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ご由緒
寺伝によれば飛鳥時代の大化四年(648)現在の本堂うらにある洞窟で役行者が開いたとされる。六郷満山の開基は718年とされ、それよりも以前から存在することになる。 中世には六郷満山末山の本山として栄えた。 江戸時代には杵築藩主松平家の祈願所となり、庇護を受けた。
山岳信仰と文殊菩薩の聖地
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もんじゅせんじ
大分県国東市
文殊仙寺周辺には「文殊邪馬」として国指定の名勝に指定されている風光明媚な景観が広がります。 境内では洞窟の中にお像がお祀りされるなど、自然と調和した仏教の姿を感じ取ることができます。 豊かな自然の恵みを感じながら、境内を散策してみてください。
奥之院本殿は江戸時代の建立で、小倉藩主細川氏によって寄進されたと伝わる文殊仙寺最古の建築である。急峻な崖に張り付く様に建てられている奥之院本殿は、山岳信仰が盛んな六郷満山を代表する建築である。隣接する洞窟からは「知恵の水」と呼ばれる湧き水が出ている。
本堂の奥に安置されている文殊菩薩像は、文殊仙寺を開いた役行者が中国から持ってきたと伝わるお像である。12年に一度、卯年の春・秋の大祭でご開帳される。 誰もが知っていることわざ、「三人よれば文殊の知恵」の発祥の地も文殊仙寺であるといわれている。
古来より、文殊仙寺では慈恵大師良源(元三大師)に対する信仰が盛んである。その信仰を象徴するのが内陣向かって左側にまつられている鬼大師像である。この鬼大師像は空中の女官達の前で姿を変じた元三大師の姿を写したという伝承に基づいている。2017年の六郷満山1300年祭の際に新しく見いだされた鬼大師像は、2018年より奥の院で一般の方々がお参りできるようにまつられている。
大化4年(648)役行者により開かれた文殊仙寺。本殿の近くにはお寺を開いた役行者をまつる岩屋がある。洞窟の形になっておりその中に安置される。役行者は神変大菩薩とも呼ばれる。中央役行者像の左右には前鬼・後鬼像がまつられている。
学生レポート
京都大学文学部4年
ご由緒
寺伝によれば飛鳥時代の大化四年(648)現在の本堂うらにある洞窟で役行者が開いたとされる。六郷満山の開基は718年とされ、それよりも以前から存在することになる。 中世には六郷満山末山の本山として栄えた。 江戸時代には杵築藩主松平家の祈願所となり、庇護を受けた。
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