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寛和の変の際に花山天皇が出家した寺院

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がんけいじ

元慶寺

京都府京都市山科区

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元慶寺は、花山天皇が出家した場所であることで知られ、西国札所の番外霊場の一つとなっている寺院です。応仁の乱等の影響により縮小され、今は本堂と庫裏となっていますが、平安時代には広大な寺領を持つ寺院でした。多くの人が巡礼に訪れ賑わいます。

巡りポイント

西国札所を整備した花山法皇が出家した場所である元慶寺。このお寺はそのことから西国札所の番外霊場となり、多くの巡礼者がお参りされています。境内には四季の花々が咲き、多くの参拝者をお迎えしてくれます。

本堂

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    僧正遍照坐像
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江戸時代に再建された元慶寺の中心の建物

元慶寺の寺格は高く、多くの所領を持つ大寺院であったが応仁の乱の影響を受け焼失してしまっていた。現在の本堂・鐘楼門・五大堂・庫裡は、寛政元年から寛政4年にかけて再建されたもので、修理を繰り返しながら守られている。2023年に本堂と庫裡の瓦を修理したところ、江戸時代の瓦師の名前の入った瓦が見つかった。 本堂の中には、本尊の他にこのお寺の開山である僧正遍照や平安時代の十一面観音菩薩立像がまつられる。左右の脇壇には、元慶寺を開いた僧正遍照や平安時代に元慶寺の座主をつとめた安然和尚、元慶寺が復興される際に尽力された妙法院宮真仁法親王や恵宅和尚の坐像が安置されている。

感想■江戸時代の元慶寺の本堂の中には、開山した僧正遍照像や平安時代に造られた十一面観音菩薩立像が安置されていました。十一面観音立像は破損していて、修理することも難しいようだとおっしゃっていました。様々な歴史を乗り越え、このような姿になりながら長い間元慶寺をみつめ、現在にまで信仰されてきていることに感銘を受けました。

木造薬師如来坐像

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秘仏の本尊薬師如来と光背に十二神将を表した精巧なお前立ち

本尊は薬師如来像である。西国三十三か所の番外礼所であるが、本尊が観音像ではなく薬師如来像であるのは後にこの場所が番外として制定されたためである。本堂で今見えているお像がお前立で、その奥に秘仏の本尊をおまつりしている。ご本尊は平安時代の薬師如来像であるとされ、伝教大師作とも僧正遍照作とも伝えられ、周囲を十二神将像が取り囲んでいるという。現在開帳の予定はないそう。お前立ち像は江戸時代に造立されたと考えられており、光背に日光菩薩や月光菩薩、十二神将像を取り付けている点が特徴的である。

感想■お前立を拝見させていただくと、小さなお像でありながら、光背により小さく日光・月光菩薩と十二神将像が表されており、その精密な表現に感動しました。秘仏であるご本尊を拝見することはできない中で、厨子の中におられるとされるお薬師さまと十二神将像たちを小さな一つの像として表現していることに、ご本尊さまの姿をどうにか表し伝えようとする優しさが表れているように感じました。

五大院(護摩堂)

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    五大明王像
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    毘沙門天立像
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    五大院扁額
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    菅原道真坐像
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    六所大明神扁額
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江戸時代に造立された五大明王や毘沙門天像がまつられる

五大院は寛政年間に再建されたお堂で、五大明王像がまつられている。五大明王像は江戸時代に造られた像で、この像を造った工房は現在も京都に残っている。中央には護摩壇が置かれ、護摩焚きが行われている。左手には毘沙門天立像と「六所大明神」と記された扁額が、右手には菅原道真公がおまつりされている。

感想■江戸時代に造られた五大明王像が中央に安置されている様子は、とても勇ましく護摩堂としての護摩の強さを姿で表しているようでした。江戸時代の像であるとのことでしたが、この像を造った工房も残っているとのお話を聞き、歴史を守り伝えている京都の人々の強い思いも現れているようでした。

