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ご由緒
天長年間(824年〜834年)に当地を訪れた慈覚大師円仁によって開創されたと伝えられている。淳和天皇の勅願寺となり、鎮護国家の道場として大いに隆盛したと伝えられている。中世の歴史は明らかではないが、室町時代中期頃に造立されたご本尊・銅造大日如大坐像や銅造三十日仏坐像、天正13年(1585)頃に建立された本堂が当時の様子を伝えている。江戸時代には群馬県の世良田にある長楽寺の末寺となり、水戸藩内の代表的な天台宗寺院の総称である『天台宗水戸十か寺』の一つとして数えられていた。
堂々たる茅葺屋根の八角円堂が建つ
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ぶっしょうじ
茨城県水戸市
茅葺の八角円堂である本堂の堂々たる姿は必見です。国の重要文化財に指定されている本堂の内部には、室町時代中期頃に造立されたご本尊・銅造大日如来坐像や三十日仏坐像がおまつりされ、中世の水戸で活躍した武士たちの祈りを伝えています。
佛性寺の本堂は、茅葺で禅宗様という建築技法により建てられている八角円堂。近年の解体修理により、天正13年(1585)に立原伊豆守政幹を中心に建立された建物であることが建物に残る墨書から判明した。
立原氏は、この建物が建てられた時代に水戸城に入っていた江戸氏の家臣であった一族であるそう。 以前は茅葺ではなく瓦葺の建物で、内部も後世に大きく改変されていたという。
平成23年(2011)の東日本大震災により、建物自体が大きくねじれてしまったことから解体修理が施され、建立時の姿に復元された。例えば、工事前の建物では、門の方角(東向き)に扉が設置されていたが、当初は南向きであったことが判明し、入口の位置が変更されている。
本堂中央には、室町時代中期である文安5年(1448)に造立されたと考えられているご本尊・銅造大日如来坐像がまつられている。頭に宝冠を乗せ、腹の前で法界定印を結ぶ胎蔵界の大日如来坐像である。
御本尊・銅造大日如来坐像の左右に三十日仏坐像がまつられている。中世に流行した三十日仏信仰(1か月を30日とし、その1日1日に仏さまを割り当てそれぞれの日に割り当てられた仏さまをお参りするとその仏さまと特に縁を結ぶことができるという信仰)を示す仏像である。
通常、三十日仏は絵画で表される事が多いが、佛性寺のように立体的に示す作例は少ないという。御本尊と同様に、室町時代中期の文安5年(1448)に造立されたと考えられている。
佛性寺の入口には、元禄7年(1694)に造立された仁王像がまつられている。右側には口を開ける阿形像、左側には口を閉じる吽形像が立つ。
仁王像の間を通り抜け参道を進むと、石造六地蔵菩薩像がまつられている。六地蔵菩薩像は天明9年(1789)に造立されたお像である。仁王像と六地蔵菩薩像はどちらも水戸市の文化財に指定されている。
本堂の近くには、檀家の皆さんが集う回向堂が建立されている。堂内中央には、阿弥陀如来をおまつりしている。
学生レポート

立命館大学大学院1回生
ご由緒
天長年間(824年〜834年)に当地を訪れた慈覚大師円仁によって開創されたと伝えられている。淳和天皇の勅願寺となり、鎮護国家の道場として大いに隆盛したと伝えられている。中世の歴史は明らかではないが、室町時代中期頃に造立されたご本尊・銅造大日如大坐像や銅造三十日仏坐像、天正13年(1585)頃に建立された本堂が当時の様子を伝えている。江戸時代には群馬県の世良田にある長楽寺の末寺となり、水戸藩内の代表的な天台宗寺院の総称である『天台宗水戸十か寺』の一つとして数えられていた。
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