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ご由緒
寺伝によれば奈良時代の養老二年(718)、仁聞の開基とされる。
遅くとも鎌倉時代には同地に寺院があったようである。
戦国時代には大友氏の攻撃を受け衰退したが、江戸時代初期に僧順慶によって再興され、他の寺院の復興も手がけたことから、六郷満山の中心寺院となった。杵築藩の祈願所にもなっている。
「両子大権現」を祀る、神仏習合の寺
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ふたごじ
大分県国東市
懸造(かけづくり)のお堂となっており、裏手には岩窟がある。岩窟内には石仏などがお祀りされ、六郷満山における山岳信仰が始まったであろう岩屋を感じることが出来る。この岩屋に屋根をかけ、お堂が形成されていった。
護摩修行の道場である護摩堂を本堂としている両子寺。堂内には鎌倉時代の大聖不動明王像が御本尊としてお祀りされている。 九州の中にある三十六不動霊場の第一の札所として知られている。不動明王像の左側には六郷満山を開山した仁聞菩薩のお像もお祀りしており、これは国東半島唯一のものである。
大講堂は明治の廃仏毀釈で一度失われたが、平成三年に再建された。 堂内には鎌倉時代の阿弥陀如来像が安置され、その背面にはかつて比叡山に祀られていたという二十五菩薩来迎図をモデルとした壁画が描かれている。
学生レポート
京都大学文学部4年
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