鐘楼門

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珍しい竜宮造りの門

寛政年間に再建された門で、竜宮造りという珍しい造りの門である。この上には鐘楼が掛かっており、菅原道真が元慶寺に向けて読んだ句が彫られている。現在の鐘は太平洋戦争後に造られた3代目である。門の下には平安時代の梵天・帝釈天像が安置されていたが、現在は京都国立博物館に寄託されている。梵天・帝釈天像安置されていた場所の上の天井には、仙台藩の御絵師であった東東陽によって描かれた龍の絵がある。

感想■竜宮造りの門は中国風の他の門とは異なる特殊な形で、お寺という神聖な場合に入る緊張感を増して感じられるようでした。梵天・帝釈天がおられた場所の天井に描かれる龍の絵は、生き生きとした龍で、今にでも動き出しそうでした。

花の寺、元慶寺

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四季折々の美しい光景が境内に広がる

境内にはアジサイや椿を中心とした多くの草花が植えられている。この境内のお花は、住職のご家族によって作られた庭園・花々である。現在では元慶寺は花の寺ともいわれており、参拝した方々を四季折々の花々が迎えている。

感想■多くの花々に囲まれた空間は、五感で楽しめ優しい気持ちにさせてくれるようでした。この花々は、ご住職のご家族によって整備されているとのお話をお聞きし、みなさまの暖かさが伝わってくるようでした。

report

学生レポート

奈良大学博士前期課程1年

平安時代からのお像はもちろん、本堂や五大堂等江戸時代の建築・多くの仏像が大切にお祀りされていました。花山天皇が出家なされたなど連綿と受け継がれている元慶寺の歴史が応仁の乱による消失といった様々な被害を潜り抜け、お寺の場所や大きさの変化がありながらも復興し守り伝えられていることに感銘を受けました。これは、元慶寺が落ち着き安心することのできる場となっているからだと思いました。門を進むと木々や花たちに包まれ、祈りの空間に入ります。参拝に来られていた方々が、皆さん笑顔でいらしているのが印象的でした。この空間に入ることで落ち着いた気持ちになり、仏さまと集中して向き合うことができるように感じました。

report

学生レポート

立命館大学博士課程1年

今回の訪問では、創建が千年を超える元慶寺がいつの時代も貴賤問わずたくさんの人々が集うお寺であることが印象深かったです。大河ドラマ『光る君』の一場面でも登場した、「花山院の出家」の舞台として有名な元慶寺ですが、歌人として有名な僧正遍照が開き、その息子の素性法師とゆかりがあることは知りませんでした。また、花山院とゆかりが深いことから西国三十三ヵ所巡礼の番外札所として古来よりたくさんの巡礼者が参拝に訪れているとお聞きしました。訪問時も巡礼するたくさんの人々が絶えることなく訪れていることが印象的でした。
また、応仁の乱により一時境内は全勝してしまったと伺いました。しかしながら、現在の地に復興され、厨子の左に安置されている観音像や京都国立博物館に寄託されている梵天・帝釈天立像など平安時代に造立されたというお像が大切に守り伝えられていることに感動しました。これは、創建より多くの人々が訪れ、元慶寺が人々の心の拠所となっていたことを私たちに伝えているのかなと今回の訪問を通じて思いました。
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history

ご由緒

868年に天皇の定額寺として国家安泰を祈願するために創建された寺院である。山号は華頂山で、この華頂山という山は京都東山にある山のことを言い、知恩院も同じ山号である。また天台山の山頂を華頂山という呼び方もする。 創建時は、ここから少し北側の寺の内町というエリアにあったとされ、今よりもっと大きく平安の二十五カ寺として延暦寺と並ぶほどの規模であった。開山した僧正遍照である。このお寺で第65代天皇・花山天皇が出家され、法皇になられたことで知られており、西国霊場の番外札所となっている。

info

参拝情報

名称
華頂山元慶寺
(かちょうざんがんけいじ)
所在地
京都府京都市山科区北花山河原町13
googleMAP
参拝時間
8:00~17:00
拝観料
無料
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
なし
アクセス
■公共交通機関
〇JR琵琶湖線「山科」駅下車、徒歩25分もしくは京阪バス乗車「北花山」バス停下車、徒歩5分。
〇京都市営地下鉄東西線「御陵」駅下車、出口3番より徒歩20分。
駐車場

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