本堂は、桁行七間・梁間五間の建物。大永7年(1527)6月に以前の本堂が焼失したため、藥王院の外護者であった水戸城主藤原通泰公のもと復興が進み、享禄2年(1529)8月に棟上げ、享禄3年(1530)10月8日に入仏式が行われ、再建された。
天正7年(1579)には江戸重通公による修復が、貞享5年(1688)には水戸藩主・徳川光圀公によって大規模な修復及び改築が施された。徳川光圀公による改修では本堂の向きが南向きから、参道を街道に設ける東向きに変更された。これは、水戸徳川家の権威を暗示する光圀公の思いが示されていると考えられる。
堂内は内陣・中陣・外陣と分かれ、江戸時代までは役職や身分によって位置が決められていたという。現在の姿は、昭和43年に実施された全面解体復元大修理事業により、再建当初の姿に復元されたもの。昭和の大修復以前は禅宗様式の土間敷の建物であった。
感想■巨大で迫力ある姿に圧倒されました。建立されてから約500年間水戸を見守り続ける本堂の姿は、水戸の歴史を象徴する偉容を誇り、多くの人々の心の拠り所となっているのだということを強く感じました。また、太平洋戦争時には本堂周辺に鬱蒼とした境内林が広がっていたことで空襲による被害から逃れることができたとお聞きし、文化財を伝えることの難しさと伝えられていることの凄さを感じました。