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日本初の護摩祈祷道場

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そうりんじ

雙林寺

京都府京都市東山区

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多くの観光客でにぎわう京都市東山の円山公園に隣接する場所に位置する雙林寺は、日本初の護摩祈祷道場であるとされています。戦火に巻き込まれながらも残された薬師如来坐像をはじめとしたお像たちがやさしく迎えてくれます。

巡りポイント

雙林寺は、伝教大師最澄と桓武天皇によって国家の平和、平安、皇室の安寧等を願い建立された寺院です。にぎやかな円山公園ももとは雙林寺の境内でした。時代の変遷の影響を受けながらも、脈々と受け継がれる伝統の息吹を感じることができます。

薬師如来坐像

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平安時代9世紀に造られた薬師如来

伝教大師最澄自刻の像として伝わる、平安時代9世紀に造られたカヤ材の一木造像である。比叡山東塔の根本中堂には3体の薬師如来立像と七仏薬師像一組が安置されていたと伝わる。その内に最澄自刻で、遺言で彩色・漆箔が施されたとされる5尺5寸の像があったとされる。雙林寺像は延暦寺の像とは異なり坐像であるが、像高約85㎝と坐像での5尺5寸に近い大きさであること、朱衣金体であること等から延暦寺像を模したとされる「天台薬師」の一例であるといえよう。

感想■秘仏である薬師如来を御開帳の際に拝観させていただきました。実際の大きさより大きく感じられる、どっしりとしたプロポーションで安心感があるお像であるように感じました。最澄時代からこのお寺が受け継がれ、そのお寺に平安時代前期のお像が現在に至り信仰されていることのすごさを感じられました。

歓喜天

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多くのご利益をもたらすとされる歓喜天

立身出世・金運・縁結び等さまざまなご利益があり、熱心に信仰されている像である。秘仏とされ見ることはできない。幕に大根と巾着が描かれている。これは、大根は除菌効果があるため気持ちの清浄化、巾着は昔は財布のことで中に宝が入っているとされ、そこから願いを叶えてくれることを表している。

感想■歓喜天がまつられている空間には、幕が張られお供え物も他とは異なったものが置かれており、薬師如来等がまつられている空間違う空気観がありました。この空間が歓喜天をまつる空間であり、現世利益を求める人々に篤く信仰されてきた由縁でもあるのかと感じました。

大黒天像

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伝教大師御作と伝わる勇ましい大黒天像

雙林寺には、伝教大師御作と伝わるお像が数体伝えられている。通常公開していない大黒天像もそのうちの1体である。米俵の上に立ち柔らかな笑みを浮かべる通常の大黒天像とは異なり、甲冑を身に着け、手には宝棒を握る勇ましい姿をしている。このお姿は日本で大国主命と習合する以前、『戦闘神』としての大黒天の姿を伝えるもので、伝教大師最澄が唐から日本へもたらした大黒天の図像であると考えられている。

感想■大黒天というと七福神を構成する仏さまで、柔らかな雰囲気を醸す穏やかな仏さまであるという印象を持っていました。しかしながら、日本にもたらされた当初は戦闘神や破壊神といった勇ましい側面が強く、その側面に基づいた武神としてのお姿が信仰を集めたとお聞きし、たいへん驚きました。伝教大師と縁の深い雙林寺に伝教大師が生きた時代に流行した仏さまのお姿が伝えられていることに感動しました。

西行法師像

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西行法師ゆかりのお堂にまつられるお像

西行法師像は、飛び地境内にある西行法師ゆかりの花月庵というお堂にまつられている。鎌倉時代の頓阿法師が西行法師を偲んで造られたと伝わる像である。1864年の「花洛名勝図会」にこの像を映した絵が描かれている。

感想■通常非公開の西行法師像を、拝観させていただきました。このお像と江戸時代の名所図会「花洛名勝図会」に描かれたお像を比べると、そっくりでした。江戸時代からこの像が多くの人々の注目の的であり、信仰されてきたことを現在にも同じようにみることができることは感慨深かったです。

境内

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過去の隆盛を物語る旧境内地と制札

円山公園は、もとは雙林寺の境内であった。安土桃山時代から桜の名所であったようで、豊臣秀吉が前田玄以に命じて、環境の保全のために立てられた制札という書類が残る。また、東山三十六峰の中に雙林寺山という名前があり、雙林寺の境内の広さが伺える。しかし、高台寺や東大谷祖廟、円山公園を造られることで境内が小さくなっている。円山公園音楽堂の場所にはかつては雙林寺庭園があったとされる。

感想■以前はより広大な領地を有していたことを伺い驚きました。多くの観光客で賑わう周辺の円山公園も、雙林寺の栄枯盛衰の歴史を物語っているのだと感じました。

report

学生レポート

奈良大学文学部文化財学科4年

アットホームな寺院で、明るく優しく迎えてくれるような寺院でした。ご本尊である薬師如来坐像は平安時代初期の像で、体は量感にあふれどっしりとしながら、顔は丸顔で柔らかそうで優しく微笑んでいるように感じました。雙林寺は建武の新政による足利尊氏と新田義貞との戦場の舞台による焼失や明治時代の神仏分離のあおりによる土地が減少等の困難なことを乗り越えて今があることの説明を聞きました。多くの人々の信仰とともに、ご住職のみなさまの努力のおかげで今に伝わっていることを感じました。ご住職が薬師如来をご本尊としているため、明るく元気にお話ししていたことが印象に残りました。そのようなご住職がお守りしているからこそ、ご本尊様も明るく笑っているようにも感じ、なんでも受け止めてくれるように感じさせてくれるのだと思いました。

history

ご由緒

雙林寺は平安時代に伝教大師最澄の創建といわれている。最澄は中国に仏教を学びに行き、仏具や経典を日本にもたらしました。それらの保管場所、鎮護国家のために、時の天皇である桓武天皇の勅命によって延暦二十四年(805)にこのお寺ができ、日本初の護摩祈祷道場とした。中国に雙林寺という全く同じ名前のお寺があり、そのお寺の地形とこの場所が似ていたため、この名がつけられた。 鳥羽天皇皇女綾雲女王や土御門天皇皇子静仁法親王がこの寺で出家しており、天皇家との関わりが強い。また天台座主に4度も就任したという慈円が雙林寺の子院である百光院に住んでいたこともあり、鎌倉時代に最も栄えた。建武二年(1335)、建武の新政の戦場がこのあたりから将軍塚にかけてあった。お寺は塀で囲まれ、建物が多くあり、兵隊が休めるため陣地として適していたため攻められ燃やされ荒廃してしまった。その後、時宗の国阿上人によって、応安六年(1373)に中興された。

info

参拝情報

名称
金玉山雙林寺
(きんぎょくざんそうりんじ)
所在地
京都府京都市東山区下河原鷲尾町527
googleMAP
参拝時間
9:00~16:00
拝観料
大人:200円
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
なし
アクセス
公共交通機関
■JR京都駅(鳥丸中央出口)市バス乗場D-2より 206甲号系統
■京阪電車「祇園四条駅」下車 東へ 市バス乗り換え または徒歩約20分
■阪急電車「河原町駅」下車 東へ 市バス乗り換え または徒歩約25分
■市バス停留所「祇園」より八坂神社を東に抜けて円山公園の池を南へ 徒歩約10分
※ 雙林寺に駐車場はありません。公共交通機関のご利用をよろしくお願いいたします。
駐車場
専用駐車場なし
Webサイト
https://www.sourinji.com/
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