせる建物でした。

report

学生レポート

奈良大学大学院1年

ご住職の説明を聞いている中で、明治13年の本坊の火災により、無住となり衰微していたとお聞きして驚きました。立派な本堂や堂内のお像たちからは想像できないようでした。徳川家の庇護から檀家寺へと変更することやお堂の再建や修理、お像の修理などさまざまな困難を乗り越えて今の姿があることを考えるととても感慨深く感じました。
須弥壇の周囲を守る十二神将像は、どの像も動きがありとても生き生きとした躍動感のある像でこのような像があることに感動しました。この像もバラバラであった像を美術院や東京藝術大学の方々によって修理が行われたとのお話をお聞きして、藥王院を守り伝えていきたいというご住職をはじめとした歴代の僧侶の方々の強い思いが縁として結びつき、現在にまで篤く信仰されているのだと思いました。

history

ご由緒

延暦年間(782~806)に桓武天皇の勅願寺として創建されたと伝えられている。正式には吉田山神宮寺藥王院と称し、常陸国三宮である吉田神社の神宮寺として鎮護国家の祈祷をつとめていた。中世には、武士たちとの繋がりが強固になり、公家と武家、両者兼帯の祈祷所として信仰を集めた。

現在の本堂は、享禄2年(1529)から享禄3年(1530)にかけて、水戸を支配していた江戸氏によって建立された建物。茅葺型の銅板葺入母屋造で建てられている本堂内には、ご本尊・薬師如来様を中心に様々な仏様がおまつりされている。

info

参拝情報

名称
吉田山藥王院
(よしださんやくおういん)
所在地
茨城県水戸市元吉田町682
googleMAP
参拝時間
(本堂内参拝は停止しています)
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
なし
アクセス
■公共交通機関
JR水戸駅下車後、タクシー乗車約10分

■車
・茨城町東ICから国道6号線(日立方面)へ約15分
・日立南太田ICから国道6号線(水戸方面)へ約30分
駐車場
あり
Webサイト
https://www.yakuouin.jp/

近くの寺院を巡ろう